第226話 07


 広大な地下空洞に篝火かがりびが設置され、その明かりがゴツゴツした岩肌を闇のなかに浮かび上がらせている。炎の揺らめきは地底世界の暗闇を和らげるが、同時に不気味な影を壁面に描き出していた。


 荒涼としていて不規則な岩が突き出す荒々しい地下世界を見ながら歩いていると、どこからか低いうなり声のような音が聞こえてくる。上方に視線を向けて音の出所を探すが、天井は暗闇に沈み込んでいて何も見えない。しかし〝生物の気配は感じられないので、竪穴に風が吹き込んでいるのかもしれない〟アリエルはそう信じることにした。


 守人の手で等間隔に設置された篝火の間を歩いていくと、切り立った崖の先に〈境界の砦〉につづく石階段が見えてくる。ソレは上方に見える竪穴に向かって真直ぐ伸びているが、暗闇に包まれていて、階段がどこまで続いているのか見当もつかないような状況になっていた。そこだけ意図的に灯りを消しているようだったが、その理由は分からない。


 砦よりも古いとされる石段は堅固につくられていて、地底世界の寒々とした環境にも耐えられるようになっていた。実際のところ、丁寧に削られて積み上げられた石段は、あちこちすり減っていて凹んでいるのが確認できるが、ひび割れなどの破損は見られない。


 その階段を上がっていくと、二重に設けられた落とし格子が開放されたままになっているのが見えた。地底からやってくる危険な生物や〈混沌の化け物〉から身を守るため、砦の門は厳重な警戒態勢が取られているはずだったが、どうも様子がおかしい。嫌な緊張感に包まれながら、アリエルたちは慎重に門に近づく。


 すると化け物の死骸が血溜まりのなかに横たわっているのが見えた。それは門の先にも続いていて、激しい戦闘の痕跡が至るところに見られ、死んだ者たちの最期の悲鳴がまだ残っているかのような錯覚すら抱くほどだった。


 兄弟たちの刀と両刃の剣、それに弓と斧が転がっていて、その一部は化け物の肉体に突き刺さったまま放置されていた。


 ここでも守人の遺体は切り刻まれ、いくつかの死体は喰われた痕跡すら確認できた。血溜まりに反射する篝火の灯りが、現場の惨状をさらに不気味なものにしていた。近くに見張りの姿も確認できなかったので、この襲撃で全滅したのかもしれない。


『地底から〈混沌の化け物〉が攻め寄せてきたのでしょうか?』

 ノノの言葉にアリエルは険しい表情を見せる。

「わからない、こんなことは今まで一度も経験したことがないんだ……」


 石積みの無骨な門をくぐり抜けて砦内に足を踏み入れると、さらに多くの死体を目にすることになった。その多くは守人の遺体だったが、通路を塞ぐようにミミズめいた化け物〈地走じばしり〉の巨体も横たわっている。この手の光景に慣れているはずの照月てるつき來凪らなも驚いて、一瞬息を呑んで立ち止まるほどだった。


 呪術の照明で浮かび上がる地下空間は、陰鬱で不気味な雰囲気に包まれていた。奥に見える通路では篝火の灯りが頼りなく揺らめき、暗い影がうごめいているように見えた。広大な石造りの地下室は埃っぽくて、かび臭く、錆びた鉄を思わせる血の臭いが充満していた。


 アリエルは砦の安全を確保するため、まずは落とし格子をおろすことにした。弱々しい灯りを頼りに暗い部屋に入っていく。足元に横たわる化け物の死体に注意しながら進むと、壁際に設置されたレバーが青銅の輝きを放っているのが見えた。青年は手を伸ばし、そのレバーを操作して門を閉鎖する。


 落とし格子がゆっくりと動くと、太い鎖が鈍い音を立てる。門が完全に閉じたことを確認すると、アリエルはようやく一安心したが、同時に緊張感も高まる。砦内に侵入した化け物が今も暗い廊下を徘徊している可能性があるからだ。青年は嫌な考えを振り払うと、仲間たちと合流して地上を目指して暗い通路を歩いた。


