105話 迷惑をかけたくなかった

八月の上旬ぐらい

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莉念りねんside


 ホテルのホールを使った四條畷の懇親会に私が姿を現すと驚愕の表情で迎えられた。今までは不参加だったから当然だろう。

 一通りの挨拶を終えて、片手に飲み物をわざとらしく持ちながら妙齢の女性が多い集団に突撃する。必要最低限、挨拶して持ち上げて置かなければならないグループだ。元々は四條畷の名前があったけど、外へ出ていった側である。一応私達家族が代理なのを知っているので、嫌味にさえ目を瞑れば簡単な挨拶だけで済む。

 なるたけ優雅な所作を心がけて彼女たちに声をかけた。


「皆さんご機嫌よう」

「まあまあ、莉念様がこちらの集まりにご参加されるとは思わず、今も話していたところです。お忙しいのに私達、話しかけられるとは思いませんでしたわ」

「ふふふ、母も含めて良くお付き合いさせていただいておりますから、私もソトではなくこちらで挨拶する機会があり、感謝いたします」

「あらあら、その割にはウチが行われる際に参加すると聞いていたのに、不参加ばかりでは?」

「学生の身ですので、時間が取れないこともあり申し訳ありません。それに、あまり学生が居ない場に出て私が壁に張り付くわけもいきませんので」


 私が粛々と軽く頭を下げると、年齢的な先輩風のような優位を得て満足そうに頷く。若者は素直ではなくてねと言った具合だ。


「学生ですものね。あら、それにしては、私は莉念様の頃にはもうお相手と一緒に参加していましたが」

「私としては、今の立場で過分な期待が持たれぬのは申し訳なく思っております」

「そうよねぇ」

「はい、叔父上には母も含めてお世話になっておりますので、私としてはご迷惑を掛けないことを一番に考えています」

「殊勝で結構ね。しかしねぇ、そうであれば叔父上のお役に立つ婚約者をお持ちになったほうが良いのではないかしら。あなたの御母上も、早々に婚約者と参加されていたでしょう」

「叔父上のことを考えれば、ただただ私はお待ちするだけです。お爺様にもそのように話して婚約者については相談しております」


 そう話せば、満足するように頷いていた。これで本当に婚約者がおじいちゃんから提案されたらどうしようかな。してこないとは思うけど。


 一番重要なミッションを終えたつもりになっていたのに、残念ながら私を捕まえる男性の集団があった。外様だ。若い男性たちが集まっている。同じ学校の男子もいた。面倒だな。その男子をチラチラ見ている女子が視界の端に写った。

 そんなにチラチラ見るなら話しかけて、私の足止めを邪魔してほしい。


「こんばんは、莉念様。ソトではなく気楽なウチのパーティーでお会いできたこと誠に感謝いたします」

「いえ、私こそ大変喜んでおります。私はウチのは勝手があまり分からず今日は様子見と」

「それならばぜひ我々と歓談していただければ。莉念様が壁の花など失礼となってしまいます」


 流したかったの遮られて積極的に絡まれてしまった。一つもチャンスなんて無いのだが、彼はスッと私に近寄ってくる。とても嫌だ。

 ソトならここまでしてこないのだが、ウチはアピールタイミングだと思っているのだろう。よくもまぁ、中心に近いグループから睨まれかねないのに声をかけるものだ。


「莉念様は最近はお一人で過ごすことが多いと、彼がよく話してましたよ」

「そうですね。高校では環境も変わって人も変わりましたから」

「あの男とはすっかり疎遠になったとか」


 ズケズケ言いすぎだ。近くても遠くても結局こんな物言いをされるのだから、面倒だ。体調をすっかり崩してしまった母も同じだろう。外様の失礼な男性たちからズケズケ言われたに違いない。


「高校は勉学も忙しいですし、付き合う人も変わったのでどなたを言われているか尋ねませんけれど」

「これで学校でも勘違いが減ると良いですな」

「そうですか。それで」

「彼は今は住道家のお嬢様と熱愛をしているとか。端々で煙のように噂になっては、火元を確認したくとも住道のご令嬢が水をかけているようですね」

「そうであれば、迷惑だからこそ水をかけているのでしょう。ただのいわれの無い噂ではないでしょうか」

「そうでしょうか? 僕は彼が住道のご令嬢と仲睦まじく茶会で話しているのを見かけましたたが」

「あら、懐かしいですね。私も参加していたのですが、そんな風に見て取れませんでしたが」


 あれは人の入れ替わりが多かった。挨拶をしたがる学生たちはいの一番に参加したせいで、おそらくその後に起きた騒動を実際に見ていない人ばかりだ。


「茶会ですか。妹が話題にしていましたね」

「おや、そんな話題になることがありましたか?」

「なんでも、あの男がまた女性関係で揉め事を起こしたとか、遠畑が彼に頭を下げさせたらしいですよ」

「遠畑が? あれ、そう言えば彼は今日来てないのですね」


 私はにっこり笑って割り込んだ。


「遠畑さんですか。彼の父親が新規事業のために海外に行かれているので、今日は呼べなかったようですね。さすがに子供一人来てもどうしようもありませんから」

「うっ!? あははは、そ、それは大変ですね」

「ええ、今までは地方の古い小さな事業にずっと腰を据えておられた方ですから、今回の挑戦はそちらのグループ内でも良い事になるのではないですか?

