第36話 私があなたの一番
妹はお土産を買っていったら、満足してくれた。夕食を作ってくれた
月曜日の朝、バイトを休みすぎ! と
俺の話を聞いて満足した彼女が写真を見たいというので、藤棚を撮った写真や、公園に来ていた旅行家族の写真を共有して見せてあげた。
「良いところだね、行ってみたい」
「良いと思う」
俺が笑って頷くと彼女が来年行ってみようかなぁ、楽しみ! と喜んでいた。
だから、今日の俺は登校する時間が少し遅れてしまった。教室はいつもよりは学生がおり、休み明けでだらけた空気が満ちていると思いきや、異様なピリピリとした空気が混在していた。
「
そういえば鳳蝶から珍しく夜に連絡が無かったなと思い出した。
俺が挨拶をすると驚愕の表情をした
「どうしてですの!?」
「びっくりした。
「わ、私、どうして私じゃないんですの!? 写真部の部長さんと、こ、交際されていますの!?」
「あー、交際? まあ、好きだから旅行に行ったのは交際してると言っても良いのかな」
言いふらすような物でもないので、俺は濁しながらがちょっとだけ恥ずかしそうに言うと、泣きそうな表情になって、ポロポロと
「どうして!? どうして!?」
「落ち着いて。ほら、涙ふいて」
「こんな! どうしてですの!? 私とは交際してらっしゃらなかったの!?」
「どういうこと?
「尚順さんはお友達と休日の朝に会って、手を繋いでお話されるのですか!?」
「うん、するよ」
俺が一切ためらうことなくそう応えると、泣きながら
教室で遠巻きにしつつヒソヒソ声で学生たちが話し合っていた。まだクラスメイトの人数は少ないが印象に残ってしまうだろう。
「どうして!?私のほうが家柄もいい、私のほうがスタイルも良い。胸も大きい。顔だって負けてない。なんで私じゃないんですの!?」
「キスもしてないし。体の関係もない。だから、前にも友達だと――」
右手でネクタイを掴まれて、ぐいっと力強く引っ張られる。彼女の左手が俺の後頭部に手を回されて、唇と唇が触れ合った。
女子の黄色い声と、男子の悲鳴のような声が教室内に響く。香水なのか甘い香りが、芳しく漂った。
俺は彼女が満足するのを待ってから、体を離す。
「
「キスをすれば友達じゃないのでしたら、これで私と尚順さんの関係はなんですの!?」
「だから、
「うぅぅぅぅ、どうして!? どうして!? 私じゃないですの。私では、私ではだめですか? どうしてあの方が良いんですの。どうして! 教えていただけませんか。どうしたら友達ではなくなれるの」
抱きつかれて俺は困りつつも、彼女の頭を撫でて慰める。クラスメイト達の視線が痛い。
長い髪を優しく撫でて、少しでも落ち着かせると彼女が抱きつく力が緩んだ。
「みんなごめん。ちょっと
そう言って、周りの反応を見ずに彼女の鞄も一緒に持って、俺は教室を後にした。更に喧騒が増した教室で、
途中で職員室に向かい、
未だ泣き続ける彼女を伴って、駅へ向かって歩く。制服を来て、泣いている女の子と手を繋いで歩くとはひどく目立ってしまう行為だった。俺は小さくため息をついて、駅前で暇そうに止まっていたタクシーの窓をノックする。
「どうした坊主」
「
「……ちょっと遠いが、払えんのか?」
財布の中身を軽く見せれば、払えるんなら良いぞと後部座席を上げてくれた。タクシーが彼女の家に向かって走り出す。
彼女の背中を撫でていると、彼女は俺に寄りかかってきた。存外子供っぽい行動をするんだ。タクシー運転手は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりにちらりと見ただけで、無言で車を運転し続けた。説明も雑談も乗り気にならないのでおしゃべりじゃないだけ助かるものだ。
