第68話 送り狼

 部室の扉を開けると、ソファに一人の少女がぽつんと座っている。その姿はどこか寂しげで、憂いに満ちていた。

 珍しく声に力がない。扉を締めた。カーテンも閉められている。


「やあ、尚順君」


 赤い瞳が不安そうに揺れながら俺を見上げた。春日野かすがのは居ない。俺はすっと彼女に近づいて、力を込めて抱きしめた。ビクリと華実かさね先輩の体が震えた。


「怒って、ない?」

「会えなくて、寂しかったです」

「ズルいなぁ、ズルい」


 俺は彼女を腕の中に抱きしめながら、キスをする。最初は優しく徐々に激しく舌を彼女の口内に入れて華実かさね先輩の舌と艶めかしく絡み合う。

 華実かさね先輩も舌でのキスがすっかり上手くなった。


「ぷはぁ。すごい、……嬉しい。良かった」

「怒らせてすみませんでした」

「ううん、私こそ、わがまま言って、ごめんね」

「たった二日なのに、好きな人に会えなくて寂しかったです」

「私も、寂しかった。こんなに私、寂しがり屋だと思わなかった。ねえ、尚順君、もう一回、キスして」


 活動日でない。そうであれば、春日野かすがのは来ない。だから、俺は華実かさね先輩と帰る時間に気づくまでお互いに満足するまで何度も何度もキスをした。時折外を歩く学生の声に、華実かさね先輩が震えるのを抑えこみ、ただキスをする。

 二人の体温が上がって息が荒い。俺は華実かさね先輩がこんなに淫らに綺麗な姿を見せるとは思いもしなかった。

 華実かさね先輩が熱っぽい吐息を俺にかけるほど顔を近づけて、ささやく。


「ねぇ、尚順君、えっち、したい」


 あまりに直接な誘いにクラクラさせられる。だけど、学校でそんな事は許されない。俺は華実かさね先輩を落ち着けようと、体を離れさせる。彼女が寂しげに笑った。


「ごめん、ちょっとダメだったね。部室だから」

「ここ、学校、なので」

「うん、本当は部室でキスもダメなのに。わがままして、ごめんね? もうしないよ。部室は、写真部は部活、だからね?」


 何故だろう。今まで見てきたどんな華実かさね先輩よりも淫靡な姿に見えた。舌がぺろりと唇を舐めて、彼女の口の中に収まる。

 時間を見て、慌てた様子の彼女が立ち上がった。


「か、帰らないと」

「ああ、本当ですね」

「……ねえ、尚順君」

「はい?」

「えっちしたいのは、ほんとだから」


 恋人からこんな直接的に言われれば、俺だってまた顔を赤くしてしまう。華実かさね先輩から直接誘われるなんて本当に思っても見なくて、驚いてしまった。俺はけれど、嬉しくて頷いた。


「……土曜日の朝、会えませんか?」

「うぅ、それなら、私、手伝いを、休むよ? えっちした後に家の手伝いで相手とずっと顔を合わせるなんて恥ずかしすぎる」

「構いませんよ。俺はちゃんと行くので」


 ズルい。ほんとズルい彼氏だよ君はと華実かさね先輩が言って来るので笑った。

 帰り道はいつもどおりの二人になった。俺が活動日に行けなかった理由を言えば、華実かさね先輩は苦笑いを浮かべた。しかし、その言葉は少々圧が強めだ。


「本当に尚順君は優しすぎないかな。相手を助けるのはわかるけど、気を使い過ぎだと思う。

 図書室で話した男子だって、話が終わったならすぐに切り上げても良かったんじゃないかな。

 買い物に付き合った男子だって、もっと別のタイミングがあったりしなかったのかな?」


 せんりと出掛けたのを俺は自然に男子と偽った。

 俺は華実かさね先輩の言い分に正しさも感じつつ迷った。目の前で頼ってくるクラスメイトを後回しにしても、別の華実かさね先輩との時間や写真部としての活動時間を、どこかで埋め合わせのように消費することになるだろう。それに俺は、……こんな俺を頼ってくれる人を少しでも助けられるなら優先しても良いと思った。


