第64話 せんり!

 危なっかしいので電車を降りてから先導しつつずっと彼女の手を握っている。店まで井場さんがあまり会話にならずに、ともすれば危なっかしいので、なんだかたまに唯彩さんからコンタロウのリードを渡された時を思い出した。

 あっちの場合はコンタロウが先導しつつあっちへふらふらだったりするのだが。


「危ないよ井場さん」

「井場せんりさーん」

「せんりさん」


 コンタロウなら名前を呼べば反応してくれるのに、井場さんはさっぱり反応がない。手を引いた時だけなんかついてくると言った具合だ。大丈夫かな?


「せんり!」

「はひ!」

「ああ、良かった。せんりがさっきから反応が全然なくて。大丈夫? もう着くよ」

「はい! だ、だいじょうぶでしゅ」


 本当に大丈夫かなぁと思いながらも、シンプルながら高級感を感じる外装のお店の入り口をくぐった。

 一年以上ぶりに顔を合わせる。髪をまとめて着物姿の二十代後半の女性が俺を見て、隣の女子を見て、俺を見てにっこり笑った。


「あら、いらっしゃい。折川さん」

「あははは、お久しぶりです」

「すっかり来なくなったんでびっくりしたわぁ」

「まあ、付き合う意味もなかったので」

「そんな冷たいこと言わないで、お母さんや妹さんにもっと買うよう説得してほしいわぁ」

「家族に付き合ってここに来ると、丸一日潰れちゃうんでちょっと」

「ほんと、男ってひどいわぁ」


 家族とは一緒に来ないのに、いきなり見知らぬ女を新しく連れてくるなんて、という言葉が、ほんとの前についている気がした。

 せんりが俺をびっくりした顔をしながら見ている。俺は肩をすくめた。


「家族が利用するけど、受験とかで忙しくて断ってたんだ」

「ああ、そうなんですね。びっくりしました」

「それで折川さん、そちらの女性はどなた?」

「同じ高校のクラスメイトで茶道部に所属している井場せんりさん。茶道部でイベントがあるから着物の格に合わせた小物買うために久々に」

「い、井場せんりです」

「よろしくお願いしますね。なるほどねぇ。それでは早速茶会用の着物を」

「せんりが着る予定の着物はちゃんとあるので大丈夫です」

「あら残念。買ってくれてもいいのにひどい男やわー」

「あはははは。一番高い着物から買わせようとしないでください。せんり、着る予定の着物の柄とか写真とってる? 見せてあげて」

「あ、はい!」

「男の甲斐性ぐらい見せる機会をあげようとしたのに残念残念」


 そのまま結局、せんりがアドバイスする女性の言われるがまま、さらに高いのを買おうとするのを止めつつ、必要な物をまとめてもらい、紙袋に入れてもらう。せんりがそんな対応を別の女性店員にしている間に、先程まで対応してくれてた店員さんから明細を受け取る。


「ほんと折川さん、口を出す時は買ってやるよっていう時か、もっと良いのにした方が良いよってしてほしいわー」

「はいはい」


 精算をすれば思ったよりも高かったが、鳳蝶あげはが率先して関わって作る住道すみのどうグループと着物の質という見栄で派閥比較されてしまうのを考えれば、たった一人で比較されてしまうため良いものを使ったほうが良い。さっさと財布からお金を払った。

 こういう時日頃のお小遣いが多いのと、バイトしておいてよかったと思う。しかしながら、着飾るためだけにこんな金額をポンと使わせる高校生のイベントとか勘弁してほしい。

 絶対今年は困った学生とその親がいる。来年は遠畑とおはたがいないから前の形式に戻るだろう。戻らなかったら、戻すように働きかける。


「折川さんは相変わらず男気溢れてるわー」

「調子の良いこと言ってもこれ以上買いませんよ」

「あら残念。ふふ、でも高校生の女の子が買うには高いから、ふふふ毎度どうも~」


 小物の取り扱いに改めて注意を受けたせんりに声をかけた。


「終わった? 帰ろう」

「あ、はい」

「ありがとうございました。また来てくださいね。よろしくお願いします~」


 お見送りされて、駅に向かってゆるゆる歩く。はっとしたような顔をせんりがして、慌てたような挙動をする。


「どうかした?」

「あ、あのあの、私、し、支払い!」

「ああ、しといたから大丈夫」

「えぇ! い、いくらでした?」

「ああ、これぐらい」


 高校生のお小遣いを念頭に置いた金額を言えば、せんりはホッとしたような顔をした。


「な、なんとか払えます」

「良かったね」

「はい!」

「思ったより遅くなったね、早く帰らないと」

「そ、そうですね!」


 帰りの電車は行きとは違いあまり混雑していなかった。ほどほどに人が乗っている。

 莉念りねんとあのお店に顔を出して買い物した時はいつだってこうだったなぁと懐かしさを思い出しながら、何も考えず、俺は自然と彼女の腰を掴んでぐっと引き寄せていた。

 薄れていた感覚を思い出したかった。中学の頃の莉念への郷愁が俺を急かしていた。


「ふにゃ!?」


 ぎゅっと胸の中に収まった彼女の黒髪が服に向かって流れてくる。あの頃の莉念と使う香水が違うな。

 すっぽりと腕の中に収まる少女の感触に、懐かしさが溢れてくる。彼女の手が迷っていているので、俺は苦笑いをしながら彼女の手を俺に捕まるように導いた。電車が時折レールのつなぎ目を跨いで、ガタンゴトンと鳴る音が心地よく耳と体にリズム良く響く。

 彼女の背中に流れる長い髪を、彼女を落ち着かせるように撫でる。静かに電車の中で過ごして、家に帰ってからゆっくり買ったものを振り返るのだ。

 電車が帰りの駅について、彼女の手を取って、体が離れて引っ張ってから。あぁ、香水が違うのも当然だ。せんりだからだ。やってしまった。俺は誤魔化すようにせんりに声をかける。


「ああ、せんり大丈夫?」

「は、はひー」


 なんだか知らないがダメそうだった。俺は彼女の手を引きながら、自転車は無理だからと思って彼女の家へ向かって歩いた。無言だが、莉念りねんと二人きりの時も無理に話さないことも多かった。長く二人で過ごすと特段話すこともなくて、でもそれでも構わないことが多かった。無言の時間は苦ではなかったからだ。

 初夏の風を浴びながら夕暮れに二人手を繋いで歩いていると、中学の頃は歩きだったなぁと思い出された。

 自転車だとあっという間だが、二人きりで女性の歩くペースで歩いていると、思ったよりも時間がかかった。

 一応余裕をもってお店を出てよかったと安堵する。


「はい、せんりの家のマンションに着いたよ」

「はひ、よ、良く覚えてますね」

「ああ。ははは、情けないことにめったに他人の家なんて行かないから、覚えられただけだよ」

「そ、そうですか。あ、明日は学校に行く前に、私、自転車取ってこないとダメですね!」

「ああ、ごめん。乗ってきたほうが良かったと思うんだけど、なんかせんりが危なっかしくて」

「ふゅぇぇ、いえ、大丈夫でしゅ。ちょっと私もゆっくり歩きたかった、ので」

「良かった。せんり、それじゃあ、また明日」

「はい、あの、また明日。折川君」


 俺は彼女がマンションのエントランスに入るのを見送ってから、自分も家に向かった。


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