第227話 08


 砦内には汚泥と血にまみれた死体がそこかしこに横たわっていて、それら多くの死体は敵味方関係なく放置されていた。死体を片付ける時間もなければ、回収する余裕すらないのだろう。手足を切断され、無数の矢が突き刺さったままの死体があちこちで見られた。


 吹き荒ぶ冷たい風と寒さの所為せいなのか、死体の多くは腐敗していなかったが、いくつの死体は西瓜のようにパンパンと膨れ上がり、眼窩から押し出された眼球や舌、内臓に昆虫が群がっている様子が見られた。


 砦内に侵入した敵の多くは兄弟たちの手で容赦なく殺されていたが、何人かは細い息をしていて、生きたまま気色悪い蟲の餌になっていた。


 ツナヨシに案内されながら暗い通路を歩いていると、砦を揺らすほどの衝撃と轟音に襲われた。どうやら戦闘はひと段落したが、敵の呪術師による攻撃は継続しているようだった。数回の炸裂音のあと、悲鳴をあげながら砦内に逃げ込んでくる戦士の姿が見えた。


 その若い戦士はつまづくようにして倒れ込んだあと、振り返るようにして自分自身の両足を確認し、そしてひどく混乱して叫び出した。彼の左足は膝から下がなくなっていて、右足に目をやると肉の間から骨が突き出しているのが見えた。それでも戦士は腹這いになり身体を引きるようにして遮蔽物がある場所まで避難した。


 そして虚ろな目で座り込んでいた世話人に止血を頼んだが、戦士は無視されてしまう。彼はさらに近寄ったあと止血を懇願したが、その世話人は目を開いたまま死んでいた。哀れな戦士は死体に向かって救いを懇願していたのだ。


 その姿を見ていられなくなったのか、照月てるつき來凪らなは戦士のそばに駆け寄って手早く応急処置を行おうとする。意識が朦朧もうろうとしていた戦士は状況を理解できていなかったが、止血帯を手にした彼女の姿を見て、森の女神が迎えにやってきたと本気で信じだ。


 彼女は足の切断箇所に護符を押し当てたあと、止血のために包帯を巻いていく。

「大丈夫。もう片方の足は骨が突き出ているけど、少なくともつながっているから……」


 それは気休めにもならない言葉だったが、戦士は嬉しそうに微笑んで、そして息絶えた。そのことに気がついた照月來凪はひどく動揺したが、気持ちを引きずることなくすぐに立ち上がってみせた。彼女も人の死に慣れてしまっていたのかもしれない。そしてなにより、砦には助けを必要とする多くの負傷者で溢れていた。


 砦に対する襲撃は敵対する部族からだけでなく、地底からやってきた〈混沌の化け物〉からも行われ、一時は砦を放棄することも考えていたようだったが、ヤシマ総帥とルズィの指揮によって敵を撤退させることに成功していた。しかしそれでも襲撃者は攻撃を続けていて、すでに数日間の攻防になってしまっているようだった。


 途中、アリエルはラファやベレグについてたずねたが、彼らは砦を離れ森で敵部隊と交戦していて、〈念話〉が阻害されている状態ではその消息も分からない状態だった。ベレグは〈念話〉を妨害していた呪術師の居場所を突き止めようとしていたが、まだ発見できていないのだろう。


「とにかく、状況は最悪ってことだな……」

 青年の言葉にツナヨシはうなずく。

「くわしいことは、ルズィにきけ。かれは、あそこにいる」

 大男はそう言うと、監視所として利用されていた高い塔を指差した。


 訓練所にもなっていた広場に出ると、さらに多くの死体と負傷者の姿を見ることになった。そこで照月來凪とふたりの武者は負傷者の支援をするために砦内に残ることになった。彼女たちにはツナヨシがついてくれるから心配することはないだろう。アリエルは豹人の姉妹を連れて監視塔に向かう。


 するとそこに巨大な〈火球〉が飛んできて爆発し、広範囲に破壊の影響を及ぼしていく。敵の戦闘部隊にどれほどの数の呪術師がいるのかは分からなかったが、森から放たれる無数の〈火球〉が広場に激しく降りそそぐようになり、次々と炸裂し凄まじい衝撃を与えていく。どうやら敵は攻撃を再開したようだ。


