106話 鳳蝶「私は今とても幸せですの」


鳳蝶あげはside


 夏休み最終日、久々に丸一日まとまった時間が取れたため、私は急遽尚順ひさのぶさんと連絡を取った。急なお願いにも関わらず、尚順ひさのぶさんは他の予定を都合つけて私を優先すると言ってくれた。


「嬉しい」


 なんて嬉しいのだろう。今までは私がお願いしても、予定が空いていなければ私は入れなかった。なのに、私がお願いしたら予定を変えてくれる!

 気持ちが踊る。下着と私服を選んでいる手も、ついつい喜びが表現された。尚順ひさのぶさんはワンピース型が好きそうなので、今日は明るく水色をデザインに組み込んだ服にしましょうか。

 私のお願いを聞いてくれたのは、夏休みの撮影旅行の場所替えの件もそうだ。


「……尚順ひさのぶさん、変わられましたの」


 そう、私にとって嬉しい方向に変わった。一緒にホテルで過ごした時に、恋人との情事を見せつけられて苦しくって痛かったけれど、恋人から離れて私と抱き合って眠ってくれた。私に話してくれた。

 彼が求めるものを明確に教えてくれた。

 今の私では恋人にしたい思えないと、ズタズタに心が引き裂かれる思いで一度フラれてたようなモノだった。あのまま彼が私から離れていったら、私の恋は終わりだっただろう。けれど、そうはならなかった。

 よくよく考えると、今まで尚順ひさのぶさんが恋人として求める条件のようなしてほしいことを明確に理解できるタイミングは無かった。私はずっと身体で繋がれば、私のこの気持ちに答えて彼が恋人になってくれると思っていたし、よく創作物にあるような良い女子であれば、恋人になる可能性が高いものだと思っていた。

 だけど、気づけば尚順ひさのぶさんの周りには見目も良い女子がたくさん居る。私はその中でよく顔を合わせて、さらに身体で繋がれば、恋人になれると思っていた。

 だけど、間違っていた。

 夏休み前であれば、私はホテルに行くタイミングを考えて、チェックした。だけど、今日は考えない。夏休み前であれば、私はキスできるタイミングを考えた。だけど、今日は考えない。


「デートをしましょう。思い出を、作ろう」


 何度も彼が言った事で、私はそれを我が家やホテルで身体を重ねれば達成出来るとずっと考えていた。


 駅前の待ち合わせ場所につくと、いつもは私が先に来ているのに、十五分も前に尚順ひさのぶさんが来ていた。初めてですの! 私の足取りが軽くなる。

 ヒールの音が軽快に鳴った。

 日傘を広げもせずに私は彼に走り寄る。つい笑顔が溢れてきた。


「おはようございますの。尚順ひさのぶさん、お待たせしました」

「おはよう鳳蝶あげは、俺も今来たところだよ」


 彼が私を優しげに見やる。今日は映画を見に行く。初めてだ。今まではホテルに行くために、手短に巡れる場所ばかりを選んで、切り上げた。カフェで軽く話してホテルに行く。またはホテルに直行する。なんて浅ましい行動ばかりだったんだろう。


「映画、ご一緒するの初めてですわね」

「そうだね。俺は楽しみにしてたよ。」


 日傘を差そうか迷ってしまった。彼が私の手を取ると、日傘が度々邪魔になってしまう。うぅぅぅ、と内心で唸って悩む。日焼けして、肌を痛めて尚順ひさのぶさんに嫌われないだろうか。日焼け止めクリームをしっかり塗っているから大丈夫だと思いたいけれど。


「どうかした?」

「……その、日傘を差そうかどうか」

「嫌でなかったら手をつなぐのに日傘が無い方が嬉しいかな」


 私はすぐに彼の手を握る。夏の暑さでお互いに汗が流れるけれど、気にならなかった。


 映画を見終わった私は、尚順ひさのぶさんに連れられておしゃれな作りをしたフレンチのレストランに入る。……ここは。


「ここって」

「ああ、だいぶ前に鳳蝶あげはが学校で話して俺と一緒に行きたいって言ってたでしょ? だから、来ようかなって。それとも最近来てたかな。被ってたらごめんね」

「そ、そんなことありませんわ! その、覚えてもらっているとは思って無くて」

「来れないかもしれないから、行く約束が出来なかっただけだよ。俺こそ、いざお店探しは悩んじゃうから教えてくれてありがとう」

「いいえ! 私、本当に尚順ひさのぶさんと来たかったので、一緒に来ることが出来てよかったですの」


 ディナーに来たことはあるが、ランチは尚順ひさのぶさんとが初めてだ。学生の目線で見ると少々高いが、完全に外れるわけでない。ちらりと尚順ひさのぶさんを見ると、ニコニコと笑顔を浮かべてメニューを見ているので、価格帯もそこまで外れていなかったとホッとした。

 注文をして、出された水で喉を潤す。鑑賞した映画の話で盛り上がった。男女が入れ替わりにもシナリオ上のギミックがあり、映像のインパクトでは街に隕石が落ちてくるシーンがとても印象的だった。恋愛要素で見ると、かなり一途で印象的な作品だった。

