第35話 好きな人と友達と

 朝の日差しがカーテンの隙間から差し込む。目を覚ますと俺の腕の中に一人の少女が眠っている。綺麗だ。さらさらの髪を撫でる。

 涙の跡があるのは申し訳なかった。慣れているということに彼女をひどく泣かせてしまった。けれど、好きだった。ギュッと抱きしめると、うぅぅぅんと悩ましげな声を上げて、先輩も目を覚ました。

 ぼんやりとした表情をして、今どうなっているのか思い出したのか、俺の腕から起き上がろうとしたのを押し留める。


華実かさね先輩おはようございます」

「……尚順君、おはよう」


 昨日の夜、彼女の俺の呼び方は尚順君に変わった。目が覚めてもそれをしっかり覚えて呼んでくれるのが嬉しくてぎゅっとした。澄んだ瞳が俺を見ていた。


「好きです」

「うぅぅ」

「起きましょうか」


 俺が促すとベッドから出ようとして、彼女はハッと羞恥の顔をして体を布団の奥深くへ戻ろうとする。慌てたような声が俺に投げかけられる。


「ゆ、浴衣取って! 浴衣!」

「はい、どうぞ」


 俺もすぐに浴衣を身につける。彼女は恥ずかしそうに浴衣を身に着けてから、耳にかかった髪を指でかきあげた。その恥ずかしげな態度とともに出てくる色っぽさに、くらりとさせられてしまう。

 けれど時間を考えれば、朝食なども済ませないと当初の予定をこなせない。俺は心を鬼に自分を律した。


華実かさね先輩、今日いいですか?」

「えぇ、まだするの!? で、でも、まずはお風呂に一回入ってから」


 ぎゅっと浴衣を抱きしめる、俺が心を押さえつけて言ったのに、彼女にそんな事を言われたら駄目だと思う。華実かさね先輩もなんだか抜けてる部分があるというか。

 求められる事に対してすごく、応じないと! みたいな態度が見えた。俺は改めて心の中で、そういうのは良くないと自分を抑える。


「公園での撮影です」

「う、うん! そうだよね! するよ。そのために来たんだから」


 いそいそとベッドから降りる先輩を背後から抱きしめる。小柄な体すっぽりと腕の中に収まった。


「好きです」

「……私も好きだよ。慣れてて私を気持ち良くしてくるのは、ものすごーーーく不満だけど。好きだ」

「良かった。嫌われたら」

「……二人きりで旅行する女が男の事を少しでも嫌ってるなんてありえないでしょ。でも、こんなこっそり同じ部屋だけ取って、ズルする男はちょっと許せないけどね!」

「ごめんなさい。上手く表せなくて」

「……だけど、許せないって言ったけど許しちゃうから、結局。好きだよ」


 するりと腕の中から逃げた彼女はそのままパタパタバスルームへ向かってしまった。彼女の残した言葉に俺は心底安堵していた。好かれているのか、不安で分からなかった。出来る限り積極的に華実かさね先輩の傍で過ごそうと、話したいと伝えて行動した。

 莉念りねんに同じようにしてきて、それを受け入れていた思っていた。しかし、莉念りねんとは、恋人にもなれなかった。

 

 ただ俺の気持ちを押し付けているだけなのか、ほんの少しでも好きと思ってもらえていたのか。

 こうやって好きだと伝えて良かったのか。それが明確に華実先輩に好きと言われて、ホッとさせられたんだ。

「良かった。一緒にいてもらえて良かった」

 噛みしめるようなそんな呟きが自然と俺の口から漏れたのだった。



 彼女を被写体にした撮影は楽しかった。そして、個人的に彼女はとても綺麗だった。藤の花が風に揺れると、彼女の髪も爽やかに春風に踊る。その一瞬が美しい。

 日差しを浴びてまぶしげに笑い藤棚を見上げる彼女が綺麗だ。

 真剣にカメラを覗き込んで、楽しそうに歩く人達のささやかな瞬間を大切にするようにシャッターを切る彼女の姿は綺麗だ。


 もうまもなく閉園だ。人もほぼ居ない公園で、俺たちは惜しむように写真を取っていた。特に人が減ってくれたことで、夕暮れという光の加減が変わってしまった時間だが、華実かさね先輩をじっくりと撮ることができる。

