第63話 なんでもないでしゅ


「今、大丈夫ですか?」


 放課後、いつものように笑顔で鳳蝶あげはを見送り、ちょうど唯彩さんが慌ただしくバイトのために教室を飛び出していたタイミングで井場せんりさんが座っている俺に声をかけた。

 見上げる形になった俺に対して、わずかに姿勢をかがめた彼女の長い黒髪がサラサラと流れて、それを艶っぽい仕草で彼女は耳傍の髪をかきあげる。

 莉念も俺に話しかける時に姿勢を寄せる時はよく同じように髪を指でかき上げていたな。


「井場さんどうかした?」

「あの、今週の土曜日にお願いがあって」

「そうなんだ? 何かな」

「着物に合わせて使う小物を買いに行きたいんですけど、ちょっと四條畷しじょうなわてさんが機会が合わなくて」

「うーん、ちょっとまって」


 彼女の頼みに答えたかったが、俺は迷った。土日はバイトがある。

 華実かさね先輩と昨日の事があって話もしたい。けれど、頼ってくれたクラスメイトを断っても良いのだろうか。

 先日、莉念りねんからも、あとは頼んだというのは、小物買いは行く余裕もないから任せたということだったのだろう。莉念りねんはたまに言葉が足りないと思う。

 だが、華実かさね先輩を怒らせてしまった。気まずいままだ。謝りたい気持ちはあったが、莉念りねんから任せたという発言もあった。迷う。


「あの、大丈夫ですか?」


 不安げな井場さんの顔が、申し訳無さそうに声をかけた。俺はそれできっぱりと決める。


「いや、今日これから行こう」

「え、これからですか!?」

「うん、そう。土日は前も言ったけど、バイトあるからお昼に時間が取れないんだよね。バイト終わった頃には家に帰らないと行けないから、ごめんね?」

「いいえ、こちらこそ無理を言っているので。わかりました、良いですか?」

「うん、大丈夫。ちょっと待ってて。少し連絡するね」

「大丈夫です」


 井場さんから離れてアプリで通話を掛ける。しかし、スマホは鳴るだけで出ることはなかった。そういえば学校内では私からはメッセージしかやり取りできないよと言われていた気がする。昨日通話がかかってきたのはもう学校をでた後だったのだろう。

 俺は慌てて、メッセージで送った。


『今日急用が入ってしまったので、部室に行けません。すみません。夜の通話で話せますか。部室には明日必ず行きます』


 そんな言葉を送って、井場さんの傍に向かった。華実かさね先輩からの反応がすぐ来なかったので、井場さんを待たせるわけにも行かなかった。それに着物を取り扱う店ならば、莉念りねんにここへ行けと言われた事がある場所しか知らない。あそこは閉まるのが思ったよりも早い。女子の買い物は長い。

 時間が足りるだろうか。


「それじゃあ、ごめん。行こうか?」

「はい」


 残っていたクラスメイトが俺と井場さんが連れ立って出ていくのを見て、ぎょっとしていたが、クラスメイトが出ていくだけで、そんな反応をするのがよく分からなかった。


 駅まで歩く途中で井場さんはとても恐縮していた。そんな謝ることでもないと思う。


「本当に迷惑かけてしまってすみません」

「良いよ、大丈夫」

「それで、折川君って四條畷しじょうなわてさんと知り合いなんですか?」

「あー、中学が同じだったよ」

「そうなんですか。偶然廊下で会った時に話してくれたということで」

「うん、着物は、まあ、ほら住道すみのどうさんに言えないから、それ以外だと着物の話は、中学時代に同じクラスメイトだった四條畷しじょうなわてさんぐらいしか出来ないかなって」

「はぁぁぁ、本当にそうなんですよね。……茶道部内で相談したくても、出来なくて。部長さんと副部長さんも住道すみのどうさんと縁があるみたいで肩入れしないって立場ですし、茶道部の大部分が気づいたら住道すみのどうさんか、中立かなんですよね」

四條畷しじょうなわての人はいないんだ?」

「いや、その、四條畷しじょうなわて系列なんですけど、遠いからということで中立なんですって。気づいたらそうなってました」

「なるほどなぁ」


 どうも井場さんは住道すみのどうさんが派閥づくりをする時に、ついうっかり上手いこと中立を装うのが出来ずに四條畷しじょうなわてさんのお世話に的な事を言ってしまったのだろう。


「みんな立ち回りが上手いんだ」

「むぅ、そうなんですよね。私、下手なのかも」

「あははは、そういう方が素朴で可愛くていいと思う。高校生で仲が良いグループとかじゃなくて、派閥争いってギスギスしすぎでしょ」

「えぇ! 折川君は女子に夢見すぎですよ!」

「そうかなぁ?」

「そうですよー! 女子なんて派閥に派閥の派閥争いですよ!」

「それは言いすぎだと思う」

「えぇぇ!」

「だって、四條畷しじょうなわてさんは高校内で派閥無いじゃん」

「うっ」

「井場せんりさん一人の四條畷しじょうなわて派閥?」

「違います! 見えないだけです!」

「そんなものかなぁ」


 改札を越えて少し待ちやってきた電車に乗り込む。またもや時間帯が悪かったのか電車内は少々混んでいた。

 井場さんが困ったように苦笑いを浮かべる。人が近いからだろう。圧迫感がある。


「ちょっと混んでるね、大丈夫?」

「あの、えっと、は、はい」


 顔を真赤にしながら彼女が返答した。並ぶ場所が悪かった。いつもなら女子と乗るなら入り口近くに立つ場所で乗るのだが、ちょうど車両の中ほどに立つ場所についてしまう。腕を動かして、ぎゅっと俺は彼女の腰を支えた。


「えっ」


 戸惑いながらもどこか緊張と色っぽい声をあげた井場さんが俺を見つめる。顔が近いので、彼女の表情の変化が良く見える。


「つり革、掴まれないでしょ。危ないからどうぞ、俺の肩でも掴んでて」

「あ、ありがしょう……」


 俺の腕でもう一歩近づいたら抱き合ってしまうような距離になってしまうが、揺れて危ないよりは良い。おずおずと井場さんの右手が俺の肩に置かれた。

 ガタン。

 また揺れて、彼女があわわわと体勢を崩して後ろに倒れそうになったのを腕に力を込めて俺に寄せるようにすれば、井場さんは無事踏みとどまった。


「危ないから、しっかり掴んでて大丈夫」

「あぅぅぅぅ」


 顔を俯向けながら、危うく後ろに倒れそうだったのにホッとしたような力の抜ける声を出した井場さんが、さらにへなへなと体から力を抜いていて余計に危ない。

 俺は仕方ないなと思って、腕に力を込めた。莉念りねんもだるくなったらこんな風に俺の腕に体を預けたからこうやって支えたなぁと思い出した。

 力を込めたことで当然彼女が俺の胸にひっつく形になるが、腕だけで人間の体を支えるほど器用じゃない。莉念りねんも結局こうすると、だらーんと俺の体に体重を預けていたから同じだ。


「はわわわわわ」

「どうかした?」

「なんでもないでしゅ」

「そう?」


 電車が無事に目的の駅につく。何故か井場さんはふらふらだった。俺に体を預けてたはずだが、そんなに足に力を入れてたのだろうか。


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