 襲撃に警戒しながら不気味な静けさに包まれ廊下を進む。〈混沌の化け物〉が徘徊する地下世界がすぐそこにあるからなのか、つねに嫌な気配が漂っていて、いつ来ても慣れることがなかった。とにかく地上を目指して、蜘蛛の巣が目立つ石壁を見ながら進む。時折、水滴が天井から滴り落ちる音がきこえてくる。


 その廊下は地下迷宮のように複雑に入り組んでいるが、通路の一部は崩落や土砂の所為で通行できない状態になっているので、移動できる場所を限られていた。門を見張る兄弟たちのために用意された詰め所の状態も確認したが、もぬけの殻だった。


 気を取り直して暗い廊下を進むと、地下牢に続く石階段が見えてくる。別の通路を使って地上に出ることもできたが、アリエルはため息をつきながら、その階段を上がっていく。兄弟たちと揉め事を起こすたびに罰として牢に入れられていたので、その場所にいい思い出はなかった。もっとも、地下牢にいい印象をもつ人間なんていないだろう。


 壁に掛けられた松明の灯りが壁で揺らめいて、その淡い光が薄暗い通路に不気味な影を落としていた。通路の両側に並ぶ牢の中を照らすと、鉄格子や石壁の隅に黒光りする甲虫の群れが棲みついていて、ざわざわとうごめく様子が見えた。


 その地下牢にも多くの死体が残されていた。けれど今回は化け物の死体だけでなく、見慣れない部族の戦士たちも死体も含まれていることに気づいた。砦は守人と世話人以外の立ち入りを厳格に制限していたので、その戦士たちの遺体は、この異変が単なる化け物の襲撃だけではないことを示唆していた。


 見慣れない部族の戦士たちは、辺境に暮らす野蛮な種族のように見えた。男女ともに腰布だけを身に着け、全身に刺青が彫られていた。彼らの身体つきはがっしりとしていて、野性的な雰囲気を漂わせている。あるいは、獣臭いだけなのかもしれないが。


 特徴的な刺青は、彼らの身体のあらゆる部分をおおっていて、細かな模様や記号が彫り込まれている。戦士たちの死に顔には戦闘に浮かされた狂気が見てとれた。ほとんど人間と変わらない骨格の種族だったが、通常よりも毛深く、大柄だったので獣人種なのかもしれない。


 アリエルは、その戦士たちの姿に見覚えがあった。首長の軍に所属する戦闘奴隷、あるいは狂戦士とも呼ばれる使い捨ての戦士である可能性を考えた。しかし実際に彼らが噂に聞く部隊に所属する戦士なのかどうかを確信することはできなかった。これまで秘匿されてきた部隊でもあったので、かれらの素性は想像することしかできない。


 しゃがみ込んで死体を確認していると大きな影が過る。アリエルはすぐに剣を手にしたが、地下牢にやってきた人物の姿を見ると、すぐに警戒を解いた。


「無事だったか、ツナ!」

 そこに立っていたのは地下牢を管理する守人〈ツナヨシ〉だった。彼も土鬼だったが、照月來凪を護衛するふたりの武者を見て困惑する。砦にはツナヨシほど大柄の人間はいないので、少し混乱しているのかもしれない。


「エル、こんなところで、なにしてる」

「話せば長くなる……それより、ルズィがどこにいるか分かるか?」


 砦に侵入してから何度も〈念話〉を使って彼と会話しようとしたが、すべての試みは失敗に終わっていた。もしかしたら、広範囲にわたって〈念話〉を妨害するような呪術が使用されているのかもしれない。


「ルズィ、こっちだ。ついてこい」

 ツナヨシが歩き出すと、アリエルはすぐに立ち上がってあとを追う。


「砦は襲撃されたのか?」

 ツナヨシは壁に掛けてあった松明を手に取ったあと、アリエルの質問に答えた。

「はげしい、こうげきだった」


「兄弟たちを殺したのは、地底からやってきた〈混沌の化け物〉なのか?」

「それもある」


「……やはり首長の軍が襲撃してきたのか」

「エル、しゅうげきじゃない。これは、いくさだ」


 ツナヨシはそう言うと、薄暗い部屋のなかに松明を向けた。そこには数え切れないほどの戦士たちの死体が積み上げられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る