 あなたもいつも求められておりますものね。風向きによって空気が入れ替わるのはとても良いことだと」

「そ、そうですね。いやしかし残念だ」

「あまり他人の話題で女性関係と結びつけて、火起こししてはいけないと思いますわ。煙は風向きに流れて立ち消えますからね」

「ア、アハハハ、莉念様のご忠告まことに感謝いたします」

「忠告などと。よろしければ御老公に紹介いたしましょうか。ぜひご自慢の手腕を大学卒業後、海外で振るってくださいませ。ちょうど空きが」

「い、いえいえ、まだまだ若輩の身のため、私自身の目で社会を経験していきたいと思います」

「そうですか」


 他の男性たちも一歩下がる用に愛想笑いを浮かべた。四條畷の海外事業など大きなところは埋まっている。つまり若手がいきなり海外に飛ぶということは旨味も無い所へ、自家の資産を使えと放り込まれるということだ。

 つい尚順を馬鹿にされたことをやり返してしまった。やはり莉念様は尚順に懸想していると噂になると、おじいちゃんに頭下げて辞めてくれと言われるかな……。

 私はとりあえず現実から逃げるように、他のグループへ挨拶をしに向かう。外様と”仲良く”話したせいで、他のグループにもしっかり顔を売らねばならない。面倒だ。


  φ


 家に帰ると、リビング扱いしている部屋で母が静かに本を読みながらくつろいでいた。私と違い髪をまとめているためうなじがすっきり出ている。

 ここは屋敷の見た目と全く一致してない部屋作りだ。母はこちらの方が住みやすいと、父にわがままを言って用意した部屋。

 前の家のリビングに近い雰囲気をしている。屋敷と比較すると安価な家具たちだ。


「おかえりなさい、莉念。ごめんなさいね」


 すぐに母はまた謝った。

 母はあまり強いタイプの人ではない。いつだって家の中にいる母は父に悩みを相談して、不安がっていた。だけど、外に出ればちゃんと四條畷しじょうなわての名前を持った淑女としての姿を見せていた。

 そんな二面性のある母は、結局祖父と考えていた期間の半分に当たる今年の夏に、体調を崩して倒れた。寝不足がつづいての過労だ。


 祖父の話を聞くと、祖父の母への印象は全く違うことに驚いた。

 祖父はなんとなしに昔話をして、亡くなった本当の祖母と私達が似ている似ていないと話題にした。

 母は大人しくも幼い頃からずっと泣き言も言わずに、しっかりと家のために行動してきて、末妹とあまり似ずに非常に良い子だったと言った。

 父に聞くと、初めて婚約者として顔を合わせた時は身の上も聞いて、なんて芯の強い人だと思ったという。母に内緒で話してくれた。


 しかし、母はか弱い女性だった。


 四條畷しじょうなわてという名前の別家だったのに、幼い頃に義理とはいえ本家筋に入った。しかし、いくら親が兄弟とはいえ、それまで親戚程度の他人だった人の庇護下だ。いつだって緊張して過ごしていた。

 そして、成長していく毎にお相手の話題が出ることに困ってしまった。

 拾ってもらった恩がある。悪い人を選んで迷惑をかけたくない。

 そんな思いがあったから、家に迷惑にならない人を選んで欲しいと、祖父に頼んだ。

 ある意味で祖父に甘えていたのだ。

 しかし、祖父はそんな事は分かっておらず、自由に生きて良い。自分で探せばいいと母を放り出そうとする。


 母は必死だった。迷惑をかけたくなかった。


 祖父が選んだ父と仲を深めて、母はようやく自身の内心を父へ初めて吐露できた。そうして、母は本来自分が率先しなければ行けないところを、婿の立場である父にほぼすべてを委ねた。

 男尊女卑が強い時代なこともあったが、母ではなく父が中心となって我が家では会社で働くのはそれが理由だ。


 今回、本家の代理という四條畷家のため、祖父からのお願いに対して、迷惑をかけたくないと、恩を返さねばと頑張ってしまった。

 そして、引きこもった事で遠ざかっていた、子供の頃では向けられなかった嫌味や悪意にさらされて、どうでも良いと流していた私とは違って保たなかった。


 家の中でゆったりとした服を来て、ソファに座っている母が静かに本を読んでいる。母は本を読んで時間を過ごすことが好きだ。

 母はなんとなしに私に話をした。

 多分、父と私以外の家族に内心を見せて話せる相手がいないせいだろう。


 読書が自由に出来るようになったのは、父と結婚してからだった。

 それまでは四條畷しじょうなわての女として習い事に奔走し、勉学に勤しみ良い成績を残さねばならず時間が足りず走り回っていた。

 妻として家の中へ下がるまでは、表向き四條畷しじょうなわての立派な女として家に迷惑をかけないように頑張っていた。


 だが母の望みが徐々に破綻していったのが、父の立場が偉くなっていった影響だ。市場の変化で父の経営していた会社の規模が大きくなった結果、それまで呼ばれることのない大きな懇親会に出るようになった。


