第79話 私のこと、好き?

 茶室は着付けのために使用したのか大きな鏡が置いてあり、茶道部員達の荷物などが隅にまとめて置かれて片付けられつつも、物の多さに雑然としていた。

 席を外そうと思ったところで、せんりから恥ずかしそうな声が届く。


「着物、助けてください、う、上手く、上手くつかめなくて」

「ああ、一人だと大変だもんね……。気をつけるから、分かった」


 俺は早く戻りたいがためにわかったと答えて、脱ぐのを手伝う。うなじがのぞく。長襦袢はしっかりと見に付けている。鏡の前にわざわざ立ったせんりの背後に回って、痛めないように帯を外すために各紐のある場所を確認する。そのままポンと帯を外しせば良いと思われるが、そうすると帯と一緒に付けている紐などを手荒く扱ってしまう。


「触るね」


 長く使うのを考えるのならば、丁寧に外してあげるほうが良い。

 俺はせんりがまた着物のヨゴレを見て泣きそうな顔で、震える手で帯揚げと帯締めの紐をつかもうとするが上手くできてない。

 俺は彼女の胸部分にある帯揚げを帯から優しく抜き出す。手を入れる時に厚い布越しとはいえ胸の膨らみがあるのを伝わってしまう。俺はなるべく触れないように意識しながら、ぐっと帯揚げを取り出して、優しく結び目を解く。帯枕を支える帯揚げの紐をせんりに支えてもらい、さらに帯締めの紐を緩ませてから、ゆっくりと整えられた帯を外した。


「せんり、着物入れるカバンある? 帯も汚れがあるから、クリーニングに出さないと。片付けよう」

「あ、カバン、これ、です。お願い、します」


 預かった帯と小物をもって彼女のカバンを開ける。せんりが長襦袢のまま茶会に戻らないとは思うので、制服に着替えるかもしれない。

 視線を外すために背を向けた。

 莉念りねんから上げた物だろう帯をまず袋にいれるために丁寧に畳んで片付けていく。俺が買った帯揚げと帯紐も汚れたようだ。

 俺自身先程はひどく切羽詰まっていたせいでちゃんと気づいていなかったが、こんなに汚れるなんて……。俺は少しせんりが可哀想になって、片付け終えてから、せんりに大丈夫か尋ねた。


