第153話 08


 薄暗い廊下を歩いていると、〝影のベレグ〟は半地下になっている部屋を見つける。彼は立ち止まると、階段の先に見える暗闇に耳を澄ました。人気ひとけはないが、逃げ出した僧兵が潜んでいるかもしれない。彼は周囲の動きに注意しながら、短い階段を下りていく。


 部屋は薄暗く、壁掛け燭台しょくだいあかりが床に暗い陰影を落としていて、部屋全体に重苦しい雰囲気を与えていた。一歩踏み出すと、埃が舞い、部屋全体がその埃臭さに包まれていく。


 壁や天井の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされていて、埃が堆積したテーブルや家具の様子から、人の出入りがなかったことが考えられたが、どうもキナ臭い。


 どこかに隠し部屋があるのかもしれない、蝋燭ろうそくに火がともっていることを確認したあと、ベレグはその燭台を手に取り床面に近づける。 


「やはりな……」

 床面の埃に点々と残された足跡を追って壁に近づく。注意深く眺めると、経年劣化によってひび割れがあり、一部が欠けているのが確認できた。ベレグはそうした欠損部分や亀裂に注目し、それが隠し扉や何かしらの仕掛けの手がかりになると考えた。明らかに不自然な壁だったのだ。


 壁面を指先でなぞることで、微妙な違いや突起がないか調べることにした。

「気がすすまないが」

 ベレグは緊張した表情で壁面をなぞり、壁の質感や凹凸を感じ取るため集中しながらわずかな違いを探す。部屋の存在を隠すために意図的に壁を傷つけたのかもしれない。


 傷跡や欠けそうな部分を念入りに調べていると、腰の高さほどの位置に拳大の穴を見つける。


「これだな」

 燭台を近づけると、古い縄が厳重に結ばれているのが見えた。その縄を引っ張ると、壁の反対側で何かの仕掛けが動く音が聞こえた。すると、なめらかな動きで壁が奥に引き込むのが見えた。わずかに動いた壁を押し開くようにして、その奥に隠された部屋に侵入する。


 燭台の灯りで見えたのは、無数の酒樽が積み上げられている様子だった。暗い部屋には木の香りが立ち込め、そのなかにかすかな甘酸っぱい香りも感じられた。酒樽が並べられた棚は、手間暇かけて作られたのだろう、先ほどの部屋に放置されていた家具よりも立派な作りになっていた。


 ベレグは周囲に警戒しながら酒樽に近づく。古びた木材は、ひとつひとつ異なる色調を持ち、樽の表面には年月の経過を刻むように無数の傷がついていた。


 彼は樽の上に置かれていた木製の器を手に取ると、注ぎ口を使い中身を確認することにした。液体が注がれると、途端に豊かな香りが広がり鼻腔びこうをくすぐる。どうやらベレグの予想通り、樽には葡萄酒が入っているようだ。


 その葡萄酒は濃紅こいくれないの色合いをしており、その透明感のなかに深みが感じられた。酒樽の中で長い年月をかけて熟成されたものなのだろう。森で親しまれる葡萄酒よりも香り高く、上品な葡萄の香りが漂っている。


「毒見が必要だな」

 ベレグは言い訳を口にすると、舌を使ってその葡萄酒を味わうことにした。口の中に広がるのは、果実の甘みと程よい酸味が調和した絶妙な味わいだ。つい先ほどまで血腥ちなまぐさい殺し合いのなかにいたことすら忘れさせるほどの至福の瞬間だった。だが、いつまでも楽しんでいるわけにはいかない。


 収納の腕輪を使い酒樽を回収していると、部屋の奥から物音が聞こえた。ベレグは腰に差していた両刃の剣を抜くと、体内の呪素じゅそを練り上げながら物音が聞こえた場所に近づく。


 燭台の灯りが届かない空間が見えたときだった。剣を手にした僧兵が奇声をあげながら突進してくる。ベレグは反射的に能力を使い、蝋燭ろうそくあかりがつくりだす影を利用して僧兵を拘束する。男は影から生み出された無数の黒い腕に驚愕し、目を大きく見開くが、口が塞がれているので悲鳴をあげることもできなかった。


