98話 せんり「本当にひどい男ですね」


 朝、時計のアラームで目が覚める。結局、鳳蝶あげはが泣きながら抱きしめあったから、莉念りねんとするように一晩一緒に眠ってしまった。

 俺はすぐに時間を確認して、鳳蝶あげはを起こす。ベッドに居ないのだ。理由が必要になるだろう。


鳳蝶あげは、起きて」

「う、んんんん」


 布団の中はどうしてか鳳蝶あげはの香りでいっぱいで俺は心地よさを感じた。何度も揺らせば、ようやくぼんやりと覚醒したようで俺を見つめる。優しく彼女の頭を撫でた。莉念りねんもそうだ。一晩寝た後は、こうやって彼女がしっかりと目覚めるまで優しく撫でるようにする。


「あ、んむ。おはようございますの」

「おはよう。寝起きも可愛いよ」

「えぅ?」


 と、まだぼんやりしていたのが徐々に覚醒してきたのか、ガバっと鳳蝶あげはが身体を起こした。周りをキョロキョロ見渡して、鳳蝶あげはが驚いた顔をする。


「お、おおお、おはようございますの」

「おはよう。もうみんなが起き出すし、鳳蝶あげはは時間があるなら部屋に戻って眠るか、起きるなら居間に行こうか」

「……私はもう少し余裕がありますから、お部屋で眠らせてもらいますの。写真部の皆さんは早いですのね」

「ははは、俺だけだよ。じゃあ、ゆっくり眠ってね」

「はいですの、あの」

「昨日はありがとう。だから、鳳蝶あげは、わかって欲しい」


 彼女が何かを尋ねる前に、俺は鳳蝶あげはを抱きしめる。鳳蝶あげはも俺を抱き返した。


「……ひどい人」

「ごめん。でも、わかって欲しいんだ」

「はい、ですの。話してくれてありがとうございますの、尚順ひさのぶさん」

「ひどい事をしたのに、俺の話を聞いてくれてありがとう、鳳蝶あげは。……好きだよ」


 君の顔や優しさが好きじゃなくて、本当に君が好きで、だけど恋人にはならない好きだ。

 莉念りねんに言われた。セフレなら好きにならなくて良いんだと。だけど、俺は鳳蝶あげはのことをセフレではなく、やっぱり友達として仲良くして、好きでありたい。



 鳳蝶あげはが静かに部屋に向かう中、誰も起き出さない。俺は着替えてカメラを持って散歩に出る。まだ朝が早いおかげか、外に出ても人は全く居ない。

 ウミネコが騒がしく鳴きながら空を飛んでいる。夏の空は晴れて、青く澄み渡っている。

 ゆっくりと歩いて浜辺を横目に散歩をしていく。カメラを構えたい場面は出てこないけれど、夏の空気を吸っていると心が落ち着いてくる。


「場所も季節も違うけど、春の時もこんな感じだったな」


 莉念りねんと旅行した春の海。思ったよりも風が強くて、海の香りが浜辺まで届いていた。コンクリートで作られた防砂堤の上はじりじりとした夏の朝日を浴びている。

 あの時は莉念りねんがペタペタとサンダルでその上を歩いていた。

 その姿を何枚もカメラで写真に撮った思い出がある。スマホを見れば、その時の写真が残っている。

 毎日会うと約束したのに、忙しいから会えなくてもいいよねと行ってしまう幼馴染。……好きだからエッチしたいと、莉念りねん以外の女子たちが言う。だけど、莉念りねんはどうして俺とエッチしていたのだろう。彼女たちとエッチするから、もう莉念りねんとはずっとエッチをしていない。

 好きだからエッチしたいと言う。彼女たちはそう言って、実際に俺に好きと、愛してると言ってくれる。だけど、莉念りねんはどうして俺と身体を重ねたのだろう。


 バサバサと夏の朝風で木々の枝葉が騒々しくざわついて。

 俺は居るはずのない彼女を見つけた。


 防砂堤の上に立ち、ただ海の向こうを見つめる長い髪の少女。髪が風にはためている。自然と身体が動いて何枚も写真を撮った。……振り向いてほしい。笑顔を見せてほしい。

 だから俺は声を掛けた。


莉念りねん!」


 不思議そうに少女が振り向く。だから、莉念りねんとは違う色の瞳の少女が俺に振り返って尋ねた。黒に近い深緑が俺を突き刺していた。


尚順ひさのぶ、それって四條畷しじょうなわてさんの名前ですよね」

「せんり……」

「不思議ですね」

「……何がかな」

尚順ひさのぶには嘘をついている色んなことがありそうです」

「そんな事はない、つもり、だけど」

「そういえば昨日、春日野かすがのさん、泣いてましたよ。まただって」


 俺は顔をしかめる。


「……ほら」


 ゆっくりと防砂堤から降りてくる。せんりが俺の腕を取って、にこやかな笑顔を向けた。


「私、いろんなことを助けてますよね」

「……それはそう、だね。助けてもらってる」

「部長に尚順ひさのぶが私とエッチしている事も話してないし、部長が追求しそうな時はそれっぽい事を言ってあげますし、昨日の夜にずっと泣いてる春日野かすがのさんをなだめてあげたり」

