第32話 二人の少女が望む事
唯彩side
朝、スマホが鳴る。そろそろ散歩に行く時間だ。うん、今日も薄くバレないレベルの化粧はバッチリ。スマホを確認すると、あたしのテンションはありえないぐらい下がった。
『今日は体調が悪いから休む。ごめん』
ひさ君からの簡素なメッセージだ。朝一緒にする散歩だけでなく学校も休むのだろう。あたしは低いテンションのままコンタロウの散歩をこなす。コンタロウはあたしのテンションの低下なんて知らん顔で、楽しそうに春と夏の陽気の間の道をトテトテと軽快に歩いて行く。
きっとあたしもいつもはこんな軽快なんだろう。
一人だとつらつら要らないことを考えてしまう。どれほどあたしがひさ君から大事にされていると言っても、あーちゃんがあんな態度をひさ君に見せていると不安になる。そりゃあーちゃんは綺麗でお金持ちであたしと全然と違うだろうけど、ひさ君はそんなもので相手を選ぶはずがないから、そういうことではない。
もっと時間をかけて仲良くなって順調に意識しあって恋人同士になって、そんな夢想を出会った時から少しの期間はした。けれど、所詮初恋のあたしには、順調に意識してもらうって何? という気持ちだった。頭を撫でてアピールは、ネットで調べたら男が好きな女性にしたい愛情表現とか書いてあった。
けれど、それはあたしが頭を撫でられたいという事でもあって、釣り合っているはずなのにどうにもあたしばかりアピールしている形になっている気がしている。
「あ、もう終わりかー」
気づいたらな~んにも考えず散歩ルートを巡って家にたどり着いていた。コンタロウを庭に繋いで、あたしは家に戻る。
家の中は静かだった。
キッチンの流しに出ていた両親の朝食に使った食器がある。冷蔵庫を確認すれば、ちゃんと冷蔵庫の扉の前にあるホワイトボードに書いた通り朝食が食べられていた。
両親の顔をまた最近見ていない。家の事をきちんとやりなさいと昔習ったが、あたしがきちんとやらねば荒れ放題になるのが我が家なので、ある意味母は正しかった。
あたしも自分の分の朝食を温めて食べて、今日もゴミの片付けやゴミ出しを済ませる。家はひんやりと物寂しい。
鍵をしめて、コンタロウに声をかける。
「いってきます」
「ワン!」
コンタロウだけがあたしに挨拶を返してくれる。あ、違った。
「今は毎朝、ひさ君が挨拶してくれるもんね。今日は無かったけど」
自転車でゆったりと進む。金髪が風でなびいて形が崩れるが、今日はひさ君と会えないのでかなりどうでも良い。
教室につくとひさ君から今日は来ないとあーちゃんも連絡が受けていたのか、どことなくしょんぼりした顔のまま、クラスメイトの男子学生に話しかけられていた。どことなく上の空で空虚な受け答えをしているあーちゃんに、声をかける。
「あーちゃん、おはよう」
「
「
「何の話?」
「
「ふーん、あたしはバイトだから無理だし。あーちゃんは?」
「私も先程、家の予定があるから無理ですと伝えたのですけれど」
「ってことで、ごめんねー」
「ちょちょちょ、
「学級委員長としてですの」
「ごめーん、あたし、毎日バイトなんだし。また今度ね!」
「お、おう、毎日バイトか。働きすぎんなよ。しゃーない。
「学級委員長として言われるとそうなのですが、本当に用事があるので無理なので、申し訳ありませんわ」
「ちぇ、そっかー。まあ、また今度な」
がっくりと肩を落としてクラスメイトの男子が、こっちを観察していた男子たちの輪へ帰っていった。その輪は彼の話を聞いて、ずぅーんと言った具合だ。まじかよーとかなんとか話している。その輪に女子がいないのに私達以外は誰を呼ぶつもりだったのだろう?