少々長い時間タクシーに乗って、たどり着いた大きな屋敷には当然出迎えの執事がいた。
「気分が悪くなったので戻りました。部屋に行きます。この方も来ます」
「ですが」
彼女は執事の言葉を無視して、絨毯が敷かれた家の中をずんずんと進んでいく。
俺が帰りたくても、彼女の右手が気づけば俺の左手を強く握りしめて離さなかった。
彼女が話し合いで納得すれば帰れるだろう。俺はそう思って今日部活に行けるかどうかが心配だった。
「座ってくださいまし」
「分かった。
通された彼女の部屋は広々としており、ベッドはクイーンサイズとか言うものだろうか。
学習用の机が壁の端にあるが、座るように促されたのは二脚の椅子が向かい合わせに置かれた丸テーブルの方だ。
メイド、で良いのか。妙齢の女性が紅茶を持ってきて俺と彼女の前に置いて、俺を値踏みするように見てから何も言わずに部屋を立ち去った。部屋が静まり返る。
「私ではダメですの?」
結局彼女の疑問はそこに帰結するらしい。
「ダメと言われても、友達として」
「私は尚順さんが好きですわ」
「……ありがとう。俺も友達として
「違いますわ!」
「違わないよ」
紅茶を飲んで、結局同じ会話を何度も何度も繰り返した。俺にとってそれはあまりにも価値の乏しいものでも、彼女は繰り返せば俺の意見が翻ると信じているかのように時間を無為に消費し続けた。
そして、言葉だけでなく、あわせて彼女が教室でしたような無理矢理のキスを何度も彼女が行ってきた。最初に俺が拒否しようとすれば、彼女は世界の終わりとでもいうかのような表情をして、俺の拒否する動きを止めさせた。そんな顔をするのを止めてほしかった。
俺はもう諦めて彼女が満足するのに任せていた。上手く出来ますと彼女が望んだ唇を開いた大人のキスもした。
虚しさが去来する。こちらの言葉を受けれてくれないのに、でも離れないでほしいと見せる姿は、……頭が痛かった。
「どうして、気持ちよくないですか? 私のキスが下手ですか? あの部長さんの方がお上手なんですか?」
俺の服を強く掴みながら、すがるような表情をした彼女がそう尋ねた。
どれだけキスをしても、満足できなかったのかまた泣き出してしまった彼女をなだめようと背中を撫でる。しばらくして、彼女はベッドに横になりたいと言うが、一人では動こうとしないので、仕方ないと彼女の手を引いた。
ベッドに座り込んだ彼女が俺を泣きながら見上げている。顔が綺麗だった。でも、あまり見ていられなかった。
俺が顔をそむけた瞬間、ぎゅっと手がさらに強く握られる。
「ごめん、横になりたいなら、手を離して――」
ドサリと俺の背中が柔らかなベッドのマットレスの感触に包まれる。お腹に女性一人の重さが加わって、両肩を手で抑えられていた。
この感触は嫌だ。……俺は息が苦しくなっていた。長い髪が俺の頬にかかる。
いつの間に緩めたのか、彼女は上着を脱いでいた。
「尚順さん、あなたは私の物ですわ」
「違う……!」
「好きなんですの! こんな気持にさせてくれたのに! お友達なんて無理ですの! 好き! 愛してますわ。だから、どうか私の名前を呼んで。私を確かめて」
「友達だから、こういうのは良くないよ。やめてくれ、
「あの部長さんより上手にできます。してみせます。だから! だから、もっと私の名前を呼んでほしいですの」
俺が力を入れようとすると、ポロポロ泣き出そうとして、俺に動かないでと懇願する。そんな彼女の悲痛な姿に俺は動けなくなった。
虚しい抵抗をするように彼女の名前を呼ぶ。それを彼女は喜んでいた。
「良くないからやめよう、
「あなたに名前を呼ばれるのが嬉しい。こんなに近くで触れ合って、名前を呼ばれるのが、嬉しい! 尚順さん、あなたは、私のモノですわ」
