第41話 春日野ひまり

9/24投稿1つ目です。

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 目の前に夏が迫ってきている。ぼんやりと広がる夏の空の下で俺はボールを追いかける一団の一部となっていた。所詮バスケでも補欠でしか無かった通り、運動が得意なクラスメイトがいれば埋没する以下のレベルの技術しかない。

 サッカーボールが綺麗に俺たち白チームの大勢を越した瞬間、それをすり抜けていく男子がさらにディフェンス要因として残っていた男子を交わしてシュートを決めた。


「ナイスううううううううううううう!」


 赤チームが盛り上がる。偶然だろうが、サッカー部に所属する人物が多く配属された赤チームにボロボロにされた白チームは、運動できるメンツも少々疲れていた。どこかけだるげで授業が早く終わって欲しいという感情がたゆたっている。

 授業終了五分前、体育教師が時計を確認して、笛を鳴らす。ちょうどサッカーボールがまたゴールのネットを揺らしたタイミングだった。高い音が男子たちだけしかいないグランドに響き渡った。


「よっしゃー!!!」

「あー、終わったわ。疲れた」

「赤チームに走らされたわー」

「やっぱサッカー苦手だわ。手を使わせろ手を」


 各々声を上げて男子の体育委員に俺は走り寄る。先ほどのサッカーで活躍していた男子だ。


「鴫野、手伝うよ」

「お、委員長わりぃな。助かるぜ。あいつら終わったら即帰りやがってよー」


 試合前の練習で大量に使われて籠に仕舞われずに適当に集められているボールを爽やかに笑う鴫野が抱える。俺もささっとボールを集めて、彼と一緒にグラウンドの隅にある体育用具の倉庫に片付けた。


「すっかりあちぃな。いつも助かる」

「夏の日差し浴びながら外の体育は地獄だよ……。学級委員長として、手伝えることは手伝う。困ったら相談してほしい」

「ははっ。いつも嫌な顔せずにそう言って助けてくれるの助かるわ! 五月はどうなるかと思ったけどな」

「あははは、鳳蝶とはいい距離を保った関係を築いているから」

「そうか。ちきしょー、住道ちゃんはガードかったいんだよなぁ。良かったら茶道部の一年生をーって言っても、ごめんなさいされちまうし」

「鳳蝶はそういうところでお硬いよね。クラスにもう一人茶道部いるけど」

「あっちもあっちで、誘っても中々なー。茶道部って可愛い子多いんだろ?」

「そうだなー。一番が鳳蝶かもしれないけど、なんでか良いところお嬢様で可愛い人が集まってる不思議な部活だね」

「ちくしょー、住道ちゃんを説得して茶道部の女子と遊ぶセッティングしてくれ!」

「あー、ごめん。俺、それお願いされたから実現しようとして早々に冷戦起こされたから無理だね。五月下旬のさ」

「あー、住道ちゃんがめっちゃ機嫌悪そうにしてたの……。なんか住道ちゃんも変わったよなぁ」


 男子更衣室は人もまばらだ。窓から吹き込む風が更衣室に新鮮な空気を放り込んでくる。手早く着替えながら、鴫野の発言に首を傾げた。鴫野は苦笑いする。


「一応中学一緒だったんだよ。クラスは違ったけど。でも、あんな感情見せるタイプに思わなかったから、ある意味新鮮だな。穏やかだけど、なんというか、厚い壁? ラインが遠くにあるというか、そういう距離感を中学時代は感じたけど、今はよく告白されてるだろ? そういう壁が全然感じられないんだよな」

