第52話 清楚な鳳蝶

 土曜日の朝、唯彩ゆいさとコンタロウの散歩に合流する。ペースを落として彼女の隣に並べば、珍しく最近の悩みを聞かされた。


「最近、いろんな男子がちょっと声かけてくるのが多くて」

「何あった?」

「うーん、そういう事じゃないんだけど、この前に一部のクラスメイトたちでカラオケ行ったじゃない?」

「あー、珍しく鳳蝶あげはがタイミング合うからって唯彩ゆいささんも含めて行ったね」

「うん、ひさ君が来れたの本当に嬉しかったなー。それで、あの時はみんなで仲良く盛り上がったじゃん?

 盛り上がるのが当然なんだけど、あれから波長が合うからーってよく男子から言われるようになったんだよね。

 そしたら、一人の時に話しかけられることが多くって」

「あははは、唯彩ゆいささんはノリ良くて、人に合わせられる子だからなぁ」

「もうそんな事無いんだから」


 唯彩ゆいさがそういって俺の肩を不満を表すように軽く叩いた。俺はごめんごめんと軽く謝る。しかし、唯彩ゆいさのそんな態度に反応したのかコンタロウが、俺の周りにワンワンと鳴きながらちょっかいを出してくる。


「わわわわ! ご、ごめん。あたしがひさ君を叩いたみたいな動作したから、悪いやつ判定されちゃったみたい」

「あははは、コンタロウはひどいな。いつも散歩一緒にしてるのに」


 俺はぐるぐると周りじゃれるように鳴き声を上げるコンタロウの鼻先に、自分の手をかざす。コンタロウが警戒するようにフンフンと俺の手をかぐと、お前だったのかというように落ち着いて、また散歩のために先導を始めた。

 唯彩ゆいさの手に持つリードが、ぐいぐいと散歩に戻ろうと表すように引っ張られる。俺は笑ってコンタロウを追いかける。

 唯彩ゆいさも俺に合わせて足を動かせばコンタロウが嬉しそうにトコトコ歩いた。


「クラスメイトによく話しかけられるのは良いことだと思う。クラスとして仲良くしようってことだし、孤立して空気が悪くなるより全然良いよ。」

「そう、かな?」

「うん、前も話したけど、俺は中学の時だと友達ってほぼいなくて、そういうの全然無かったから……。

 本当は唯彩ゆいささんみたいに、いろんな人と気軽に話すのが良いと思うし、唯彩ゆいささんが周りから好かれるのはとても好ましいことだと思ってるよ」

「そ、そうかな! そっちのほうが好きかな?」

「うん、偉い偉い」


 しばらく歩いた先にあったベンチで、並んで座ったところで、俺は唯彩ゆいさの頭をえらいよと撫でる。唯彩ゆいさはひどく幼い感じになりながら、えへへと笑って受け入れて、


「分かった! あたし、クラスメイトの男子に話しかけるのも良いことなんだよね」

「うん、でももしも、そうだな、怖いことがあったら唯彩さんを助けるから、必ず相談してね」

「うん! そういうのは絶対相談するし!」

「良かった」


 唯彩ゆいさを家まで送った。今日、土曜日でバイトまでちょっと時間あるし家に上がっていく? と聞かれたが、さすがに朝から家に上がっても失礼だろう。お茶をまともにする時間もほぼない。それならばバイト先で気軽に雑談したほうが良い。それに、朝は鳳蝶あげはと会う約束があるため余裕があるわけでもない。

 俺は残りの距離を程々に力を入れて走り抜ける。

 家に戻る途中、慌てた様子でバタバタと莉念りねんが俺の家から飛び出してきた。

 いつも外で見せるお嬢様らしい楚々とした行動ではなく、少々慌ただしい姿はまるで年相応に遅刻しそうな学生に見えて微笑ましさと、理解できない幼馴染とは違った等身大の姿に感じられた。