「すみません。でも、その時は一番時間を合わせられそうなタイミングだったの」

「もう、私の彼氏は人のために行動しすぎるんだよねぇ。でも、私も優先して欲しい気持ちはあるんだよ?」


 不満気に、けど自慢げな彼女の声が俺に笑いかける。外に出て並んで歩いて、少し良いかな? と自転車でいつもの分かれ道まで来た時に華実かさね先輩がいった。

 話したいことがあるのだろうか。

 不安を抱えながら、俺は華実かさね先輩の後についていった。


 ガランとした広場。ベンチも何もなく、小さな街灯があるだけ。お互いに自転車のサドルに起用に座りながら、俺は華実かさね先輩が口を開くのを待った。

 少々迷ったようにしてから、


「尚順君は、中学の時、遠畑とおはたさんと何か、あったのかな?」

「……何か言われましたか?」


 俺の顔を先輩が観察するようにその赤い瞳でじっと見つめる。顔は平静を保っているつもりだが、声は震えていないだろうか? 不安が来る。どこまで話したのだろう。


「いや、まあ、上からな態度で茶会に出ろっていうのと、私の恋人に対して、中学時代を知っているから忠告だって、あんまり心を許さないほうが良いって」

「すでに恋人同士のつもりですが」

「ほんとそう。遠畑とおはたさんは、なんというか、なんだろうね? 私に恋人がいるというのをわかる距離感でもなければ、知れる距離感の関係性でもないし。なのに、私が遠畑とおはたさんの言うことを優先すると思ってるんだ」

「……遠畑とおはたさんは」

「うん」

「中学が一緒だったんですが。ずっと前に幼馴染がいると言ったと思うんですけど」

「うーん、ああ、四月に一度だけ挨拶を無視された美人な子!」

「ははは、まあ、そうなんですが。高校では疎遠なんですけど、中学時代は一年間だけ被ってるだけの期間でも、遠畑とおはたさんから幼馴染だからって調子に乗ってるんじゃないと」

「ははぁ、つまり嫉妬」

「いやまぁ、そうかもしれませんね」

「しかし、たった一年被っただけなのによくそこまで嫌われたね」

「なんでしょう。相性? うーん、存在? 合わないんですよね」

「まあ、私も遠畑とおはたさんとは絶対に合わないよ。うん、分かった。なるほど。まあ、男の恋人でもない相手への嫉妬は醜いね」


 華実かさね先輩が苦笑いをしながら、そんな事を言う。俺は自転車をおりて、彼女に近づいた。どうしたの? と華実かさね先輩が不思議そうな表情をした。


「恋人の嫉妬は大丈夫ですか?」

「ぅえっ」


 彼女の手首を掴んで後頭部へもう片方の手を回して、唇を合わせる。合わせるだけでも、華実かさね先輩の体はくたっと力を抜いて俺の願いを聞いた。

 しばらくして唇を離す。


「こ、こんな外でなんて、誰かに見られたら」

「大丈夫ですよ、多分」

「多分じゃないか! もう」


 両手で口を隠す華実かさね先輩がしばらくしてから顔をうつむかせながら、呟いた。


「もう今日だけで、もしかして一ヶ月分のキスしちゃったんじゃないかなぁ。もう」

「はははは」

「でも、嬉しいよ。あんな美人な幼馴染がいるのに、私を好きになってくれて」


 恥ずかしそうにしながら、元の道へ戻る華実かさね先輩の今日の晩御飯について話をきく。冷蔵庫の中身がスッとすぐに出てきたから、やっぱり彼女は日々作っている。偉いな。エプロン姿でキッチンに立つ姿が見てみたいなと内心で思う。

 分かれ道に戻ってきて、華実かさね先輩がまだ片手で口元を恥ずかしげに隠しながら言う。


「送り狼はごめんだよ。じゃあ、またね」

「はい、また明日」


 人に向かって二人きりの空間でえっちしたいと言ってきた口で送り狼はごめんとは、華実かさね先輩は不思議なことを言う。

 華実かさね先輩が恥ずかしさをごまかそうとするように自転車を勢いよく走らせて遠ざかっていく。初夏の風をぐんぐんと切り裂いて見えなくなった頃、俺も家に向かって自転車漕いだ。

 土曜日の朝は、鳳蝶あげはの約束を上手く断らないと。

 そんな事を考えながら、自宅の玄関をくぐると、いつものように幼馴染が俺を出迎える。


「おかえり、尚順。……うーん、キスして?」


 靴を脱いで廊下に立った俺をじっくり見て、莉念りねんが蠱惑的な声をさせながら俺の耳元でそんな事を言った。俺はちらっとキッチンの方を見やり誰も出てこないのを確認してから、莉念りねんを強く抱きしめながら、舌を口の中に差し込む。


「んぅっ」


 甘い声を必死で我慢した莉念りねんの舌と絡んで、すぐに体を離した。

 莉念りねんがまた耳元で俺にささやく。


「ご飯のあと、部屋で、ね?」

「良い、のか?」

「むふっ。幼馴染、触るの、良いよ?」


 そんな事を言う莉念から逃げるように話題を変える。


「今日のご飯は?」

「ふふ、知りたい、なら。早く、着替えて、降りてきて?」


 俺は素直に頷いた。確かに俺は送り狼だった。華実かさね先輩の家まで送ったら、きっと誘われた興奮で、危なかっただろう。今みたいに好きな人に、莉念りねんに誘われて、過剰に手を伸ばしてしまった。

 でも、恋人じゃなくても莉念はそれを受け入れる。


『幼馴染だから』

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