第10話 08


 すべての龍は〈神々の奇跡〉に匹敵する呪術によって、精神的なつながりを持つとされている。アリエルは寝台に視線を落とすと、小さな龍を見つめる。幼生ようせいとはいえ、ある種の完全性を備えた生物は呪術できたえられた鎖につながれ、他の龍からその存在を隠匿いんとくされていた。


『部族の戦士たちに誘拐されて、神殿まで連れて来られたのでしょうか?』

 ノノが青藤色あおふじいろの瞳を深紫色ふかむらさきいろに変化させていくのを見たあと、青年は手に持っていた刀に視線を落とす。刃が折れていたが、それでもひとひとり突き殺すことならできそうだった。


「聖地を不法に占拠していた部族の仕業で間違いないだろう。でも、理由が分からない」

『〈天龍〉は神々に連なる存在です。その神性を自分たちの宗教に利用しようとしたのでは?』

「辺境の部族とはいえ、龍族を敵に回すようなおろかなことはしないと思うが……」


『聖地を手に入れて舞い上がっていたのかも』リリは小さな龍をじっと見つめながら、ゴロゴロと喉を鳴らす。『それか、この子を食べようとしていたんじゃないのかな』


「食べる?」

 アリエルが顔をしかめると、小さな龍に夢中になっていたリリの代りに、ノノが龍の生態について簡単に説明してくれる。

『龍のは天にあると言われています。そこで神気を浴びながら成長した龍は、その身に神性を宿やど永遠とわに生きると聞いたことがあります』


「つまり、連中は龍をらって不死の存在になろうと考えていたのか」

端的たんてきに言えば、そういうことだと思います』

「オオカミの肉をったところでオオカミになれるわけじゃない。連中は本気で神のような存在になれると思っていたのか?」


『考え口にするだけでもおそれ多いことですが、神殿内で見られる金で装飾された神像の数々は、神々に対する理解の低さをあらわしています。分不相応ぶんふそうおうな権力におぼれた結果、触れてはいけない領域にまで手を伸ばしてしまった可能性があります』


「だとしても、この龍は何処どこで捕まえてきたんだ?」

 晴れた日には、紺碧こんぺきの空を飛ぶ天龍の小さな姿を見ることができたが、森のなかで龍を見たことがある人間はいない。亜人のかたたちがつむいできた物語のなかに、部族の言葉をかいす天龍が登場することは知られていたが、それは数世紀も昔のことで、今は〈黒い人々〉の商人でさえ龍のことは知らない。


 リリはゆっくり手を伸ばすと、寝台に横たわる龍の体毛をそっと撫でた。

『厄介なことになる前に、この子を保護できて良かったね』

「ああ、そうだな……」


 アリエルは落ち着いた声で返事をしたが、厄介なことになるのはこれからだろうと考えていた。もしも首長に龍の存在が知られでもしたら、強引に取りあげられてしまう可能性は充分にあった。


 そして龍の存在を隠匿する鎖がなくなってしまった以上、子どもを奪われた天龍にいつ襲撃されてもおかしくない状況にある。そうなってしまったら、部族に破滅的な被害がもたらされることは誰の目にも明らかだった。


 巫女のひとりであるクラウディアがそばにやってくると、彼女も龍に向かって手を伸ばし、やわらかな体毛に触れた。すると彼女の目の周りに、くきをのばし成長する植物のような模様もようがあらわれるのが見えた。それは皮膚をかして淡い光を放ちながら、ゆっくり明滅を繰り返す。


 彼女の手がぼんやりと発光するのを見ながら、アリエルはたずねた。

「クラウディアは呪術師なのか?」

「はい、正確には〈治癒士ちゆし〉ですけど……。ここにいる女性たちの多くは呪術の才能を見出されて、戦士たちに無理やり連れてこられたんです」

「部族のもとから誘拐されたのか」

「はい……」


 森では略奪が日常的に繰り返されていて、婚姻や強姦目的に女性や子どもがさらわれることは決して珍しいことではないと聞くが、部族によって手厚く保護される〈血を継ぐもの〉が誘拐されるという話は聞いたことがなかった。そもそも部族の要人とされる能力者たちの情報を、彼らはどこで手に入れたのだろうか?