「おはよう、尚順」

「おはよう莉念りねん。慌ててどうしたの?」

「今日、私、朝ごはん、作った」

「え! 急にどうした。土日は特に朝は忙しそうで、大変なのに」

「気が、向いたから。良い、でしょ?」

「それは、別に良いと思うけど」

「あと、はい、これタオル。朝ごはん、ありきたり、ごめん」


 莉念りねんのしなやかな手からタオルを受け取り汗を拭く。こうして彼女と朝にあって話すと、心がざわざわするのに。

 俺の手が莉念りねんの手を掴んだ。

 どれだけ手入れに気を使っているのだろう。毎日夕食の料理をして水回りで手を使っていても、彼女の手の肌はきめ細かく綺麗だった。


「どう、したの?」

「なんでも無いよ。今日も綺麗だね」

「ふふ、そう? 用事が、あるから、もう行く、ね?」


 彼女はそう言い俺を置いて、先程見せた等身大の女の子とは違うお嬢様らしくゆったりとお屋敷に向かった。俺は初夏の風に揺れる綺麗な黒髪が家に入るまで見送ってしまった。

 印象深い中学二年生の頃より、髪は長くなり背も高い後ろ姿だった。


 莉念りねんが関わった朝食は確かにありきたりだった。ベーコンに目玉焼き、白米、味噌汁。

 味噌汁の具がわざわざ豆腐と茄子だ。いつもなら母は時短時短と言って、乾燥わかめを放り込むだけだ。本来はそれで良いと思う。

 母がニコニコと笑顔で、莉念りねんちゃんが昨日から用意したのを朝も手伝ってくれたのよーと自慢していた。

 俺は莉念りねんに朝ごはんの写真を撮って、美味しかったと礼のメッセージを送って満足する。


 バイトの準備を終えて電車に揺られて、改札をくぐる。スマホには彼女からのメッセージがひっきりなしに鳴った。電車が少々遅延をだして五分遅れているかだ。

 駅前について、彼女を探す。

 今日は日差しを気にしてか、一人の少女が日傘を差しながら綺麗な立ち姿で人を待っていた。

 俺は彼女の元へ小走りに近づいて声をかける。


「遅くなってごめ――」


 鳳蝶あげはが日傘を使って周りから一瞬顔を隠すようにして、俺の口を塞ぐ。すぐに舌が入り込んで、ぬるりと触れ合って離れた。ちろちろと鳳蝶あげはの唇からのぞいた美しい血色の舌が、するりと舐めるように口の中に納められる。


「もう、お待ちしましたわ、尚順さん」

「……ああ、遅刻してごめん。鳳蝶あげはの服装、今日は落ち着いていて綺麗だね」

「まあ、そうですか? 少々地味、ではないでしょうか。迷っていたんですけれど、先日の格好を見かけた母が、あまり華美過ぎないのを試して見たら? と言われましたので」

「なるほど。俺もその方が良いよ。清楚な鳳蝶あげはには似合う」


 先程の行為は全く清楚と言い難いが、鳳蝶あげはは絡まず遠巻きの関係になれれば清楚だ。俺には達成できないことだが、多くの男子達は高校では清楚な鳳蝶しか意識に無いだろう。もう激高した鳳蝶の姿も一ヶ月以上前だ。たかが一ヶ月、されど一ヶ月。

 穏やかに人当たり良く話しかける鳳蝶と毎日接していれば、幻のように印象が薄れていくものだろう。


 今日はラブホに連れ込まれる事無く、大人しく近くのチェーン店でおしゃべりするだけで済んだ。たったそれだけのことを安堵してしまう。

 最近は殿方にお出かけを請われるのが困ってしまうと、彼女の手がテーブルの上で俺に伸びてきて、指が絡まり合って互いの手をつなぎながら言われる。


「それは大変だね」

住道すみのどう家の次代として、そろそろどのような方とグループを見据えるのが良いか、よく年配の方から語られますのが、少々窮屈ですわ」

「いや、それは気が早いね。まだ高校一年生になったばかりなのに」

「本当にそうでしょう? 私も気が早いと断っているのですけれど、そのような年配の方の傍には総じて人がいらっしゃるんですの。

 必ず大学生や社会に出てすぐの社会人の殿方が多くて、せめて気が置ける存在の友人がいれば良いのですが、私がグループ関係者と話す時は、どうしても周りは一歩引いてしまいますの」

