88話 華実「普通って何?」

 恋人をベッドに押し倒して、抑え込む。華実かさね先輩は困惑顔を俺に向けた。終業式が終わり、夏休みが始まる日だった。


 華実かさね先輩が俺を捕まえた。今日は活動も無い。本当は鳳蝶あげはと出かけるつもりだった。昨日、写真部の撮影旅行でも同じところに行けるようになったと夜の内に連絡したから、鳳蝶あげはと会って細かくスケジュールの調整しようと思った。

 しかし、華実かさね先輩がエッチしたいと俺を捕まえたので、俺はセフレよりも恋人を優先すべきだから、華実かさね先輩のお願いを聞いた。


 鳳蝶あげはは寂しそうだった。俺は彼女の気持ちがわかってしまう。だから、セフレでも彼女を慰めたい。でも、恋人を優先しないといけなくて、鳳蝶あげはを傷つけて、その気持が分かって俺も傷を生んでしまう。


 こんな風に、事前に予定があると伝えても、最近の華実先輩は恋人の私の言うことを聞くよね? と予定をキャンセルさせてくる。

 俺は恋人と付き合う難しさに直面させられた。


 誰も居ない華実かさね先輩の家は静かで、彼女の部屋に入って、すぐに華実かさね先輩を彼女のベッドに押し倒して向き合う。シャワー浴びるまで待って、と言った彼女の赤い瞳が俺を吸い込んでいく。


「ど、どうしたの? そんなにしたかった?」

「……話を聞いて貰うためです」

「話って、何?」

「夏休みにはいる前に、もう一度、もう一度ちゃんと話したいんです。恋人に、俺の思い出を大切にしてほしい気持ちを、わかって欲しい」

「いや! 嫌だよ! 嫌だって言ったじゃ――んぅ」


 キスをして彼女を黙らせる。バタバタと暴れる彼女の頭を撫でながらキスをしたら、くたりと身体の力が抜けていく。


華実かさね先輩、聞いてください」

「どうして? 私、傷つけて嬉しい?」

「写真部に入った時、俺の話を聞いてくれて嬉しかったんです。思い出を大切にしてるってことを、部活で先輩と話していく中で分かってもらえて」


 俺の写真を見て、それまで莉念りねん春日野かすがのも、写真を見せてもいい写真が撮れたかどうかしか答えてくれなくて、俺が写真を撮る意味も意義も考えてもくれていなかった。

 何気なくなのかもしれない。でも、華実かさね先輩が思い出を大切にしていると言ってくれて、俺は心を覗き込まれた気がして怯えながらも、彼女に惹かれたんだ。


「私も君に出会えて嬉しいんだよ、好きなんだよ。愛してる! だったら、私、恋人の話で嫌な気持ちになりたくないよ。手、離して。普通にエッチしてよ」

「俺は! ……俺は華実かさね先輩と恋人なら、もっと普通に付き合いたいんです」

「普通って何? エッチするでしょ。恋人なら、そっちのほうが良いでしょ。エッチしてる写真だってたくさん撮ってるよ。私、私の身体気持ちよくないのかな? ま、満足できないのかな!? やっぱり――」

「違う。俺は、こういうエッチだけで終わるんじゃなくて、旅行の後からしていた放課後デートや二人きりで静かに過ごしたいんです」


 俺の言葉に華実かさね先輩は泣きながら首を横に振った。なんでだろう。どうして、あの頃は分かってくれていたのに。


「わかんない、わかんないよ! 私、私じゃ気持ちよくなれない? いつも気持ち良いって、好きだって言ってくれるの嘘なの?」

「嘘じゃない、嘘じゃないんです。華実かさね先輩、好き。好きだから、俺と話を、俺と話をしましょう」

「話って! 嫌だよ! 尚順ひさのぶ君と二人きりで話はしたくない! エッチしたい! 繋がってたい。愛してほしいんだよ!」


 何だこれは。俺は押さえつけていた彼女の拘束を緩めた。二人きりで話したくないって、それなのに恋人なのか。俺は恋人が何を望んでいるかわからなくなった。

 力の抜けた俺を見て、華実かさね先輩が俺を押し倒す。俺は彼女の望みを叶えるために、素直にベッドに寝転んだ。嬉しそうな顔を恋人がしてくれて、先程の泣き顔がなくなったのにホッとした。