「あー、告白、ね。うん、なんか雑談がてらなぜか報告されるね。誰々の告白を断りましたとか言われても相手の男子に悪いから、個人情報守ってほしいんだけど」

「ははっ。噂になる覚悟が無いなら住道ちゃんに告白するなんて辞めとって話だわな。そして、委員長はそういうところだぞ!」


 俺に軽く肩をポンと叩いて言ってから、鴫野はそれ以上語ろうとせずにさっさと教室に走っていってしまう。

 更衣室を出て足早に廊下を歩いていると、多くの学生とすれ違う。移動教室のある他クラスだろう。そこをあたかも割るように女子が一人優雅に姿を見せた。

 茶色の髪が夏の風に優雅に踊るように見えた。俺の姿を見つけて彼女は笑顔を見せる。


「尚順さん、ちょうど教室へ?」

「ああ、偶然だね。一緒に戻ろうか? 友達は」

「少し私遅れてしまいましたの。よろしければ一緒に行きましょう?」


 彼女が俺に並ぶ瞬間、人目をさりげなく避けて手の甲を指で撫でられる。彼女の指先が肌をくすぐるように滑っていった。彼女は人目を避けながらこういうスキンシップを取りたがった。住道という家の都合上、必要以上に男子にベタベタとするのはよくなく、あの五月の日以降に、俺が彼女に求めた距離感だ。

 学校ではそんな関係であるとするのは良くないと説得した。彼女は住道鳳蝶として確かにそうですわねとそれを受け入れた、はずだ。だが、それから続く彼女の学校での行動はいつだって一目を避けて、しかし、友人ではあり得ない距離感を火遊びのように楽しんでいた。


 こんな風にほんの少しの時間であってもわざわざ合流して教室に二人並んで戻りたがる行動も、最初はクラスメイトたちにざわめきを伴って反応されたが、今では当たり前のように受け入れられるようになった。彼女の偶然も常に繰り返されるものだと、俺は深く追求することはない。

 五月中旬に行われた席替えでは俺と鳳蝶は隣同士になった。後ろの窓際の席になってしまったのは少々残念だったが、授業中の他のクラスメイトたちの行動が良く見える席でもあった。

 もちろん自称住道グループ企業の傘下にある会社関係の田中の背中もしっかり見える。

 田中は五月の事があってから、二週間は鳳蝶への関わり方が変わった。ひどく距離を取るのを見かけるようになっていた。彼女へ幻滅したというような会話をしているのを見かけたので、彼にとって許しがたい行動在り方だったのだろうか。だが、そんな彼に鳳蝶はあたかも親しげな態度で接し続け、今では少しだけ距離のあるクラスメイトへまた戻ったように見えた。


 一日の授業は順調に経過していき、あっという間に放課後になる。

 鞄に持って帰るものを選別して片付ける。鳳蝶も優雅に片付けて、帰宅の準備をしっかりと終えた。


「それで尚順さん、今日の放課後いかがでしょう?」


 おずおずと彼女が頬をわずかに赤くしながら恥ずかしげに尋ねる。ずっと繰り返される毎日の行為。彼女は決して諦めることなく、初な恥じらいを見せながら当たり前のようにその行動を繰り返す。だから俺は真っ直ぐ揺るぐことなく答えるしか出来ない。


「部活に行くから、鳳蝶も家の用事があるでしょ?」

「今日も、ですの? 写真部は活動日ではございませんよね」

「あはは、いつもごめんね。写真部が好きだから」


 彼女は拗ねるような顔をしてわがままを見せるように俺の服を掴み、顔を近づける。彼女自身は甘い空気を醸し出しているが、俺は一歩下がって彼女の肩を叩いた。


「夜、いつものように電話で話すので良いかな?」

「ふふ、意地悪ですの。仕方がありませんわね」


 彼女はそう言って、わがままを隠すようなお淑やかな顔をしてから、俺のネクタイを掴んだ。俺はぐっと引っ張られる瞬間に、彼女の肩を押し留めて彼女が距離を詰めるのを防いで笑顔を向け、彼女の手をなるべく優しく剥がした。彼女はそんな俺の行動でも期待を宿した眼差しを向けてくるのが、はっきり言って怖い。

 鳳蝶がこういう行動をするのでクラスメイトたちからは遠巻きに関係を勘違いされている事が多々ある。


「ふふ、それではまた尚順さん」

「ああ、またね」


 彼女は、けれど何かしら満足したような表情をして頷く。

 立ち去る足運びは見惚れるほど雅で、クラスメイトたちに御機嫌ようと声をかけて教室内に花を振りまいていた。

 廊下側の席となっている田中にも、彼女は四月の頃よりもあたかも親しげな雰囲気で声をかけて、田中はそれに見惚れながら素直に挨拶を返していた。

 鳳蝶の姿が見えなくなってから、唯彩さんがニコニコしながら近づいてくる。


「よ! あたしも今日は帰るね!」

「うん、ごめんね。また明日」

「あたしは! 気にしないから」


 彼女は“あたし”を強調して言う。鳳蝶の態度が露骨になるほど唯彩さんは学校では目立たないように行動し、学校で二人きりで話す時には比較するように話した。

 そんな行動を取りながらも、鳳蝶とは笑顔で友人関係を築いており、俺と違って放課後に鳳蝶と都合が付けば唯彩さんと鳳蝶で遊びに行くこともあると聞いているので、友人という距離であれば俺よりも遥かに良い関係だろう。

