第52話 清楚な鳳蝶
土曜日の朝、
「最近、いろんな男子がちょっと声かけてくるのが多くて」
「何あった?」
「うーん、そういう事じゃないんだけど、この前に一部のクラスメイトたちでカラオケ行ったじゃない?」
「あー、珍しく
「うん、ひさ君が来れたの本当に嬉しかったなー。それで、あの時はみんなで仲良く盛り上がったじゃん?
盛り上がるのが当然なんだけど、あれから波長が合うからーってよく男子から言われるようになったんだよね。
そしたら、一人の時に話しかけられることが多くって」
「あははは、
「もうそんな事無いんだから」
「わわわわ! ご、ごめん。あたしがひさ君を叩いたみたいな動作したから、悪いやつ判定されちゃったみたい」
「あははは、コンタロウはひどいな。いつも散歩一緒にしてるのに」
俺はぐるぐると周りじゃれるように鳴き声を上げるコンタロウの鼻先に、自分の手をかざす。コンタロウが警戒するようにフンフンと俺の手をかぐと、お前だったのかというように落ち着いて、また散歩のために先導を始めた。
「クラスメイトによく話しかけられるのは良いことだと思う。クラスとして仲良くしようってことだし、孤立して空気が悪くなるより全然良いよ。」
「そう、かな?」
「うん、前も話したけど、俺は中学の時だと友達ってほぼいなくて、そういうの全然無かったから……。
本当は
「そ、そうかな! そっちのほうが好きかな?」
「うん、偉い偉い」
しばらく歩いた先にあったベンチで、並んで座ったところで、俺は
「分かった! あたし、クラスメイトの男子に話しかけるのも良いことなんだよね」
「うん、でももしも、そうだな、怖いことがあったら唯彩さんを助けるから、必ず相談してね」
「うん! そういうのは絶対相談するし!」
「良かった」
俺は残りの距離を程々に力を入れて走り抜ける。
家に戻る途中、慌てた様子でバタバタと
いつも外で見せるお嬢様らしい楚々とした行動ではなく、少々慌ただしい姿はまるで年相応に遅刻しそうな学生に見えて微笑ましさと、理解できない幼馴染とは違った等身大の姿に感じられた。
「おはよう、尚順」
「おはよう
「今日、私、朝ごはん、作った」
「え! 急にどうした。土日は特に朝は忙しそうで、大変なのに」
「気が、向いたから。良い、でしょ?」
「それは、別に良いと思うけど」
「あと、はい、これタオル。朝ごはん、ありきたり、ごめん」
俺の手が
どれだけ手入れに気を使っているのだろう。毎日夕食の料理をして水回りで手を使っていても、彼女の手の肌はきめ細かく綺麗だった。
「どう、したの?」
「なんでも無いよ。今日も綺麗だね」
「ふふ、そう? 用事が、あるから、もう行く、ね?」
彼女はそう言い俺を置いて、先程見せた等身大の女の子とは違うお嬢様らしくゆったりとお屋敷に向かった。俺は初夏の風に揺れる綺麗な黒髪が家に入るまで見送ってしまった。
印象深い中学二年生の頃より、髪は長くなり背も高い後ろ姿だった。
味噌汁の具がわざわざ豆腐と茄子だ。いつもなら母は時短時短と言って、乾燥わかめを放り込むだけだ。本来はそれで良いと思う。
母がニコニコと笑顔で、
俺は
バイトの準備を終えて電車に揺られて、改札をくぐる。スマホには彼女からのメッセージがひっきりなしに鳴った。電車が少々遅延をだして五分遅れているかだ。
駅前について、彼女を探す。
今日は日差しを気にしてか、一人の少女が日傘を差しながら綺麗な立ち姿で人を待っていた。
俺は彼女の元へ小走りに近づいて声をかける。
「遅くなってごめ――」
「もう、お待ちしましたわ、尚順さん」
「……ああ、遅刻してごめん。
「まあ、そうですか? 少々地味、ではないでしょうか。迷っていたんですけれど、先日の格好を見かけた母が、あまり華美過ぎないのを試して見たら? と言われましたので」
「なるほど。俺もその方が良いよ。清楚な
先程の行為は全く清楚と言い難いが、
穏やかに人当たり良く話しかける鳳蝶と毎日接していれば、幻のように印象が薄れていくものだろう。
今日はラブホに連れ込まれる事無く、大人しく近くのチェーン店でおしゃべりするだけで済んだ。たったそれだけのことを安堵してしまう。
最近は殿方にお出かけを請われるのが困ってしまうと、彼女の手がテーブルの上で俺に伸びてきて、指が絡まり合って互いの手をつなぎながら言われる。
「それは大変だね」
「
「いや、それは気が早いね。まだ高校一年生になったばかりなのに」
「本当にそうでしょう? 私も気が早いと断っているのですけれど、そのような年配の方の傍には総じて人がいらっしゃるんですの。
必ず大学生や社会に出てすぐの社会人の殿方が多くて、せめて気が置ける存在の友人がいれば良いのですが、私がグループ関係者と話す時は、どうしても周りは一歩引いてしまいますの」
「まあ、話す大人は会社の偉い人だったりするから仕方ないね」
小学低学年の頃、
変にその時の印象は残っているが、あまり何を話していたかは興味が無かったので会話の内容は覚えていない。
年齢が上の大人に対して丁寧に対応していた少女が、ただの幼馴染じゃなくお嬢様なんだなぁとその綺麗な横顔をずっと見ていた気がする。
近くに寄ってきた同じ年の男子に後ろからこっそり押されて、テーブルに正面から突っ込んだから、そんなことがあったと覚えているのか。
俺が上の空だと気づいたのか、彼女の手が不満を伝えるようにギュッと握られて、自身の存在を伝えてくる。俺は記憶から現実に舞い戻り、目の前の青い瞳に向き合った。
色を宿した瞳が俺に絡みつくように見つめる。
「私、どうしたら良いと思いますか?」
「難しいね。年齢で下に見られて、侮られるのはわかるよ。中学の時にもほんの二つ上の先輩から侮られて馬鹿にされることもあるんだ。
子供だってそんな行動をするのに、大人がわざわざしてきたのを解消するのは、」
「そういうことではなく」
「
「なんですの、尚順さん」
「
何度か名前を呼ぶ。
「ごめんなさいですの、ちょっと嫌なことを愚痴にしすぎましたのね」
「うん、
ガタンとテーブルが軽く叩かれ、コーヒーのカップがガチャンと大きな音を立てる。俺はその不快な音に眉間にシワを作った。
それをどうとったのか
「ごめんなさい、尚順さん、ごめんなさい」
「
ぎゅうっとまた手が握られて彼女が落ち着こうとする。
……友人としてずっと関係を続けているのだから、もっと信用してほしい。
彼女が我慢出来ないと言ったように告げる。
「あの、明日、あそこに行きたいですの、時間良いですか?」
恥ずかしげに生娘なような顔をしながら、そんな淫らな事を言う
女友達とこんな事は全く良くない。その代わりなのか、表立って俺と
「今日はもう俺もバイトだからね。明日の朝だね、分かった。」
俺は素直に彼女の願いを受けて、
前は手帳を俺に見られるのも恥ずかしがった。今では自分に疚しいところはないんですのとアピールですと笑顔で言って、なんとなしに俺の目の前で手帳を広げる。
しかし、見ると仕事の顔合わせというメモとマークが多い。
落ち着いた
バイト先に訪れれば、今日は
「おはようございます、
「ああ、いらっしゃい。今日もよろしくね」
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