「着替えられた?」

「はい、こっち見て大丈夫です……」


 俺は立ち上がって、振り返り、呆然とした。


「どう、ですか?」


 どうして。

 茶室の畳の上に折りたたまれた着物と、少し乱雑に長襦袢が落ちていて。白い肌が俺の前にさらけ出されてる。

 白い下着の上下が長襦袢の上に雪のように置かれていた。

 動けなくて、


「なん、で」

「綺麗、ですか?」


 細い首から鎖骨のラインを目が辿り胸の頂点とへそから下のライン、細身の体に緊張の汗が流れていくのが見えた。綺麗だ。綺麗だけれど、なぜ俺に見せる。


「服を」

「私の部屋で、良いよって言ったのに、どうして何もしてくれなかったんですか? 私はキスをしてほしかった! 抱いてほしかった!」


 今、そんな話をしている時ではなくて、早く茶会の場へ戻りたくて、でも、出入り口へまっすぐ向かうためにはせんりが邪魔をして。

 拒否したら、鳳蝶みたいに泣くんじゃないかと、足がすくんでしまって。

 彼女の手が自身の体をアピールするように何度も動いて、また彼女が尋ねた。


「だめ、ですか?」


 泣きそうな顔をして、俺に尋ねる。何がダメだ。どうしてこんな事をするんだ。でも、俺は誤魔化したくて、早く終わらせて茶会の場へ戻りたいと考えてしまう。


「せんり、綺麗だよ。わかったから、服を」

住道すみのどうさんとキス、してましたよね」

「なん」

「あんな、ちょっと離れたところで、見てくださいって言ってるようなもんですよ」

「でも……」

「ねえ、私は、ダメ、ですか? えっちな気持ちになりませんか?」

「せんりは、友達だから、そういうのは」

「でも、ギュッて抱きしめてる時、手でも太ももでも、私の体に触れてましたよね? 位置、わざとですよね」

「あれ、あれは」


 言い訳出来なかった。結局中学の頃の莉念りねんへの郷愁と欲をぶつけた自覚が体の感触に残っていたのだから、無意識だったという言い訳もできるわけがない。

 せんりが近づいて、俺の手を掴んだ。


「私じゃ、駄目ですか?」

「……後でゆっくり、話して、今は茶道部の茶会を」

「じゃあ、あれだけ私をその気にさせたのに、折川君がしなかった事をしてください」

「なに、を?」

「キスしてください。ギュッと抱きしめた時よりもしっかり、私に触って、いじって。そうしたら、今は、我慢します、茶会、頑張って行きます」


 不安だろうか。潤んだ瞳が俺を見上げる。


 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。


 なんで俺と君の関係でそんなのを求めるんだ。意味が分からない。家族同然の幼馴染でもなく、恋人でもない相手が、真っ先に体の関係を望む理由が分からない。


「そうしたら、すぐに茶会に戻れるのか?」

「はい、戻れます。不安で、辛くて、悲しくて、こんな気持ちで、手が震えて、でも、戻れるようになります」


 俺は早く莉念りねんの元に行きたかった。華実かさね先輩のそばへ行きたかった。

 だから、せんりの気持ちは二の次以下だった。

 どうして。

 こんな事をしたって、満たされないのに。

 お互いに好きな人と好きと言い合って、時間を過ごし合うのが大事なんじゃないのか。俺は華実かさね先輩と付き合って、そう感じて来たのに、なんで彼女たちは。

 俺は裸のせんりを抱きしめてから、キスをした。

 彼女の初めてのキスだ。

 彼女の目から涙が溢れる。


「んぅ、ん」


 舌を絡めればそんなせんりの声が返ってきた。俺は手を動かして彼女の体をまさぐる。それが嬉しいと彼女の体は示していて、俺は少しでも早く終わらせようと激しく手と舌を動かして、体を離した。

 顔を赤くしながら、荒い息をするせんりがぼーっとしながら、俺を見つめてつぶやく。


「ハァハァ、……すごい」

「これで、茶会、戻れる?」

「はい、戻れます。でも、もう一回、良いですか?」


 俺は言われるがまま、彼女の望みを叶えた。そして、せんりに制服に着替えるようお願いすれば、またせんりがわがままを言った。


「下着も制服も、着させてください」


 俺はもう彼女の言われるまま従った。彼女の服を汚すわけにも行かないので、ハンカチで俺の指をしっかり拭う。

 下着をつけてあげる時も、わざと触ってくださいと言うので、触れてあげれば体を震わせて満足そうな顔をしていた。

 制服を着せれば、ギュッとしてと言われたので、ギュッとすれば、そこにさらにキスしてと言われた。俺は大人しく、キスをした。

 ようやく制服を着た彼女を連れて、茶会へ行ける。

 鳳蝶あげはもせんりも、女友達なのに肌の接触を求めて俺の時間を奪っていく。

 茶会に莉念りねんが居るのに。

 莉念りねんに会いたい。

 俺自身の制服が汚れたまま、茶会をやっている武道場へ走った。着替える時間が無かった。みっともない。


 騒がしかった茶会の会場は終了時間間際で、俺は春日野と華実かさね先輩に駆け寄る。莉念りねんは茶道部たちと共に、残った参加者たちの相手をしていた。


華実かさね先輩、春日野、ごめん」

「……遅いじゃない。またしてもらうからね。働いてもらう」


 春日野が冷たく言うので、俺は素直に頭を下げた。してもらうというのは、キスしろということだろうか。働いてもらうという言葉で華実かさね先輩の前でバレないように春日野が誤魔化しているが、そういうことだろう。どうして彼女も俺にキスをしろと願うのだろう。