「あーちゃん、そんなに忙しいん?」
「えーっと、そうですわ。
「あー、私はしたいこと家族の予定も無いから、一番充実するバイトしよっかなって。それに今バイト頑張ったら夏休みに、しっかり遊べるぐらい貯金できるはずだし」
しっかり遊ぶなんてほぼ嘘だ。ほとんどのお金は遊ぶためではなくもしもの時のために貯金してある。私の大切なものが傷ついた時にお金の問題にしたくないから。
「
「それで、あーちゃんはひさ君をどうしたいん?」
「え?」
「だって、金曜日に誘ったよね」
「えっと、あの、その」
彼女はとても困った顔をしている。そんな顔をするなら、私の前であんなことしてほしくなかった。そう思ったけど、あーちゃんは周りが見えなくなっているだけなんだろうな。
「あーちゃん、約束してほしいし」
「約束、ですの?」
「うん、学校ではあんなの止めよう? 私も困っちゃうし、ひさ君も困らせちゃうでしょ? 私達友達になったのに、あーちゃんが家の事を持ち出して会話しちゃうと私も困っちゃうよ」
「それは、そうですわね。金曜日は本当に申し訳有りませんでしたわ。私も家の事を出さないと尚順さんと話していたのに、あんなことを」
うん、これでよし。私はにっこりと笑ってあーちゃんの手を握る。仲良しの握手は大事だよね。
あーちゃん手は女の子らしく細くしなやかで、私の水回りの家事で生まれるような手荒れとは無縁なすべすべとした肌をしていた。真っ白な肌はお嬢様らしさを感じた。
「あーちゃん、仲良くしようね」
「そうですわね。ありがとうございますの、
ひさ君がいるとあーちゃんはこんな単純な話もできなくなっちゃうから、私がひさ君をもっとしっかり助けないと! 仲直りも出来たし、学校で変な噂になるような機会もこれで減るんじゃないかな。自席に戻れば、クラスメイトたちと雑談しながら、体の中に億劫さが積もっていく。
ひさ君が居ない学校は、ひどく退屈なんだと良く分かる一日だった。
気づけば一日が終わった。私はもそもそと鞄に文具を片付けて帰り支度をする。今日一日、尚順さんが居なかった。彩りを感じられなかった。珍しくクラスメイトの複数の男子と会話した気がするが、あまり興味がわかなかった。
ゴールデンウィークは忙しいですのと断っているのに、どうして代わる代わるこの連休は予定がない日があるのか聞くのでしょう?
別のクラスの男子が、姿を見せて私に声をかける。
「これから校舎裏まで来てくれないか」
「帰るのでお断りいたしますわ。それでは」
「ま、待ってくれ!」
「お話されるならここで伺いますわ」
「くっ!」
顔を赤くして、キョロキョロとまだ教室に残っている学生たちを威嚇するように睨んでいる。私はもう鞄をつかんで一歩踏み出したところで、彼はようやく諦めた。
「ゴールデンウィーク、映画でも見にいかないか。今人気の」
「連休中は忙しいですの。それではごきげんよう」
私はバッサリと切り捨てて、教室を後にする。退屈な帰宅道、空っぽで空虚な空気がまとわりつく道路は私の中学時代を思い出させた。
「
知らない人物がいきなり告白してくる。遊びに誘う。
「
「
「
舐めますように体に視線を寄越して、馴れ馴れしく呼ぶくせに紳士を気取って話そうとする知人たち。
父も母も、笑顔で私に釘を刺す。
分かっている。私はちゃんと理解している。けれど、そんな愚直なルールを有無も言わさず壊されてしまったら、私は拒否をする術を知らなかった。
するりと懐に入り込んできて、けれど何一つ不快な視線を寄越して来ない。不安があれば相談できる。
家の事知っていて、けれど媚びることなく欲にまみれず。まるでフィクションのように清い存在としてただ傍に立ってくれる。過剰に歓心を引こうするような手を伸ばしてこず、私を優先せず、けれど私を大切にしようとする。
きっと彼のような人こそが、父と母が望んだ相手だと、私はようやく理解した。
だから、私は彼が欲しかった。どうしたら手に入るのだろう。どうしたら誰の者でもなく私の者となってくれるのだろう。
婚約者という噂はある意味で青天の霹靂だったが、私にその手があったのかと思い知らされた。
けれど、覚悟の無かった私はそれをその場では否定し、父も相手を見極めていない時に受け入れるはずもなく、噂は噂として処理させられた。
だから、
「体調が悪くておやすみ……。連絡しても良いのでしょうか。お声が聞きしたいのですわ」
夜、ベッドの上でスマホの画面でじっと彼とのトーク画面を開いたまま私は何度もそう呟いては、迷惑をかけては、けれど。と迷って迷って、時間が遅くなりすぎて諦める。
ああ、情けない。こんな不安や緊張を解消するために、これまで彼と夜に連絡をしてきたはずだったのに、私は連絡することが出来なかった。
『体調大丈夫ですの?』『明日は来られますの?』『美術館の特別展のチケットがありますの。良ければお時間作ってもらえませんか?』
書いては消して書いては消した。
恋人であれば、送ることが出来たのだろうか? 小説や漫画では恋人という立場のキャラクターであれば、体調が悪い相手の見舞いをするなんてシチュエーションもあった。けれど、私達はまだお互いに好きと言い合えた恋人ではない。
バイトがなければ、私のパーティーがなければ、彼をデートに誘うのに。
体調が悪いというだけで連絡を送る勇気がへなへなと掻き消えてしまうのに、私はそんな妄想を考えていた。
行ってくれると言葉をもらえたのに、未だに博物館や美術館に誘えていない。ああ、ゴールデンウィークであれば、私が都合さえ付けば行けたのでは無いか。
「尚順さん、早く名前を読んでほしいですの」
言葉は彼に届くことなく、夜の闇へと消えていった。
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