春日野かすがのは何て?」

「それが教えてくれなかったんです。まただ、嫌だって泣くばかりで。本当に何したんですか?」

「……」

「だんまりですかー。尚順ひさのぶは私に手を出すのに色んなことを教えてくれないですよね」

「……手を出したのは」

「私がお願いしたからですよね。分かってます。だから、私は友達のまま恋人に黙ってエッチしてますし、尚順ひさのぶがたった一度だけお願いしたエッチの時は“尚順ひさのぶ”呼びするのも喜んでしてますよ」

「今は、折川おりかわ君にしてくれないか」

「エッチしてる時じゃないからですか? それも理由がありそうですよね。何で、ですか?」


 俺が言えないままで居ると、せんりが楽しそうに笑っていた。


折川おりかわ君は本当にひどい男ですね」


 じゃあ、友達じゃなくなろう、エッチはしないと言えれば簡単なのに。


「友達じゃなくなったら、部長にも住道すみのどうさんにも春日野かすがのさんにも言いますよ。気兼ねがないので」

「……どうして、そんなに。わからない。なんで、せんりはエッチしたがるんだ。友達なら、友達らしく」

「好きだから」

「ごめん、俺は恋人が」

「ほら、そうやって。今、肉体関係のない友達だったら、恋人にも住道すみのどうさんにも負けちゃうじゃないですか。

 私は折川おりかわ君が好きだから、折川おりかわ君が拒絶しないために、エッチしたいんです。あと、すんごく気持ちがいいから。繋がっていると、折川おりかわ君から女として愛されてるって気がするから」


 ……まただ。出会った頃のせんりは、俺と距離が合って、冷たくこっちを見ていた。こんな蠱惑的な絡め取るような表情なんてしなかった。

 俺は疲れて、彼女の頭を撫でる。


「うふふ」


 俺が逃げたのを理解しても、その撫でた感触をとても心地よいと言うように、先程の蠱惑的な表情は鳴りを潜めて、無垢な笑みを浮かべていた。


「私は助けてあげますよ」

「せんり……」

「恋人が居てもー、セフレが居てもー、折川おりかわ君が私と縁を切らない限りは、気を使ってにこにこして、折川おりかわ君の隠し事も聞かずに黙ったまま、助けてあげます」

「それは、せんりが辛いよ。だから、」

「あなたが好きだから、愛してるから、大丈夫。私は折川おりかわ君が困ったら助けてあげますよ。唯彩ゆいささんととは違って、折川おりかわ君の女性関係を知っている私が、助けてあげます。

 色んな女の子に迫られて大変ですね。だから、私に相談してください。私を抱きしめて下さい。私が、あなたを、助けてあげる」


 彼女の唇は声を出さずに動いていた。


『そして、いつか私が――』


 彼女を抱きしめる。こんな事をしたってなんにも解決しないけれど、せんりは満足する。満足そうな声が腕の中の少女から上がった。

 夏の爽やかな空気に似つかわしくない少女がここにいる。


莉念りねんって呼んだ理由も聞かないであげます。そういえば、四條畷しじょうなわてさんと幼馴染なんでしたっけ。中学が一緒とは聞いてましたけど、知らなかったです。初恋の相手だから呼ぶ練習でもしてたんですか?」

「聞かないであげますって言ったじゃないか」

「そうでした。でも、恋する乙女としては気になっちゃったんです」

「初恋の相手だったって言ったらどうするの」

「似てますか?」

「……髪を下ろした頃から、背格好が中学の頃に似てて……」

「ふふ、そうなんですか。素直ですね? また折川おりかわ君が他の人に言えない事を知って嬉しいです。これでまた一つ、折川おりかわ君が私を拒絶出来ない理由が増えましたよね」


 ……君はどうしたいんだろう。いつも俺を誘う時に使う香水とは違う物を使っているようで、俺はホッとした。俺がギュッと誤魔化すようにさらに強く抱きしめると、嬉しそうに喘いでせんりは求めるように俺に請うた。


「これ好きです。ねえ、キスして、尚順ひさのぶ


 俺はキスをする。誰かに見られるかもしれない場所でしてしまった。だけど、せんりは満足そうに微笑んでいた。


――――――――――――――――――――――――――――――――

ひどい男を追い詰めていく悪い女

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る