 ……不安になった。いつか肉体関係を求められるのではないかと。不安から目をそむけようとして、華実かさね先輩に目をやった。

 華実かさね先輩が自身のカメラに視線を落としながら、小さな声で応える。


「もう、ほぼ終わりだよ。制服、着替えなかったのかい? 汚れたままだよ」

「すみません、着替えがなくて、代わりに井場さんの手伝いだけしてました。すみません」

「……そう。まあ、春日野ちゃんと私が頑張ったから、大丈夫だよ。尚順君もお疲れ様」


 俺は華実かさね先輩にがっかりされていると感じて悲しくなった。でも、人前だから何も出来ずに、ただただ頭を下げることしか出来なかった。

 なぜこんな事になったんだろう。

 莉念りねんへ目を向ける。

 制服姿で戻ってきたせんりと莉念りねんは穏やかに話していた。せんりは不安そうながらも、確かに触ってくれれば出来ますと宣言した通り、莉念りねんに謝り少し話してから、茶道部の部長へ仕事が無いか確認しにいったようだった。


 華実かさね先輩が視線から逃れるように俺の制服を引っ張った。


「どうかしましたか?」

「……ううん、何でも無いよ。今日、この後は時間、あるかい?」

「確認、しないとわかりません、けど」

「……いや、時間を作ってほしい。二人きりで話そう?」


 春日野ちゃんは茶会が終わったら解散と上手く言うからと言われて、俺はどういうことかわからないまま、でも、恋人から時間を作ってくれと言われたので、わかりましたと頷いた。


「ありがとう。それじゃあ、残り尚順君もちゃんと写真撮るんだよ?」


 俺は彼女の言葉になるべく力強く頷いた。

 華実かさね先輩が離れると遠畑とおはたが寄ってくる。制服の汚れを遠畑とおはたにまた注意されてニヤニヤされるのに反論せず、ただただみっともなく頭を下げた。

 莉念りねんにも華実かさね先輩にもこの姿を見られているのだ。好きな人に、こんなみっともない姿を見せている。俺は羞恥を必死に隠しながら、残り時間を過ごすしか無かった。


  φ


「それでは、私は、帰ります」


 茶会はそれ以後は問題も発生せずに無事終わりを迎え、莉念りねんが茶道部の部長へそう答えて優雅に歩きながら武道場を立ち会ってしまう。

 出入り口にお付きの人なのか、人が出迎えて莉念りねんがそれに従って学校へは戻ること無く帰ってしまったようだ。……どう思ったのだろう。家に帰るのも怖かった。

 俺の姿を情けなく思い、もう関わり合いたくないと考えた莉念りねんが、家でご飯を作らなくなったら……。

 今日から莉念りねんが居なくなったら、俺はどうすれば良いんだろう。


 不安に苛まされながら、茶会が終わった後片付けがあるため、茶道部や生徒会とともに片付けを手伝う。畳自体は明日になってから回収されるため作業の手伝いはないが、畳についた汚れを俺は遠畑とおはたに言われるがまま、可能な限り綺麗にするために掃除を行う。

 春日野と華実かさね先輩には、わざわざ遠畑とおはたがもうこれ以外は茶道部と生徒会の管轄だと言って、追い返してしまった。俺だけが一人残って、畳の汚れを綺麗にする。

 茶道部の面々も手伝う余裕がなく、使った茶器関連の用品を片付けるの奔走していた。

 鳳蝶あげはも俺が茶会を円滑にまとめるのを頑張ってほしいとお願いしたのを、片付けでも続けており、片付けや茶道部の事を放り出して俺に近づくことはなかった。それがありがたかった。