またキスをされた。長い髪が重力に従って、俺にかかる。何度も離れては唇が触れるのを繰り返されて。
φ
寒々しい年末の夜だった。俺は受験の為にただ一人家に残っていた。両親と妹は旅行に行った。家で一人、俺は集中して勉強していた。
玄関のチャイムが鳴る。誰だろう。疑問に思いながら出ると、そこには私服の
『大丈夫? ご飯食べよ?』
意味がわからなかった。
そして、風呂の用意をした。家に送ると言っても、彼女は俺の言葉を無視した。どういうことだ。訳が分からなかった。
彼女はとても穏やかに笑って言った。
『一緒に、入ろ?』
『ダメ、だ』
『どうして? ダメじゃない、よね? 夏まで、隠れて、入れる時は、一緒に、入ってた』
風呂から上がって、部屋に戻って勉強しようとすると、俺はベッドに押し倒された。風呂上がりの火照った二人の体が密着する。長い髪が俺の頬を撫でていた。
『尚順、私の。なんで、逃げる? 私の体、いや?』
『
『家族同然の幼馴染と、ね? するの、ダメじゃ、ないよ? 私は、尚順の。尚順は、私の。ほら、尚順、しよ?』
当然、
ホッとして初めてなのを喜ぶ気持ちが湧いた自分が居た。
家族のいない家で、俺は昼の勉強時間以外すべてを
両親たちが旅行から帰ってくると、
年始の初詣に、
ああ、この写真は幸せそうだ。良かった。
痛かった。理解が出来なかった。困惑していた。はずだ。
でも、写真の中の俺は彼女と並んで写っているのを嬉しそうにしていた。
φ
二時間後、俺は
服を着る。
彼女は満足そうにベッドの中でけだるげに横になっている。完全に眠った訳では無いが、反応は少々鈍い。俺はベッドに座ったまま彼女の髪を優しく撫でる。
家を出たいが、彼女に見送ってもらわないとダメだ。ベッドのこんな光景を
目を覚ました
「そろそろ、帰ろうと思って」
「そうですの? わかりましたわ」
彼女はクローゼットから取り出した私服に着替えて、どうですか? と尋ねた。俺は可愛いよと答えて、彼女はとてもうれしそうに笑って、俺に近づいて俺の頬を両手で包み込んだ。
つま先立ちになって、唇がちゅっと、優しく触れる。
生娘のように顔を赤くして満足している彼女に、俺は愛想笑いを浮かべて答えた。
「
「お別れのキスは、良いものですわね」
彼女がもう一度確かめるように俺へキスをしてから、彼女が重要な事を思い出したように声を上げた。
「あ、そうですわ! 記念の写真を撮りましょう。先程もたくさん撮りましたものね。これも大事ですもの」
「……ああ、良いよ」
スマホで
これで良いんだ。心の痛みは写真に残らない。だから、正しい思い出は写真の光景だから、これが正しい。それを確かめるために、写真を撮らなければ。
「では、また明日ですの、尚順さん」
「
「あ、そうですわ」
「どうかした?」
「尚順さん、私があなたの一番ですわ」
蠱惑的に唇が孤を描く。
『内緒にいたしますわ』『いつか尚順さんにもかわかってもらえますの』『振り向いてもらえるようこれからも頑張りますの』『だから、見捨てないで』『時間をください』
もっと俺の根源にしがみつくように絡みついた美しい声が聞こえる。幻聴だ。理解できているのに、聞こえてしまう。
『尚順、高校で遊んでも、良いよ。
仕方ない、から。
でも私が、尚順の一番だから。
忘れちゃ、ダメ、だよ?』
黒髪が俺の体にまとわりつく。怪しい光を宿した紫の瞳が俺を捉えていた。
真っ白な肌の指が俺の頬を優しく撫でていた。
――――――――――――――――――
幼馴染の書きたい部分にようやくたどり着きました。
執着と嫉妬と浮気と裏切りに揉まれる高校生活の始まりです。
次話は明日18時更新予定です。
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