 唇が合わさり、俺が喋るのを封じ込められた。

 口が離れて、俺が声を発しようとすると、彼女のハンカチが詰め込まれる。


「……話さないで! エッチしよう? 愛し合おう。言葉なんて要らないんだよ。繋がればこんなに愛を確かめられるって、君が! 君が!! 君が!!! 尚順ひさのぶ君が教えてくれたんだ。

 君が、初めて、二人きりの旅行で、初めての告白で、初めてのキスで、初めてのエッチで、教えてくれたんだよ。君が教えてくれた」


 俺は動けなくて、それを彼女は良いんだよ、動かなくていいと笑顔で受け入れる。ベッドの横にあるのに、ゴムも付けない。俺は抵抗しようとして、恋人の言葉を思い出した。彼女も俺が手を伸ばそうとしたのを、まるで叱るように叩いた。驚きで彼女を見やる。

 動かないで、喋らないで――。


「愛してる! 愛してるよ、尚順ひさのぶ君」


 俺の上で座った華実かさね先輩が、俺を見つめながらさらに熱っぽく叫んだ。


「私が! 私が君の一番なんだ。私が恋人なんだ。愛してる、尚順ひさのぶ君。言葉は無くても君の気持ちはちゃんと伝わってるから、大丈夫だよ。喋らないで、喋らなくていいよ。

 ああ、愛してる!!」


 こんな綺麗で可愛い人が恋人なのに、俺は悲しかった。こんなに恋人が愛を伝えてくれるのに、寂しくて悲しかった。



 ひと通り事が終わって、彼女が俺の身体の上で満足気に倒れ込む。その身体をぎゅっと抱きしめた。ハンカチを口の中から取り出しても、俺は喋らなかった。恋人が喋らないでと言ったからだ。

 好きだと言えない。愛してると言えない。

 涙をこらえて俺は彼女を抱きしめる。

 それを嬉しそうに受けて、裸の華実かさね先輩が身体を震わせた。


「好きだ、尚順ひさのぶ君。はなさないで」


 あなたを離したくない。なのに、俺は華実かさね先輩と恋人で居る意味を失っていきそうで、辛くて、必死に抱きしめる恋人の体温を確かめていた。


 写真を撮るのが好きなあなたは居なくなったのだろうか。

 そういえば、俺の写真への感想もすっかり、綺麗に撮れたね、や、上手く撮れてるね、ばかりになった。目をそむけていた。写真の話をしたい。

 恋人でありたい。

 思い出を大切に積み上げて残していきたい。


  φ


華実かさねside


 響花の言ったとおりだった。

 ゴムをつけないと尚順ひさのぶ君はさらに満足してくれる。私のお願いを聞いてくれる。私はぎゅっと力強く抱きしめてくれる彼に嬉しくなった。

 今日はもうへろへろだ。……明日からもっとしよう。伝わってくる。私を愛してるって伝えようとする彼の気持ちが。

 だから、もっと頑張ろう。受け入れよう。

 もうなんにも要らないんだ。

 明日から夏休みで良かった。しばらく教室の男子たちと合わなくて良い。私を嫌う女子にも合わなくて良い。たった半日の終業式の日でさえ私をどうして攻撃できるんだろう。


『はっ。恋人ってどこのどいつだ? 人を見る目がないな、みっともないと思わないのか』

『写真部で頑張ってたのに、俺たちバカにしてたんだろ』

『男に媚び売るの、他に男作ったなら、いい加減そういうの辞めたら?』

『あの、……わざわざ部活引退する人に会いに行って、色目使うんですか? 私の、彼氏に色目、使わないで』


 違うのに。どうして。

 尚順ひさのぶ君、好き。離さないで。


「好き、好きだ。尚順ひさのぶ君。愛してる。愛してるって、愛してるって言って」

「愛してる、愛してます、華実かさね先輩」


 良かった。こんなに君が私を愛してくれる。それだけで、それだけで良いんだよ。


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