 ノノはあからさまに不満の表情を浮かべながら、彼女を見やった。

貴方あなたたちを閉じ込めるように命令した神官は死にました。そして貴方たちを誘拐した戦士も、このいくさで死ぬことになるでしょう』

 神官たちが毒を使い自殺したことを知らなかったのだろう、クラウディアは曖昧な表情でうなずいた。


「ところで」と、アリエルは気になっていたことをたずねる。「それは何をしているんだ?」

「この子の健康状態を確認しています。まだ不安定な呪術ですが、治療も行えるので……」

 彼女の言葉にいつわりはないのだろう。鎖の所為せいただれてしまっていたうろこが、ゆっくりとだが治癒されていくのが見えた。

「ここにいる巫女は全員、治癒の能力が使えるのか?」


「私たちは巫女ではありません。あの子のお世話をするために、この場所に監禁されていただけですから……」

「だから神官と口を利くことも許されなかったのか」

「はい……」

『まるで奴隷だね』と、リリの瞳を赤紫色あかむらさきいろに染まる。


『さて』と、ノノは声の調子を変えながら言う。

『ぐずぐずしている時間はありません。すぐに遺物の捜索に戻りましょう』


 アリエルはうなずいて、それから言った。

「クラウディア、皆に旅の支度をさせてくれ」

 けれど返事がなかった。彼女を見るとほうけた顔でアリエルを見つめていた。

「クラウディア?」

「あっ、はい! なんでしょうか!?」


「龍の子を聖地から連れ出す。お前たちも連れて行くから旅の支度をしてくれ。長旅になる。多くは持ってはいけない、本当に必要なものだけ取って、いつでも動けるように準備をしていてくれ」

「……私たちも、ですか?」


「略奪を目的とした戦士たちがやって来ている。この子の世話ができる人間をみすみす失うようなことはしたくない」

 それから青年は言葉を止めて少し考える。

「安心しろ。連中みたいにお前たちを何処どこかに監禁するつもりはない。もしも家族のもとに帰りたいという者がいるのなら、部族の集落まで送り届けるつもりでいる」


「家族はいません」と、女性のひとりが言う。「この場所に連れて来られるとき、目の前で親を殺されました」

 アリエルは声の主を見つけると、何か言葉をかけようとしたが、なぐさめになるような言葉は思いつかなかった。


『長い旅になります』と、ノノが小さく鳴いた。『どんなに苦しくても、もう引き返すことはできません。私たちと一緒に旅をする覚悟はありますか?』

 ノノの言葉に彼女はうなずいた。その聡明そうめいな茶色い瞳が彼女の決心をげていた。


 それを確認したアリエルは女性たち全員の顔を見ながら言う。

「了解した。リリをここに残していくから、必要なモノがあれば彼女に頼んでくれ」


 クラウディアがてきぱきと皆に指示を出し始めたのを確認すると、青年はノノと一緒に部屋を出て行こうとする。

『エル、ちょっと待って』と、リリに呼び止められる。

『あの子たち、旅に耐えられるような装備は持っていないみたいだよ』


 それは非常に困る。無防備な女性を連れて戦場を歩くだけでも厄介な問題になりそうなのに、戦闘でたかぶっている戦士たちの前に薄着の女性があらわれたらどうなるのかなんて、誰にでも分かることだった。どこかで着物を調達しなければいけないようだ。


「俺に任せてくれ、考えがある」

 それからアリエルは、部屋の入り口に立っていた片耳の守人に折れた刀のことを謝罪した。

「気にするな、兄弟」髭面の男はニヤリと笑ったあと、混沌の怪物にい千切られた耳のあたりを人差し指できながら言う。「代わりのモノが手に入ったんだ」


 彼は黒オオカミの毛皮に隠していた剣を得意とくいげに見せてくれた。それは無駄な装飾がなく、刀身は幅が広く肉厚の両刃の剣だった。太刀よりも短いが、扱いやすいように見えた。

「どこで手に入れたんだ?」

「神官の死体が転がっていた場所だ」


「あの祭壇がある場所だな……なにか見落としていたのかもしれない」

 アリエルは片耳の守人に声を掛けたあと、ノノを連れて廊下に出た。

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