 ベレグは僧兵に近づくと、ローブに刺繍されていた十字に交差する紋章、あるいは宗教的象徴に剣の切っ先を当て、ゆっくりと突き刺していく。男は暴れるが、拘束から逃れることができず、鼻から大量の血を流しながら身体からだを小刻みに痙攣させた。僧兵を解放すると、口から血液を吐き出しながら息絶えた。


 油断したが、もう敵はいないだろう。ベレグは刃に付着した血を払うと、燭台を手に取り、僧兵が隠れていた場所を確認することにした。狭い場所に木製の棚や箱が整然と並べられているのが見えた。棚には金具で補強された小箱が並べられ、古びた書物や羊皮紙の巻物が収められていた。


「燭台が近くにないのは、炎から書物を守るためか……」

 それにしても、とベレグは積み上げられた本を眺める。アリエルが気に入りそうな光景だ。彼は異教の知識が書き記されていた書物をすべて回収することにした。しかし酒樽の所為せいで容量がなくなったのか、腕輪が機能しなくなる。そこで予備に持ち歩いていた別の腕輪を使うことにした。


 それが終わると、となりの棚を確認することにした。そこには独特な形状や装飾を持つ小箱が並べられている。適当な小箱を手に取って蓋を開けると、数十枚の銀貨がきっちりと入れられているのが見えた。


 足元の箱を開くと、銀の食器が無雑作に入っているのが見えた。持ち手に美しい装飾が施されたナイフ、それに皿や土台がついたさかずきは蝋燭の火に照らされ輝きを放つ。別の木箱には、金の装飾品が大量に保管されていた。首飾りや指輪は細かな紋様や宝石で飾られていた。これらの財宝は長い年月、この部屋で保管されていたのだろうか。


 ベレグが手についた埃を払っていると、遠くからオオカミの遠吠えが聞こえた。上階で何か問題が起きたのかもしれない。かれは残りの小箱を回収してから上階に向かう。


「何か問題が起きたのか?」

 彼の問いに豹人のリリは肩をすくめる。

『馬とかいう駄獣に乗った戦士が壁の外に来てるみたい』


「うま?」

 片耳の守人が顔をしかめるのを見て、リリはクスクス笑う。

『そう。エルが言うには、首と脚が長くて、ヤァカと違って走るのが得意なんだって』

「どうして兄弟がそれを知ってるんだ?」


『砦で読んだ本で知ったんだって。ところで、おたからは見つかったの?』

 リリの色合いを変化させる綺麗な眸を見ながら、ベレグはニヤリと笑みを浮かべた。

「葡萄酒の樽を見つけた。それも、とびっきり上等なやつだ」


『お酒か……』彼女はがっかりした様子で項垂うなだれる。

「それより、外にいる戦士は放っておいていいのか?」

『相手はふたりだけだし、エルが始末しに行ったから大丈夫』


「兄弟をひとりで行かせたのか?」

『ううん、ラライアと一緒だよ』

戦狼いくさおおかみが一緒なら……いや、それでも心配だな。俺も行く」


「必要ない」と、廊下の先からやってきたルズィが言う。

「ベレグは建物に火をつけるのを手伝ってくれ、俺たちの痕跡を消さなければいけない」


 そのころ、馬にまたがった鎧の騎士は、神話の中でしか語られることのない巨大なオオカミの姿を目にして、これまでに感じたことのない恐怖のなかにいた。


 〝辺境の森には悪魔が棲む〟と語り継がれていたが、だれもそんな与太話を信じていなかった。悪魔を鎮めるための古い教会も、そこで生活する酒浸りの〝盗賊めいた〟教会騎士団も必要ないと言われていた。しかしそれは間違いだったのかもしれない。


 騎士のひとりは恐怖に身体からだを震わせ、歯をカチカチと打ち鳴らした。馬はそこから逃げ出そうとして、悲鳴に近いいななきをあげていた。


「あぁ、神よ。これは現実なのか?」

 騎士が小声でつぶやいたときだった。アリエルが放った〈石の矢〉がすさまじい速度で飛んできて、鎧ごと騎士の胸を貫いた。


 仲間が得体の知れない力で殺されたのを確認した騎士は、形振り構わず逃げ出した。が、次の瞬間には殴られたような衝撃を受けて落馬してしまう。顔をあげると、巨大なオオカミが猛然と駆けてくる姿を目にした。そしてそれは、彼が最期に見る光景でもあった。

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