96話 私のベッドまで来て


鳳蝶あげはside


 露天風呂から外を見ていると、疲労がずっしりと身体に落ちてくる気がした。新しい高校の生徒会長は大変面倒だった。これから四條畷しじょうなわてとの学校内でのお付き合いをどうしましょうね、ふふふ、と何故か裏方で暗躍するみたいな事を言い出すのだ。


 学校で派閥争いなんてしたって意味がないのではないかとずっと思う。だって、高校に通っている大半は四條畷しじょうなわて住道すみのどうも、家庭に関係のないただの学生でしかない。

 私を見る目も、住道すみのどう派閥の学生たちの視線とは全く違う、お金持ちのお嬢様らしいねと言った具合だ。……綺麗だから、彼女にしたいという半分ナンパのようなレベルでお声を掛けてくる男子たちもいて、ご迷惑ですけど。


 チャプチャプとお湯を弄ぶ。


尚順ひさのぶさんは来ないでしょうか?」


 背後の浴室に続く扉を見るが、当然そのガラスの向こうにあの細身でもしっかりと筋肉のついた身体をした尚順ひさのぶさんが来ることはない。まあ、来られても嬉しさと恥ずかしさで死んでしまう。


「まさかあんなに喜ばれるなんて」


 会えて嬉しいと、あれほど熱烈に喜ばれて抱きしめられて、久方ぶりに四月の頃の気持ちを追体験するぐらいにドキドキしてしまった。お風呂に入って無くて密着して抱きしめられたのは、本当に恥ずかしかった。

 いい匂いしかしないよといいながら、首元に彼の顔が密着して、もう顔から火が出るとはこのことだと理解した。


「どうかしたのでしょうか」


 尚順ひさのぶさんが変だとは感じていた。嬉しいけれど、ひどく彼が寂しそうに感じられた。嬉しい。嬉しいけれど、彼が何故こんなに私にわがままを言うのかよく分からなかった。

 これまではずっと、そういうのはダメだよと言った具合で、彼は穏やかで距離があった。なのに、急にこんなに好きな人から距離を詰められて、ドキドキしない女は居ないだろう。


「……お話したいと言っておられたのに、出来てませんの」


 尚順ひさのぶさんは話がしたいと言っていたのに、結局皆さんと会話してばかりで尚順ひさのぶさんと話せなかった。夜、寝る前に時間でも、と思いながら、時計を見るとそんな時間はなさそうだなと思えた。

 私自体は余裕があるけれど、写真部のスケジュールを聞いたら、明日の朝は早めの時間に浜に降りて写真を撮る人がいるとも言っていた。


「先日に見せてもらいましたが、思ったよりも、大変ですのね」


 撮影旅行というのも、ほぼ遊びだと思っていた。一日目は遊びになっていたが、二日目はすることがびっしり書いてるノートを見て、こんなに撮影活動をするんだなと感心したものだ。

 尚順ひさのぶさんの撮影モデルが、あの丸宮まるみやさんだけでなく、井場さんというのにメラメラと嫉妬が燃え出てしまう。私がモデルになって、彼の視線を独占したい。

 だが、住道すみのどう鳳蝶あげはにそんな時間は無い。


「……少しでも会えて良かったですわ。それだけでも喜んで過ごしましょう」


 私はゆっくりと露天風呂から出て、浴衣を着て髪を乾かしてから居間へ向かう。居間では先程まで離れていた春日野かすがのさんが机の傍に来ていたが、こっくりこっくりと船を漕ぎ出していた。


「どうかしまして?」

「ああ、写真部の旅行の写真を撮って、鳳蝶あげはも入った旅行の写真を撮ろうと思ったんだけど、春日野かすがのがもう半分寝ちゃって」

「まあ、申し訳ありませんの。思ったより長湯してしまいましたわね」

「明日も撮れるんだし、大丈夫だよ。ごめんね。ほら春日野かすがの、ベッド行くよ」


 尚順ひさのぶさんが半分眠りこけている春日野かすがのさんを優しく抱き起こして、支えながら運んでいく。

 お姫様だっこはさすがに無理ですわよね。実はできるんじゃないかと期待してしまった。それを見たら、嫉妬もするだろうが、自分もしてもらえるようにお願いしたかもしれない。

