第29話 私の婚約者という噂

 鳳蝶あげはから離れて、人の少ない廊下の端まで棚田とともにやってくる。彼は時間を置いたからか、俺を睨みつけてはいるが気持ちを落ち着けていたようだ。

 俺の手をあらっぽく振りほどく。鳳蝶あげはの目の前であっっため、変なご機嫌取りに今まで大人しくしていたらしい。そうであれば、そも声を掛けなければよかったのだが。


「もう良いだろう、離せ!」

「ああ、申し訳ない。それで棚田さんはあんなタイミングで鳳蝶あげはに食ってかかるのが、住道すみのどうグループに良いと思っているのか?」

「お前が住道すみのどう様に近づいている事のほうが不利益だ! お前、住道すみのどう様の婚約者だと噂されて調子に乗っているんじゃないか!!!」

「なんだそれ。誤解だ。俺はそもそんな噂を初めて知った。俺として鳳蝶あげはは友人の一人だ。そも婚約者なんて、お嬢様の鳳蝶あげはに対して周りがそんな相手がどこかに居るはずに違いなって思い込んだ結果の噂だろう」

「お前はどれだけ住道すみのどう様を馬鹿にすれば気が済むんだ」


 ああ、失敗したなと思っていた。こういう時は放っておけば頭が冷えるものだが、会話して熱くなる対象の俺が傍にいることで棚田はヒートアップしてしまうのだ。俺は努めて冷静な声を出そうとする。


「待ってくれ、俺は鳳蝶あげはとは友人として接しているし、鳳蝶あげはに聞いてもきっとそう回答してくれるはずだ」

「だから、違うと言っているだろう! 最近になって仲良くしている異性が居ると住道すみのどうの集まりで明言しているんだぞ」

「それは中学まで異性の友人が少なかったから、友人が出来たと喜んで話題にだしているだけだろう。学生であれば、学校の友人の話題になるのはよくあることじゃないのか?」


 莉念りねんの時は度々あったと莉念りねんから愚痴られた。特に棚田のような立場で大学生ぐらいの年の人間であれば、莉念りねんより年齢が上だから大人しく対応すると考えてズケズケと異性の話題に踏み込んでくるようになって流すのにも困ると言っていた。俺の言葉に棚田が鼻白む。


「そ、それは話題になるのはそうだが」

「やっぱりな。だから、鳳蝶あげはも中学のことはあまりは話さないし、入学したばかりの高校の話題が大きくなりすぎているだけだと思う。唯彩ゆいささんも鳳蝶あげはとよく話しているし、棚田さんが思うようなことはありえないよ」


 俺が穏やかな口調を意地しつつも棚田に言葉を差し込ませないように、一方的にまくし立てていれば授業のチャイムが鳴る。


「まずい、遅刻だ。棚田さんも鳳蝶あげはと知り合いで住道すみのどうグループ関係なら遅刻なんて良くないじゃないか? 急ごう。先に行かせてもらう」


 俺は彼の静止を聞かずに自分の教室へ向かって走り出した。なんとか教師がやって来る前に教室に戻ることが出来たが、俺が教室に姿を表すとヒソヒソと話す一部のクラスメイトが目についた。やっぱり棚田のしたことのせいで変なイメージで語られてしまいそうだ。俺は少しげんなりしながら自席につくと、前と隣、鳳蝶あげは放出はなてんから大丈夫だったか心配されたが、心配されるようなことはなく話しただけだと回答して俺は追求を流した。



「今、良いですの? 二人きりで話せませんか」


 放課後になってすぐ鳳蝶あげはがうつむき加減で声をかけたので俺は了承した。棚田さんは昼のあれから姿を見せていない。放課後も姿を見せるかと思ったが。


「棚田さんは部活に入っているので来ないと思いますの」

「ああ、そうなんだ。よく知ってるね」

「ち、違います! お話した時に一方的に伝えられただけで、特別に二人で話すわけではないですわ」

「うん、気にしてないよ。じゃあ、ちょっと人の少ないところに行こう」


 俺たちはクラスメイトの野次馬のような視線を浴びながら、人気のないところへ向かう。わざと階段を経由したりすれば、後をついて来ようとした連中は、俺が振り返ることで徐々に脱落していき無事、ほぼ彼女と二人きりになることに成功する。

