第228話 09


 襲撃は、月が厚い雲に覆われて、森が深い闇のなかに沈み込んでいたときにはじまった。


 襲撃者がどうやって戦狼いくさおおかみの警戒網をすり抜けたのかは分からないが、気がつくと襲撃者は〈境界の砦〉の防壁の近くまで来ていたという。砦の周囲に張りめぐらされた高い防壁の上には点々と篝火かがりびが設置され、その明かりが暗い森の表面をぼんやりと照らしていた。襲撃を警戒していた守人たちは、松明を手に巡回しながら見張りを続けていた。


 その静寂のなか、暗い空を横切るように矢が放たれた。最初の矢が守人の喉笛に突き刺さると、かれは声も出せず、無言のまま倒れ込んだ。見張りの間、つねにふたりで行動することを心掛けていたが、少し目を離した隙に攻撃されたのだろう。音もなく次々と矢が放たれ、見張りに立っていた守人たちは致命傷になる一撃を受けて倒れていく。


 しかし砦内にいた守人たちは、まだ襲撃者の存在に気がついていなかった。砦の周囲を巡回する守人は、目を凝らして暗い森を見つめていたが、その暗闇の中で襲撃者の姿を見つけることはできなかった。呪術師が発生させていた〈濃霧〉の影響もあったのかもしれない。松明の灯りだけでは襲撃者たちの姿を見つけることは困難だった。


 暗い森から敵の矢が放たれる。矢は音を立てずに飛び、防壁の上に立つ守人たちを次々と射抜いていった。このとき、見張りに立っていた若い守人は自分たちが攻撃されていることに気づくことなく、そのまま倒れていった。


 手練れの襲撃者たちは〈無音〉と〈隠蔽〉の呪術を巧みに使い、気配を遮断しながら攻撃してきたのだろう。かれらは容赦なく矢を放ち、防壁の上に立つ守人を射殺していった。その矢は暗闇の中に溶け込むように巧妙に隠され、そして音もなく飛び、巡回中の守人たちの命を奪った。


 呪術の力で音や気配を遮断し、夜の暗闇に紛れて砦を襲う襲撃者たちは、醜い化け物との戦いに慣れていた守人たちを苦しめる。


 しかしどれほど巧妙に襲撃しようとも、警戒中の守人を欺くことはできない。防壁の上で巡回していた守人のひとりは、森のなかに潜む不穏な気配に気づいた。


 襲撃者の存在に気がついた血気盛んな若い守人は、さっと刀を抜き放ち、敵襲を知らせる声を上げた。その直後、守人は喉を射抜かれて苦しみながら息絶えることになるが、かれは己の役割を果たすことができた。


 異様なまでに高まっていた緊張感が砦を包み込み、漆黒の夜空に向かって爆発するようだった。呪術を操ることのできる数少ない守人たちが、照明として機能する光球を空に向かって次々と打ち上げたのだ。それは白い残光の尾を闇に残していった。


 最初は小さな光点だったが、その光球は徐々に大きく輝きを増し、夜空に明るい光の帯を描き出していく。その輝きは暗闇のなかにある砦を浮かび上がらせ、無数の塔と防壁の輪郭を浮き彫りにしていく。


 照明の青白い輝きは、静寂に包まれた砦内に驚きと戦慄をもたらし、守人たちの視線を夜空に引きつけた。彼らは偽りの星々を見上げ、たちまち襲撃者の存在に気がついた。敵の襲撃が迫っていることを知ると、急いで武器を手に取り、敵の攻撃に備えた。その動きは素早く、日々の訓練が活かされていた。


 防壁に集まった守人たちは、呪術の光源を頼りに森のなかに潜む襲撃者の姿を探す。しかし濃霧が立ち込める深い闇の中には不気味な静けさだけが広がっていて、焦りと不安ばかりが募る。森に潜む敵の気配は感じられるが、姿はハッキリと捉えられず、襲撃者の正確な位置を特定することができない。


 時折、木々の影が踊るように揺れて、そのなかに不穏な影を見ることがあったが状況に変化はなかった。そして、光球が照らす範囲外から予期せぬ攻撃が始まる。


 木々の間から矢が放たれ、防壁の上に立つ守人たちの不意を突くように飛来してくる。しかし〝巧妙に隠蔽された不可視の矢〟は、守人たちの周囲に吹いた突風によって軌道をらされていく。見張りに立っていた若い守人たちと異なり、そこにやってきていたのは熟練の守人で、かれらは〈矢避けの護符〉を使用していた。