 広場に横たわる多くの死体が被害を受けて爆散し、千切れた手足や内臓が宙を舞う。敵味方関係なく戦士たちは混乱し逃げ惑うが、破壊された無数の瓦礫がれきの破片が飛んできて貫かれ、そのまま地面に倒れてしまう。近くに倒れた戦士は胸から大量に出血して痙攣すると、そのまま一言も発せずに死んでしまう。


 それら大量の破片はアリエルたちにも襲い掛かるが、姉妹が作製した高品質の〈矢避けの護符〉のおかげで直撃を逃れる。もしも護符がなければ、広場に横たわる多くの戦士たちのように致命傷になる攻撃を受けていたかもしれない。


 しかし破片からは逃れられても、高火力の〈火球〉を防ぐことはできないので、立ち止まらず監視塔に向かって素早く移動する。その間も周りでは次々と〈火球〉が炸裂していて、周囲に潜んでいた戦士たちが苦しみに悲鳴を上げていた。アリエルの前方に立っていた守人のひとりが衝撃で吹き飛ばされるのが見えたのも、ちょうどそのときだった。


 守人は自力で立ち上がろうとしたが、顔面に瓦礫の破片が突き刺さっていた。それは眼球を貫いて、守人は口や鼻、それに耳から血を流していた。アリエルは兄弟を助けようとして駆け寄るが、衝撃波の所為で内臓も損傷していたのか、大量に血を吐いて息絶えてしまう。


 砂煙のなか、どこからか助けを呼ぶ声が聞こえてくるが、守人たちを支援していた世話人の多くも戦死するか負傷していて動けなくなっていた。やがて風に吹かれて砂塵が流れていくが、そこに人の姿は見られなくなり、誰の声も聞こえなくなった。ただ炸裂する〈火球〉の衝撃音だけが重々しく響いていた。


 しかし壁の外で敵と交戦していた守人や、砦内で戦いを支援していたツナヨシたちは冷静だった。ソレはこの数日の間、断続的に行われていた攻撃だったので、すでに慣れてしまっていたのかもしれない。


 アリエルたちは敵が攻勢を強めた〝不運な場面〟に遭遇してしまっていたが、しかし同時に幸運でもあった。なぜなら〈火球〉の直撃を受けることなく、さながら地獄と化した広場を無事に抜けることができたのだから。


 監視塔に到着すると、豹人の姉妹は壁の周囲で敵部隊と交戦していた守人たちの支援に向かう。呪術師による大規模な攻撃が行われたのだろう、砦を囲む防壁の一部が崩壊していて、その周囲で戦闘を続ける戦士たちの声が聞こえてきていた。


 呪術による激しい攻撃が行われた直後だったのでアリエルは不安になったが、ここで敵の進行を止めなければどうしようもないので、彼女たちを行かせることにした。


 古い監視塔の内部はあちこち崩落していたが、外壁に木製の梯子はしごが増設されていて、それを使って頂上付近まで行けるようになっていた。アリエルは塔の周囲に放置された兄弟たちの死体を一瞥したあと、祈りの言葉を口にして、それから梯子に手を掛けた。


 汚泥にまみれた死体の多くは欠損していて、誰が誰なのかも分からないような状態になっていて、もはや死体置き場と変わらないような場所になっていた。このいくさを生き延びたとしても、〈境界の砦〉は放棄されるのかもしれない。しかしそうなってしまったら、誰が地底に巣食う〈混沌〉から人々を守るのだろうか?


 監視塔の頂上に立っていたルズィは険しい表情で暗い森を見つめていた。灰色の厚い雲が立ち込めていて、いつ雪が降ってもおかしくない空模様だった。塔には木材で屋根が組まれていたはずだったが、敵の攻撃で破壊されたのか、崩壊していて冷たい風が吹き荒ぶ場所になっていた。


 ルズィは南部にいるはずの兄弟の登場に驚いたが、切迫した状況だったので再会を喜んでいる余裕はなかった。アリエルはすぐに南部の拠点がどのような状況になっているのかを説明し、それから人喰い部族の集落で照月來凪たちを発見し、連れ戻すことに成功したことを報告した。


 ルズィはアリエルの腕を見てひどく困惑するが、とにかく襲撃に関する情報を共有することにした。

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