 人がどんどんと減っていって、茶道部の部長が俺に声を掛けてようやく顔を上げた。


「もう生徒会もいないですし、十分綺麗ですから、良いですよ」

「あっ。すみません、気づきませんでした」

「はい、お疲れ様でした。うちの部員がすみませんでした」

「いえ、……こけたのは仕方ないです。こちらこそ、騒がしくなってしまってすみませんでした。最後の年なのに」

「あははは、秋に野点もあるのでこれだけじゃないから大丈夫です。文化祭もありますしね。それじゃあ、お疲れ様でした」


 俺は何度も茶道部の部長に頭を下げてから、掃除用具を片付ける。

 写真部の部室に荷物を置いているが、華実かさね先輩はどこで会うつもりなんだろう。スマホを確認しないといけないなと考えながら、部室の扉を開けた。


「やあ、待ってたよ」


 部活動で見せるようにソファに座って、いつも通りの態度で華実かさね先輩が出迎える。

 ホッとした。

 莉念に嫌われたのではないかという恐怖と合わせて、恋人に愛想をつかされたのではないかと、不安がもたげていたのだ。

 いつも通りので華実かさね先輩で良かった……。


「春日野は、帰ったんですか?」

「気に、なるのかい?」

「いえ、待たせたなら申し訳ないです」

「うん、大丈夫。春日野ちゃんはすぐに帰ったよー」

「そうですか」

「鍵、締めるね」


 俺が答える前に、ソファから立ち上がってささっっと扉の内鍵を閉める。珍しいなと思いながら、何か大事な話なんだろうかと不安になった。みっともないから、別れようと言わないで欲しい。また、不安が溢れ出てこようとする。


「ソファに座ってくれる?」

「俺が、ですか?」

「うん、とりあえず、座って」


 強く言われて、先程華実かさね先輩が座っていたソファに俺は腰掛ける。そこへ、俺に対面で抱き合うように華実かさね先輩が座ってきて、俺を抑えた。


「ちょ、先輩」

「声、抑えて、大事な、話だから」

「でも、これって」

「うるさい口だね」


 髪を耳でかきあげながら、華実かさね先輩が俺にキスをして口を塞ぐ。確かに、これなら黙るしか無い。恋人のいきなりの暴挙にびっくりしていると、さらに華実かさね先輩の舌が俺の口に中に入って、舌を絡めてくる。

 口の中に水音が鳴る。

 抵抗できるけれど、恋人とキスをするのに抵抗するのは良いのか? 俺はそれが正しいとは思えなくて、素直に従い続けた。


「ん、ちゅ。キス、気持ちいいね?」

華実かさね先輩、どうして」

「彼氏にキスしたら、ダメかい?」

「ダメ、じゃないです」

「そうだよね。じゃあ、これもいいよね」


 彼女が無理やり脱がせようとして、


華実かさね先輩、部室でダメですよっ!」

「……動かないで。彼女が彼氏に求めたら、ダメなのかい?」


 恋人同士なら良い。

 だけど、場所がダメだ。だって、部室では良くないとあなたと約束した。けれど、彼女がもう一度俺に尋ねる。


「彼女が彼氏としたいって言ったら、彼氏は拒否するのが正しいの?」

「いや、それは良くない、です」

「だったら! 彼氏なら、抵抗しないで。……入れる、ね?」


 そして、俺は部室で華実かさね先輩とした。初めて華実かさね先輩からとても激しく求められた。俺は抵抗するなという彼女の懇願通り、大人しく彼女が動くのに任せていた。


 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。


 分からない。


 写真部の部室では写真部の部長らしくすると、前に俺にしっかり注意したのに。

 こんな所だと出来ないよと、したらダメだよと華実かさね先輩が言ったのに。

 華実かさね先輩の指が俺の頬を愛おしそうに撫でて、唇に触れてくる。


「ねえ、尚順君」

「……なんですか」

「私のこと、好き?」

「好きです、華実かさね先輩」

「だったら、写真、撮ろ?」

「え?」

「だって、恋人との大事な思い出だから、ね? 大事でしょ、君が、言ったんじゃないか。こうやって繋がってる二人の写真、たくさん撮ろ?」


 制服を着て、スカートで隠れたまま俺の上に乗った華実かさね先輩が、写真に撮られる。

 恋人とこんな写真を撮るのは、思い出なのか、秘密なのか。俺は判断がつけられずにいる。

 女友達としている写真は、ありえないから、秘密だ。

 家族同然の幼馴染としている写真は、見られてはいけないから、秘密だ。

 だけど、恋人は?


「私との思い出、いっぱい作ろうね。ごめんね、我慢させて。これからはいつでもさせてあげるからね? 愛してる、尚順君」

「……俺も愛してます、華実かさね先輩」


 どうしてこんな事になったんだろう。


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