 憂いがちな表情で噴水を覗き込む少女が、カメラの先に居る。

 楽しげに俺に手をのばす、好きな人が、カメラの先に居る。

 華実かさね先輩にお願いした中で、一番美しかったのが、俺に向けて視線を寄越す姿と手を伸ばしたりするシーンだった。

 彼女はその体いっぱいで、あたかも好きだ! というように嬉しげに楽しげに、写ってくれる。

 カメラの先に収まるそんな可愛い人に、クラクラさせられた。


「先輩好きです」

「私も好きだよ」


 言葉が溢れた。投げ返された彼女の声に反応したように、笑顔の彼女を写真に収める。

 閉園ぎりぎりまで粘って写真を撮り終わる。明日には帰るため、先輩は名残惜しそうに満開の藤を咲かせた公園を振り返る。


「藤の花も綺麗で良かったよ、ありがとう、尚順君」

華実かさね先輩に喜んでもらえて良かったです」

「そ、それじゃあ、ご飯を食べてからホテルに帰ろう」


 ぎくしゃくとしだした先輩に首を傾げる。


「どうかしました?」

「……な、何でも無いよ?」


 その夜、先輩は昨日と違い初めから俺を受けいれて、お互いに、好きという言葉を刻むように声に出し合った。


 日曜日の昼、特急はまかぜに乗って俺たちは兵庫を後にした。並んで座った席でお互いに手をつなぐ。


「楽しかったですね」

「た、楽しかったかなぁ? なんだか、色々有りすぎて混乱している」

「俺は楽しかったです。放課後のデートも楽しみですし」

「デ、デート。部活は真面目にしたいんだけど」

「部活も真面目にします。デートもできる時にします」

「……そんなに私のこと好きなの?」

「好きじゃなかったら、旅行に誘ったり、写真まで撮りませんよ。大事な思い出の一つなので。今回の旅行の写真も大切にします」

「は、恥ずかしい。尚順君は恥ずかしい」

「ひどい……」

「ふふふ、ごめんごめん。冗談だよ」


 昼の爽やかな日差しが降り注ぐ駅前に降りる。彼女を見送りたかった。家まで送りたかったが、送り狼はごめんだと断られてしまった。ちょっと落ち込んでしまう。

 俺のそんな態度に冗談、冗談だよ? と可愛らしく言う彼女に笑ってわかってますと答えれば、彼女が悩むようにしていた。

 この流れは過去にも付き合った女の子にされたことがあった。

 あちらから言い出せないので、こちらからアクションして欲しいというのをうまく表現できない時の行動だ。その時は手をつなぎたいという行動だった。でも、今は駅前で恋人とお互いの家に帰るタイミングだ。

 俺は何かなと考えて、


華実かさね先輩」

「ん? っんぅ!!」


 俺の呼びかけに別れがたいと悩むように顔を伏せてた彼女が顔を上げたところで、顎に指をそえてキスをする。

 びっくりしたような反応をしたが、彼女はすぐに受け入れてくれる。少し長々とキスをしてから、もう一度軽くキスをした。


「それじゃ、華実かさね先輩また明日」

「えぇ? うぅ、やっぱり慣れてる……。こういうのほんと。やぱりちょっとだけショックを受けてる自分がいるよ。また明日ね。これから絶対上書きするからさ」


 何か暗い雰囲気を一瞬出したが、彼女はビシリと宣言して、駅前なので人に見られていることに気づいて、逃げるように立ち去ってしまった。

 だから、俺は彼女の背中が見えなくなるまで見送り、そんな俺の背中にためらうような声がかかる。


「ど、どいうことですの、尚順さん」

鳳蝶あげは、久しぶり。ゴールデンウィーク忙しかったみたいだけど、元気にしてた?」


 長い茶髪に見える髪がキラキラと輝いている。鋭くにらみつけるように鳳蝶あげはがそこに居た。清楚な装いなのは、休日の朝に会う時のいつものスタイルだが、今日はとても気合が入っているように感じられた。

 化粧はお嬢様らしく派手さは無いがかなり人目を引きそうなほど彼女を際立たせておりリップが明るい色合いをしている。ネイルも色鮮で彼女に似合っていた。胸元に輝くアクセサリーは莉念で見慣れていたため、一目で高価な物だと見て取れた。


「そういうことではなく! ど、どういうことですの! 尚順さん!? あ、あの方は部長さんですわよね」

華実かさね先輩は写真部の部長だね」

「ど、どうしてキスなんてされて」


 彼女の言いたいことがわからないが、男女がキスをしているシーンなんてそれ以外ありえないと思う。俺は首を傾げてから素直に答えた。


「俺は華実かさね先輩が好きだから」

「だから、どうして!? わ、私、私」


 どうしてという言葉に、華実先輩と旅行先で付き合うようになったと答えるべきかと悩んだが、別段華実先輩と鳳蝶の二人は互いに友人関係で無し。

 わざわざ俺のプライベートの人間関係を、鳳蝶に深く説明するような事が必要でもない。

 唇を噛んでそれ以上質問も何も言えなくなったのか脱兎の如く鳳蝶あげはが走り出して遠ざかっていく。彼女が何を聞きたかったのか最後まで具体的に言葉にされなかったせいで、俺はどうすべきか決めることができなかった。

 鳳蝶が咄嗟にタクシーを捕まえるのが、一般の学生の行動じゃないなとそんな場違いなことを考えていた。


 長い旅だったが、充実した日だった。空は爽やかな青さに満ちていた。俺は自宅へ戻るために駅の改札をくぐった。


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