 母はか弱い女だった。


 四條畷しじょうなわてという家に気を使い、祖父に気を使い、義兄に気を使い。

 勉学も努力し、その結果、半端に出来るせいで会社の規模が大きくなったら、名ばかりの取締役ではなく、仕事をせねばならなくなった。

 わがままな強い女であれば、家に引きこもる妻にも、会社でバリバリ働く女にもどちらかを選んでなれた。


 しかし、母はか弱い女であった。


 外に出れば母は四條畷しじょうなわての娘として、しっかりとした女だった。

 幼い娘への慈愛よりも、自身を育ててくれた義父への義務に、良い娘として外に出れば答えねばならなかった。


 そうして巡り巡って、私は家で鍵っ子になってしまうのを、お隣さんの折川おりかわさんが、幼馴染の尚順ひさのぶがいるということで一緒に面倒を見てくれるようになった。


莉念りねん


 母が私を呼んだ。思い出から戻ってきた私は、本を閉じてソファに座る母を見た。

 祖父に家のことを話さないのは、祖父に気を使ってだ。心配をかけたくはない。だから、本当は倒れたのも言わずに、出席しようと準備していた。

 家に気を使って、自分では嫌だと言えない、母はそんな人だ。


「ごめんなさいね」

「ううん、別に、良い」

「でも、忙しくて通えなくなったでしょう」


 何を言いたいのか分かった。もはや生活の一部の折川おりかわ家に行けなくなった。けれど、私もさすがにそこまで薄情じゃない。だが、母はそういう人だ。色んなことに気を使って、だけど、外に出れば一歩引きながら人の話を聞いてくれるしっかり者に見える。


「仕方、ない。夏休み、終われば、また、学校理由に、出来る」

「そうよね……。ごめんなさいね」

「お母さん、気にし過ぎ、大丈夫」

「でも……」


 外に出る元気がなくなった母は気弱な態度が多い。本来はこちらなので、正しいのだが、外に出ないせいでバランスが崩れている。私はしょうがないなと思いつつ、母を心配しないでと慰めた。


 私のわがままを聞いて受け入れてくれた母を無下にすることはない。

 なんだかんだ私のわがままを受け入れるおじいちゃんを無下にすることもない。

 だからこそ、私は四條畷しじょうなわてに今、雁字搦めなのかもしれない。


 本当にわがままなら、私は高校でも尚順と中学と同じような過ごし方をしただろう。あれだけたくさんの女のちょっかいを排除したはずだ。

 だけど、私は手を出せない。それは彼が他の女にちょっかいを出されている事で、ある意味で隠れ蓑になるからだ。自由にして良いよと言ったが、想像以上に彼に落ちる女子が早く多くて困るけど。


 あの光景。

 中学で尚順ひさのぶと肉体関係を持つ前の私なら、不安で心配で、みんなにわがままを言って困らせただろう。だけど、今の私は何も不安がない。尚順ひさのぶに何も言わなくても伝わり分かってもらえるのを理解できているから心配は無い。


『もう何も怖くない』


 私が尚順ひさのぶの一番だから、私は私のすべきことを頑張って、尚順ひさのぶと結ばれる日まで努力するだけだ。

 それを尚順ひさのぶは分かってくれている。


 私の笑顔に母はホッとして、また新しい本を手にとって静かに読みだした。


  φ


 朝、せっせと着替え準備をする。スマホを確認して、彼からのメッセージを読む。補講が大変そうだけど、また勉強を頑張っている尚順を思うと、私も元気を貰えた。

 父親が出かけるよと声を掛けた。

 いつものように返事をせずにカバンにスマホをしまう。

 ゆっくりと紅茶を飲む母に行ってきますと私は笑顔で言った。



 外に出て車に乗るまでに空を見れば、晴れ渡って夏の青空が広がっている。暑いけれど爽やかな光景に感じられた。訪ねにいけない幼馴染の家を見る。彼が出てこないかなと考えたが、残念ながらそんな偶然は起きなかった。


 用意された車に乗り込んで、四條畷しじょうなわての家に向かう。今日の夜の付き合い他のための打ち合わせと、また各地方へ移動して懇親に顔を出すためのスケジュールと荷物の確認だ。

 面倒だが、仕方がない。一番大変だったのが海外に出掛けたときなので、マシな方だろう。

 まだまだ夏は終わりそうになかった。


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