「まあ、話す大人は会社の偉い人だったりするから仕方ないね」


 小学低学年の頃、莉念りねん四條畷しじょうなわてのパーティーに行こうと誘われた時と同じイメージだろうか。

 変にその時の印象は残っているが、あまり何を話していたかは興味が無かったので会話の内容は覚えていない。

 年齢が上の大人に対して丁寧に対応していた少女が、ただの幼馴染じゃなくお嬢様なんだなぁとその綺麗な横顔をずっと見ていた気がする。

 近くに寄ってきた同じ年の男子に後ろからこっそり押されて、テーブルに正面から突っ込んだから、そんなことがあったと覚えているのか。


 俺が上の空だと気づいたのか、彼女の手が不満を伝えるようにギュッと握られて、自身の存在を伝えてくる。俺は記憶から現実に舞い戻り、目の前の青い瞳に向き合った。

 色を宿した瞳が俺に絡みつくように見つめる。


「私、どうしたら良いと思いますか?」

「難しいね。年齢で下に見られて、侮られるのはわかるよ。中学の時にもほんの二つ上の先輩から侮られて馬鹿にされることもあるんだ。

 子供だってそんな行動をするのに、大人がわざわざしてきたのを解消するのは、」

「そういうことではなく」

鳳蝶あげは

「なんですの、尚順さん」

鳳蝶あげは、落ち着いて、鳳蝶あげは


 何度か名前を呼ぶ。

 鳳蝶あげはが顔を赤くしもじもじしながら、自身の感情を落ちつけるように長く息をはいた。


「ごめんなさいですの、ちょっと嫌なことを愚痴にしすぎましたのね」

「うん、鳳蝶あげはも大変なんだよね。ごめんね、力になれないこともたくさんあるんだ。俺は友達でしかないから――」


 ガタンとテーブルが軽く叩かれ、コーヒーのカップがガチャンと大きな音を立てる。俺はその不快な音に眉間にシワを作った。

 それをどうとったのか鳳蝶あげはが慌てたように、俺の右手を空いている左手で撫でる。


「ごめんなさい、尚順さん、ごめんなさい」

鳳蝶あげは、大丈夫だから落ち着いて。ほら、手を握って」


 ぎゅうっとまた手が握られて彼女が落ち着こうとする。鳳蝶あげははたまにこうして俺が不満に思ってないかと、過剰な態度を見せるようになってしまった。おそらく嫌われる行動をしてしまったと考えて慌ててしまうのだろう。

 ……友人としてずっと関係を続けているのだから、もっと信用してほしい。

 彼女が我慢出来ないと言ったように告げる。


「あの、明日、あそこに行きたいですの、時間良いですか?」


 恥ずかしげに生娘なような顔をしながら、そんな淫らな事を言う鳳蝶あげはのお願いに、俺は優しさを貼り付けた笑顔を向けた。それで彼女が少しでも落ち着くなら、俺はできる限りの事を友達にしてあげた方がいい。鳳蝶あげはがそう望むのだから、叶えないとまた泣いてしまう。

 女友達とこんな事は全く良くない。その代わりなのか、表立って俺と華実かさね先輩の邪魔をしに来ない。不思議な状態だが、俺は彼女が今の状態でいくらか安定してくれるなら、こうして優しくしたほうが良い。


「今日はもう俺もバイトだからね。明日の朝だね、分かった。」


 俺は素直に彼女の願いを受けて、鳳蝶あげははホッとしたように手帳を開いて、ピンク色のボールペンで嬉々として印をつけた。

 前は手帳を俺に見られるのも恥ずかしがった。今では自分に疚しいところはないんですのとアピールですと笑顔で言って、なんとなしに俺の目の前で手帳を広げる。

 しかし、見ると仕事の顔合わせというメモとマークが多い。

 鳳蝶あげは自身が住道すみのどう家の一人娘として、将来に向けて各々の会社の役員と知己を広げているのがわかる。俺とは違う。

 落ち着いた鳳蝶あげはと、その後はゆっくりと話して俺はバイトに向かった。


 バイト先に訪れれば、今日は華実かさね先輩が丸宮まるみや店長と一緒に準備を始めた所だった。俺は安堵しながら、笑顔で声をかける。


「おはようございます、華実かさね先輩」

「ああ、いらっしゃい。今日もよろしくね」


 華実かさね先輩の明るい挨拶が俺の笑顔を作り物でなくしてくれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る