 そこが少しだけ寂しくもある。私の現在の恋模様を作品にしたら、真っ当だと言う人は居ないだろう。

 だからついつい聞いてしまう。尚順ひさのぶさんの恋愛感はどうなのだろう。恋人がいながら、私とエッチしてくれる彼は。


尚順ひさのぶさんは、ああいう恋愛作品が好きですの?」

「あー、まあ恋愛系の作品としては一途な作品が好きだよ。一般文芸にあるけど、あまり大人が主人公の不倫ものとかは読まないかな」

「そう、ですの」


 つい、悩んでしまい言葉が途切れる。目前の彼は不思議そうな顔をしていた。


尚順ひさのぶさんは、……私とこうやって出掛けるのは良いんですの?」

「女友達と二人で出掛けるのは普通だから良いでしょ?」

「えっと、でも今の尚順ひさのぶさんには恋人がいらっしゃいますのよね」

「そうだけど、俺は中学の頃から、女友達と二人きりで過ごしても普通だってよく女子に言われてたけど」


 私は平然と当たり前のように言ってのける尚順ひさのぶさんに困惑する。その女子はどんな立場で言ったのだろう。もしかして、


尚順ひさのぶさんは中学の時に恋人がいらっしゃいましたか?」

「ああ、うん、まあ中学三年生の頃に居たね」

「その方とは」

「今は付き合ってないよ。受験が忙しくなって自然消滅だね」

「その、恋人がいる時に別のどなたかから、女友達と二人で出掛けるのは普通だと言われましたの?」

「いや、誰とも付き合ってない時に仲の良い女子から言われたんだけど」

「そう、……ですの。でも!」


 そこへちょうど注文のランチが来たので、私の言葉が遮られる。パスタとサラダが並べられて、堪能するが、私は料理の感想を言うために、最大の関心事がうやむやにならざるをえなかった。


 ……恋人がいるのに、私がわがままを言えば二人で会えると嬉しかった。だけど、もしも私が恋人になった時も、今と同じように女友達と二人きりで出掛けるのが普通だとどうするだろう。私の事が恋人と同じぐらい好きだから誘えば会ってもらえていると思っていた。

 尚順ひさのぶさんはどうして私に会っているのだろう。

 楽しそうに私と会話して、こうして私が前に話したレストランをしっかり覚えてデートに組み込んでくれる。

 楽しく話していたつもりなのに、さっぱり先程まで話していた話題が思い出せない。

 私は食後の紅茶を一口飲んでから、気合を入れて口を開く。

 しかし、声がわずかに震えてしまった。


「恋人が居るなら、仲の良い友達とは言え、女の子と二人で出掛けるのは良くないのではありませんか?」


 私自身が放り込んだ爆弾に、尚順ひさのぶさんが驚いたと表情で示す。そして、少々考える仕草をしながら、黙ってしまった。

 一度頷いて彼は困ったような笑顔を浮かべて私を見る。……聞きたくない。でも、私自身が質問してしまった。


「そうなのかな? 今、俺は華実かさね先輩と付き合っているから、鳳蝶あげはとは会わないようにするけど、それは寂しいかな。でも、鳳蝶あげはが言うなら鳳蝶あげはと会うのを辞めたほうが良いか」


 息を呑む。

 言葉がぐるぐると回る。恋人が居る。私の方があなたを好きですの。なのに、私を優先してくれない。恋人が居るけれど、今日もこれまでも私と会ってくれた。

 だけど、恋人が居たら会わないのが普通だと私が今明確にその通りだと言えば、私と会わないと言われてしまう。

 私は慌てて、首を横に振った。


「じょ、冗談ですの。私も恋人がいらっしゃっても、殿方が女友達とお二人で出掛けるのは普通だと思いますわ。だって、仲が良いお友達ですものね」

「やっぱりそうだよね。鳳蝶あげはに会いたいと思ってたから良かった」



 食事を終えて、ウィンドウショッピングを楽しむ。私は彼に縋り付くように腕に絡んだ。さすがに困ったような顔をされたが、尚順ひさのぶさんが尋ねる。


鳳蝶あげはにとっては仲の良い男子と腕を組むのが普通なの?」

「そうですの! だって、仲が良いんですもの」

「じゃあ、大丈夫だね」


 笑顔で尚順ひさのぶさんが受け入れた。

 私は怖かった。だけど、肌が触れ合う部分から溢れ出る幸せを手放せない。恋人を追い落とそうとした。だけど、もしも私が恋人になったら、私と同じことをする人間をどう追い落とせば良いのだろう。

 幸せなのに恐怖が私を冷やしていく。

 身体と身体で繋がり合いたい。だけど、尚順ひさのぶさんに今それを言えば、尚順ひさのぶさんとまた心が離れていってしまう。

 離さないで……。


尚順ひさのぶさん、離さないで」

「うん? 鳳蝶あげはが腕組みたいなら、そんな事しないよ」


 笑顔で答えてくれるのが怖い。だけど、私は今とても幸せですの。


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