 校舎の最上階の特別教室が多く並ぶ廊下は、夕方には用事がある生徒がいないため閑散としている。俺は廊下の窓を開けて、外を見た。避難場所として設定されていることもあって少しだけ小高い見下ろす形になる高校からは町並みが眼前に広がっている。

 入り込んだ風が自身の髪を揺らすのを鳳蝶あげはは手で抑えた。


「俺は気にしてない。ああいう噂に振り回されても、結局良いことなんて無いよ」

「それはそう、だと思いますわ。けれど」

「中学の時に鳳蝶あげはも何かしらあったんじゃない? 鳳蝶あげはとちらっと話した男子学生が付き合っているとか。中学の頃はそういうのもあったけど、高校もそりゃあるよね」


 ほんの数ヶ月まで中学生だったのだ。高校生と呼ばれる立場になっただけで、そのような思い込みの噂が生まれない世界になるわけがない。


「私はその、棚田さんが別のクラスでしたが、中学の頃はわざわざクラスに来て話すこともあり、それを見た周りが一時期変に噂にすることはありました。そういう事があると、彼との関係は住道すみのどうとしてはその」

「ああ、家の事情ね。棚田さんは住道すみのどうさんとは家の関係で近すぎたってことでしょ?」

「そうなんですが、……尚順さんは存外、そういうのに敏いのですの?」

「中学の時にそういうのが目立ったから知っているだけだよ。ははは、でも俺と鳳蝶あげはさんが婚約者か」

「それ。その、ひ、尚順さんが私の婚約者という噂ですが!!」


 鳳蝶あげはが顔を真っ赤にしながら、大きな声を出す。嫌な響きでもってぐわんぐわんと廊下をさまよった彼女の声は、すぐに外から聞こえ出した吹奏楽部の楽器の音で上書きされていった。


「そ、そういうのはまだ早いですわよね」

「うーん、そうだね。鳳蝶あげはの家がどんなふうにお相手を決めているのか知らないけど、さっきも言った通り、鳳蝶あげはが綺麗で目立った結果に住道すみのどう家っていう有名なお嬢様という話題が付与されたから、周りが勝手に盛り上がってしまうだけだと思うんだ」

「ええ、私もそう思っています。けれど」

「俺たちは今まで通りで良いと思う。今の関係について変に消そうと躍起になったり、話題になったから答えようとするほうが、周りは思い込みを加速させるだけだよ」

「……その、尚順さんは余裕があるのですわね」

「ははは、鳳蝶あげはみたいな人との関係で噂されるなんて一般的に見ると光栄な側だからと、鳳蝶あげはがとても恥ずかしがってるからかな」

「もう!」


 鳳蝶あげはは俺がからかうとさらに頬を赤くして、そっぽを向く。窓の向こうに広がる町は遠くに川が見える。何を見ているんですか? と俺の隣に並んできた鳳蝶あげはが、だらんと下がっていた俺の手に指を絡めてくる。

 答えようとしたところに、ポケットに入れていたスマホが震えた。俺は空いている手でスマホを取り出すと、何故か鳳蝶あげはが子供っぽく唇を尖らせる。彼女は時折こういう子供っぽい姿を見せてくる。

 そんな一面に微笑んでから、スマホを見れば華実かさね先輩から部活来るのかな? と質問が来ていた。ああ、思ったよりも時間が経っていた。


「ごめん、俺部活に行かないと」

「あ、写真部ですわよね。あの、尚順さんは写真部に毎日行きますけれど、そんなに活動があるんですの?」

「あるんだ。写真は大きなイベントだけじゃなく、日々の積み重ねが大事だから」


 俺は笑って、教室に戻ろう? といえば、彼女は迷いながらも同意する。教室に行ってカメラを取りに行かなければならないからだ。

 華実かさね先輩にはこれから行きます。すみませんとメッセージを送って、彼女の手を引っ張って歩き出す。結局彼女がその手を離してくれたのは、教室についてからだった。


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