 金髪が翻る。一度、金髪よりも別の色のほうが好きか尋ねられた事があったが、俺はそのままの方が良いよと言ってから、嬉しそうにした彼女の髪はずっと綺麗な金髪を維持していた。

 俺は複雑な気持ちを内包した苦笑いを浮かべて、勢いよく立ち去る唯彩さんを見送る。


「はぁ~。部活行くか」


 ポツリと取り残されたようになった俺は、人に聞かれない程度にため息をついて、鞄を持って写真部部室に向かう。廊下でいつもはもっと早く帰るはずの莉念とすれ違う。蠱惑的な色をした唇が、ふっと嬉しそうに微笑みを作って、すぐに冷たい表情に隠される。

 なにかにつまずいたように、彼女の足がもつれて俺にぶつかるように飛び込んでくる。ぎゅっと抱きしめられて反射でわずかに力がこもってぎゅっと同じように抱きとめてしまった。

 白々しくすっと体を離した莉念が、廊下に鈴を転がすような綺麗な声をこぼした。なめらかな肌を持つ細い指が俺の指を背筋をゾクゾクさせるほど思わせぶりになぞった。


「ごめんなさい。大丈夫でした?」

「四條畷さんこそ、大丈夫だった? それじゃ」


 お互いに白々しい会話を交わす。俺は莉念から早々に離れて、逃げるように小走りで廊下を進んだ。立ち去る瞬間に見せた莉念の顔はとてつもなく不満そうな顔で、帰ってからが怖そうだ。だが、高校内でこの距離感を望んだのは、彼女の方だ。

 夏の空気に満ちた学校の廊下は、すっかりと季節が様変わりして、俺たちの関係性を置き去りに時間が進んでいく。


 写真部の部室にたどり着いて、扉を開けた。

 夏の香りを抱いた風が窓から開け放たれた扉へ爽やかに流れていく。

 銀髪が風に遊ばれるのを恥ずかしそうに彼女が手櫛で直して、俺に顔を向けた。

 人形のように整った顔立ちをしながら、どこか幼さを内包して人を魅了する彼女は、優しげな笑顔と声で、扉を開けた俺を出迎える。


「やあ、今日も部活とは真面目だね。いらっしゃい尚順君」

「今日もよろしくお願いします、華実先輩」


 赤い瞳は花が綻ぶような慈しみをたたえて、俺に向けられて、そこに氷のような声が差し込まれた。


「こんにちは折川さん」


 写真部の部員らしくカメラを自分の手元に持って、椅子に座っている少女がいた。メガネをかけてやぼったい髪をした彼女は、冷たい声で部室の夏の空気を霧散させる。

 そのメガネのレンズの向こう、青い氷の瞳が俺を射抜くように見つめていた。


「お久しぶりです、同じ一年の春日野ひまり、です」

「……春日野」


 俺の声が震える。彼女の名前を久しぶりに呼んだからだ。なぜ、どうして、そんな気持ちが顔に出ていたのか、彼女は冷たい愛想笑いを浮かべる。

 たった五ヶ月。それは中学生という視点で見ればとてつもなく長い期間に思えた。莉念にフラレた夏から莉念に押し倒されるあの冬まで、俺が彼女に縋った期間だ。

 何のために縋ったのか、俺は今でもわからない。

 偶然同じ塾で同じ電車だった。だから、莉念から遠ざかるために彼女に声をかけた。

「勉強を一緒にしないか?」

 莉念の腰巾着をしていた俺の行動を彼女は知っていたからこそ、最初は訝しげに、けれど彼女はそれを許して、そして冬の決定的なあの日に許さなかった。


―――――――――

次話に主人公視点の閑話を入れます。本日12時更新予定です。


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