 呪術の力によって守人たちは不可視の攻撃から身を守る。彼らは感覚を研ぎ澄まし、風の動きや微かな空気の変化を捉えることで、矢が飛来する方角を見極め、攻撃を避けていく。護符を使用していない守人たちは身を屈めながら壁に近づくと、森に潜む襲撃者に向かって矢を放っていく。


 守人たちの緊張感と恐怖が最高潮に達し、心臓は高鳴り呼吸は乱れていた。それでも彼らは襲撃を生き延びるため、己にできる最善を尽くそうとしていた。


 防壁にかけられていた梯子はしごに対処していると、突然まばゆい光に包まれ、守人たちは視界を奪われてしまう。まるで世界が破裂したかのような轟音だったという。それは夜を昼間のように明るく染め上げ、同時に地面を揺らすような轟音を響き渡らせた。呪術師による大規模な攻撃が行われたのだろう。


 守人たちは耳を塞ぎ、まぶしさに目をつむったまま大地の揺れが収まるのをひたすら待った。そして砂煙のなかで彼らが目にしたのは、防壁の一部が崩れ落ち、無数の瓦礫がれきが飛び散り、凄まじい衝撃の余波で吹き飛んだ兄弟たちが瓦礫に圧し潰されて死んでいる光景だった。


 破壊が及ぼした影響に守人たちの心は恐れに支配され、茫然と立ち尽くすことしかできなかった。それは悪夢のような光景だった。それでも守人たちは敵が砦に侵入しないように、混乱の中で組織だった行動を取ろうと努めるが、その破滅的な攻撃に対してどのように行動すべきなのか見当もつかない状態になっていたという。


 そこに奇妙な臭いが漂い始めた。守人たちの鼻を刺激したのは、腐臭や血の臭いであり、邪悪な化け物が近づいていることを示唆していた。守人たちはその臭いを敏感に感じ取ると、崩れた防壁の前に立ち敵との接触に備えた。


 空高く打ち上げられた照明の光が徐々に弱まるなか、守人たちが耳を澄ませると、森の奥深くから異様な音が聞こえてきた。最初は微かなざわめきだったが、しだいに大きくなっていく。その音は森に吹く風や木々の枝がこすれる音とは異なり、空気を切り裂くような甲高い悲鳴を思わせる響きを持っていた。


 そしてその音は徐々に変化し、咆哮や奇怪なうめき声に変わる。化け物たちの咆哮は空気を震わせ、甲高い悲鳴に耳が痛くなる。その奇妙な音色は、邪悪がうごめく暗い穴から飛び出したかのようであり、守人たちの心を恐怖で打ち震えさせた。


 そしてとうとうその時がやってきた。暗い森からみにくい化け物が次々と姿をあらわす。それは見慣れた〈地走り〉や〈大熊〉だったが、一体や二体ではなく、大きな群れだった。


 その恐ろしい姿を見た守人たちは、自分たちの決心が頼りない煙のように消えてなくなるのを感じた。闇の中から死をもたらす者たちが迫っている。


 この襲撃の混乱に乗じて、襲撃者が化け物を砦に誘き寄せたのだろう。守人たちは異様な緊張感と恐怖の中で敵に立ち向かう覚悟を決めなければいけなかった。どのみち、逃げ場はなかったのだ。


 そうして、ものいわぬむくろが砦のあちこちに横たわることになった。敵も味方も関係なく、彼らは化け物に蹂躙じゅうりんされ、すべて同じ運命をたどることになった。訓練所に横たわる死体は欠損し、血にまみれ、目を背けるほど惨たらしいものだった。けれどその理由が、ようやく分かったような気がした。


 その襲撃によって守人たちは壊滅的な被害をこうむることになった。兄弟の中には逃げ出す者もあらわれ、士気は最悪になっていたという。もしもヤシマ総帥やルズィがいなければ、その後も続けて行われた攻撃に耐えられなかったのかもしれない。


 砦の被害や生き残った兄弟たちについて情報を共有したあと、アリエルは何をすればいいのかルズィにたずねた。すると彼は呪術師を見つけ出し、暗殺することを頼んだ。〈念話〉を妨害している呪術師を排除できれば、散り散りになりながらも懸命に戦っている兄弟たちを、またひとつの意志のもとでまとめることができるのだと。

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