 私のキラキラした目に誰も気付かなかった。


「私達も寝ましょうかー。部長、住道すみのどうさんおやすみなさい~」

「そうだね。明日も早いからね。井場さんおやすみ」


 部屋が別れている関係上、廊下でおやすみと挨拶して、それぞれの部屋に入る。

 私もいそいそとこのある意味できまずいような、あまり関係のないような女性と一緒の部屋に入った。

 しかし、彼女は私に興味がなさそうにベッドへ倒れ込み、スマホをポチポチといじる。

 私としても特に話すことも無いので、構わなかった。柔らかなベッドに身を預ける。


「それじゃあ、電灯絞るね」

「はいですの」

住道すみのどうさんおやすみ」

「おやすみなさいですの」


 私自身やっぱり疲れていたのだろう。部屋が薄暗くなるとすぐにうとうとしてきた。


  φ


折川おりかわ尚順ひさのぶside


 各々がベッドへ行った。俺も和室に行って、敷かれた布団で眠ろうとしたところで、華実かさね先輩から、部屋に来てとお願いがあった。何かあったのだろうか。


『どうかしました?』

『助けて。静かに私のベッドのまで来て……』

『なにかありました?』

『恋人を助けてくれないの?』


 そこまで言われたら俺は本当に心配になって、華実かさね先輩の様子を見に行く。スライド式の扉を静かに開けば、薄暗い部屋の中で、ベッドの上にぺたんと座り込んで、こっちを見ている少女がいた。

 小柄な体躯に銀髪と赤い瞳。赤い瞳が光るはずもないのに、爛々と輝いて俺を見ている気がした。

 ベッドで女の子がこんな風にぺたりと座り込んでいる光景は、莉念りねんが泣いている姿を幻視してしまう。俺は心配が大きくなって、華実かさね先輩に近づいた。ギシリとマットレスのコイルが鳴く。


 まだ目がなれず、表情は読み取れないが、もしかしたら泣いているのかもしれない。


華実かさね先輩」


 俺は少女のしっかりと抱きしめた。辛いことがあったのかもしれない。泣きたいことがあったのかもしれない。そんな時はこうやって抱きしめあって、慰め合うのが――。


「エッチしてよ、尚順ひさのぶ君」


 どうして?


 俺はもう一つのベッドを見る。鳳蝶あげははもう寝ているようだ。


「なんでそこで住道すみのどうさんを見るの?」

「だって、すぐ傍で寝ていますから」

「……ねえ、恋人よりも住道すみのどうさんが優先なの?」

「違います。恋人の、華実かさね先輩が、優先、です」

「だったら、エッチしてよ。エッチしたいって恋人が言ってるんだから、エッチしてよ」


 恋人がエッチしたいと言ったら拒否しないでと、華実かさね先輩はずっと言っていた。……俺は、俺はどうすればいいんだ。拒否して、


「拒否しないで、私、辛いよ。エッチしてよぅ」


 泣かれてしまう。ごめんなさい。傷つけてごめんなさい。何度も傷つけてごめんなさい。だから、泣かないで。


「ご、ごめんなさい。エッチします。華実かさね先輩、好きです、愛してます。だから」

「良かった、良かった。エッチして、尚順ひさのぶ君」

「でも、人がいるから、声を出さないで下さい」

「うん、我慢するからエッチして、尚順ひさのぶ君」


 俺は華実かさね先輩の浴衣を開けさせた。嬉しそうな華実かさね先輩の声が俺の鼓膜を震わせた。


「ゴールデンウィークの時みたい、だね?」


 初めて告白した日、初めてキスした日、初めてエッチをした日。だけど、あの時ほどのドキドキも喜びも俺には無かった。華実かさね先輩の耳元で俺は懺悔するように小さな声で告げる。


「好きです、愛してます」


 そして、彼女を抱いて、……彼女は約束を破った。


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