第2話 朝の救出劇

 四條畷しじょうなわて家と折川家で俺と莉念りねんの入学お祝いをした後、俺はいつもなら立ち寄らない莉念りねんの部屋にいた。

 送ってくれと頼まれたからだ。

 広々とした部屋はお嬢様らしい部屋の広さだが、部屋の飾り立てに興味が無いと伝えるように、莉念りねんの部屋は生活必需品と女性らしさの乏しい落ち着いた部屋づくりになっている。


「色、なんか落ち着いた雰囲気の部屋だな」


 思い出にある莉念りねんの部屋はもっと、女の子らしかった気がする。確かに今の部屋と同じようにぬいぐるみなどはなかったが。

 壁沿いに置かれたドレッサーと甘い香りのディフューザーが、ここが女の子の部屋だと俺に主張している気がした。


「あんまり、過ごさないから。尚順の部屋と、おじいちゃんに言われて向かう本家の方が、よく過ごす」

「そっか」

「尚順、教室、迷惑だった?」

「そんな事はない、けど」

「けど?」


 俺は言葉を濁して、わざとらしく時計を確認した。

 なんだかこの部屋自体が莉念りねんにとっても、俺にとっても余所余所しい空間に感じられた。


「帰る? 送ってく」

「お隣だろ」


 莉念りねんは俺が帰るという態度を見せたことに、大人しくベッドから立ち上がった。


「でも、」

「じゃあ、また明日な」

「明日、私、朝早い。会えない、かも」

「合わない時はよくあるから気にすることじゃないよ。タイミング合えば、会おうな」


 俺はそんな事をいって、彼女の部屋から出ていった。

 ゆっくりと屋敷の玄関から門までの道を歩いて、ふと振り返って屋敷の方へ向いた。

 久々の莉念りねんの家に訪問したからだろう。昔みたいに、窓から幼馴染がまたねと言った具合に手を振っていた。

 家の大きさも彼女が姿を見せる窓の位置も違っても、俺は彼女に昔みたいに軽く手を振った。そして、少しだけ後悔してから、自分の部屋に帰った。


 スマホが通知で光る。わざわざお隣なのに莉念りねんがメッセージを送ってきていた。

 俺も彼女へおやすみと送り返して眠りについた。




 春の朝を体力づくりのためにランニングする日課をこなす。写真を撮るということが想像以上に体力を使うと学んで、俺はバスケ時代も続けていた朝のランニングをあれから改めて復活させた。朝の空気が走り続ける俺を気持ちよく撫でていく。車道に走る車は少ない。

 

 その先の植え込みがある場所に柴犬が軽快に、トコトコ歩いているのが目につく。ふわっとした毛並みが整っており、大切にされていることがわかる可愛い柴犬で、野良では無いことがすぐに分かった。

 リードを地面で引きずりながら、優雅にとてとてと歩いているが、その側に飼い主の姿は全く見えない。

 

 俺はそんな光景をみて飼い主はどこかなと思いつつ、変に刺激しないように近づく。車の通る頻度は少ないとはいえ、動物はいつだって急に飛び出すのだ。それが車が来たタイミングと合致してしまえば、どうなるか分からない。


「車がそばを走るから、一人だと危ないぞーと。あ~~ま、待て!」

 

 ゆっくりと道路側を背にしながら柴犬に近づくが、俺が待てと言っても、飼い主でない人間の声なんて聞こえない、と言わんばかりに柴犬が動く。

 俺の気遣いなど無視するように、道路の向こうへ視線をやったかと思えば、車道に飛び出そうと足早に動き出していた。俺はその動きを見た瞬間、反射的に動き出していた。

 今にも柴犬が道路に飛び出さんとしたところで、俺は朝一番の気合を入れて飛ぶ。足がアスファルトの道を強く叩いた。


「まてまてまて! さすがにまずいって」


 柴犬が引きずったリードに必死に手を伸ばして掴み取る。ギュッと指がリードを掴む感触に背中が冷える。

 さすがに朝から生き物の命が危険にさらされるのを見過ごすのは寝覚めが悪すぎた。しかし、リードの長さの分だけ、柴犬は車が行き交う道路に顔を出しかねないゆとりがあった。


「セーフ!!!」

「ワン!?」


 柴犬がリードが少々強く引っ張られてしまった影響で鳴き声を上げる。ここで緩めると道路に飛び出しかねない。車にはねられるよりマシだ。


「俺は怖くない怖くないぞ~」

「ワンワン!」


 俺は心を鬼にして、ゆっくりとリードを緩めないように柴犬を引っ張りながら俺自身も近づいていく。

 不満をぶつけるようにこちらを見て吠える柴犬に、よーしよしと声をかけながら、ようやく抱き上げることに成功する。リードだけでは、いきなり変な方向に走り出されても咄嗟に反応出来ない。


「飼い主なら、待て! で待ってくれるんだろうなぁ」


 腕の中にすっぽり入った柴犬はキャンキャンと抗議の鳴き声を上げるも、俺の害意がないのが伝わったのだろうか。

 いくらか時間が経てば、しゃーないなと言わんばかりに俺の腕の中で大人しく周りをキョロキョロ見回し始めた。


「よしよし、賢いんだな」


 頭を撫でられ慣れているのか、俺が撫でると目を細めていた。

 しっかりと手入れをされている毛並みが肌に触れる。

 俺も一匹の尊い命が助かって一安心だ。朝から寝覚めの悪いことにならなくて良かったと安堵のため息が漏れる。

 耳がピクピクとあちこちに動き回る。飼い主を探しているのだろうか?


「お前の飼い主はどこなんだ?」


 近くに飼い主が居ない場合、さてどうするべきか。腕の中にいる柴犬がのんきに歩いてきた方向の道をまっすぐ行った方が良いのかな、そんな事を考えて、ゆっくり歩き出す。

 景色が変わる事に反応してか、偶に腕の中で柴犬が、俺も歩くぜ! と言わんばかりに足をばたばたさせるが、足が地面につかないことに気づくと大人しくなった。


「すみませーーーーん!」


 しばらく歩いて行くと、離れたところにある横断歩道を走りながら渡ってくる女の子が目に見えた。

 手を大きく振る少女と、すみませーんという声に、腕の中の柴犬がわんわんと反応する。わかりやすい。


「コンタロウを捕まえてくれてありがとうございます!」


 染めた金髪がきれいな少女が息を切らせながら、走り寄ってきて、大きくお辞儀をした。キラキラと朝日を浴びる金髪は、黒髪だった中学時代のクラスメイト達とは全く違う印象を俺に与えてくる。

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