第314話 11
呪術器〈偽りの吐息〉を使いザイドに変装していたルズィは、約束通り囚人を解放した。もっとも、それは囚人が望んでいた形で行われることはなかった。かれの死体は他の襲撃者たちの死体と同様、建設隊の〈呪霊〉によって掘られた深い穴に投げ入れられ、まとめて焼却されることになった。
アリエルはしばらくの間、総帥の塔から無数の死体が焼却されていく様子を眺めていたが、やがて重い扉を押し開いて指令室に入る。どこか張り詰めた空気が漂うなか、指令室に集められた守人たちは、囚人から手に入れた情報をもとに次の行動を話し合っていた。
その話し合いに参加していたのは、特別な任務のために選ばれた古参の守人たちだ。かれらが身につけていた黒い戦装束と、休む間もなく戦い続けてきた顔に蝋燭の光が映える。火鉢のそばには影のベレグが座っていて、彼が咥えていた煙草からゆっくりと煙が立ち昇り、仄暗い天井に向かって漂っていくのが見えた。
机に広げられた地図には砦周辺の地形や情報が細かく書き込まれているだけでなく、敵拠点の位置が正確に記されていて、作戦を指揮していたルズィは地図を指し示しながら状況を説明していた。
「――それと、ここだ」ルズィは地図の一点に指を置く。そこは敵の補給基地がある谷で、すぐ近くに川が流れている。「連中が物資を確保するための要所になっている。この二か所にある拠点を落とせば、敵本陣の補給路を断つことができる」
守人の中には字が読めない者もいるので、ルズィは丁寧に説明を重ね、次々と指示を伝えていく。本陣を取り囲むように築かれた敵の拠点は、監視や物資の集積基地だけでなく、各地から集められた傭兵たちの野営地にもなっているため、迅速に対処する必要があった。
机を囲む守人たちの間には重苦しい空気が漂う。幾度も戦場を潜り抜けてきた古参の戦士たちは目を細め、眉間にしわを寄せている。彼らの耳には、風に乗って微かに焼却作業の音が届いていて、それが不安を煽るように聞こえていたのかもしれない。
「見てくれ、この場所だ」ルズィは指を滑らせ、いくつかの拠点を指し示しながら説明を続ける。「傭兵たちが物資を集積しながら、交代で砦の監視をしている場所だ。俺たちの反撃で痛い目に遭ってきたからなのか、やけに襲撃を警戒しているが、夜陰に紛れて行動すれば作戦が成功する可能性は十分にある」
髭面の守人たちは地図を覗き込み、それぞれの拠点がどう守られているかを想像していく。火鉢のそばに立っていた古参の戦士がやってくると、かれは地図に視線を落として「やれやれ」と、わざとらしくため息をついてみせた。
「誉れある守人が、まさか敵の陣地に夜襲を仕掛ける日がくるとはな」
長い間、部族民を守るために刀を振るってきた老いた戦士の言葉には、どこか物悲しい響きが含まれていた。その声は石壁に反響し、耳の奥に残る。彼にとって夜襲は、正々堂々とした戦士の戦い方ではなく、守人の名誉を傷つける卑劣な行為に思えたのかもしれない。
その場にいた歴戦の守人たちも、同じように考えていたのだろう。衰退し、かつての栄光の面影すら残っていない組織だったが、それでも彼ら――古参の守人たちにとって特別な組織だった。ルズィは彼らの視線を重く受け止めたが、あえて軽薄な笑みを浮かべながら肩をすくめる。
「まずは生き残ることだけを考えよう。〝名誉について語る〟なんていう贅沢は、この砦を守ったあとに楽しめばいい」
その言葉に異論を唱える者はいない。理想や名誉だけでは、この厳しい
古参の守人は「ふん」と鼻を鳴らした。
「たしかに、敵に蹂躙されているときに名誉について語ったって仕方ねぇな」
その表情には苦々しさが混じり、目はどこか遠くを見つめるようだった。名誉と現実の間で葛藤があったのかもしれない。名誉というものを重んじる気持ちがまだ根強く残る守人たちにとって、この夜襲は自らの誇りを揺るがすような行為だった。
しかしルズィが地図の上に手を置き、これからのことについて話し始めると、全員が耳を傾ける。彼の指先が敵の本陣を囲むように円を描いていく。すると、自然と視線がそこに集中する。
「少数精鋭の部隊で敵の拠点に夜襲をかけるが、俺たちは包囲されているから、砦に残って守備を担当する者が必要になる。だから一気に粉砕するんじゃなくて、連中を混乱させ、足元から崩していく作戦に出る」
部隊長のひとりが険しい表情で口を開く。
「つまり戦力を割かれた状態で攻撃し、かつ敵の攻撃にも耐えねばならないということか」
「その通り」ルズィはうなずく。「選ばれた精鋭が夜陰に乗じて出撃し、敵の拠点を攻撃して回る必要がある。物資の補給を断ち、士気を削ぐ。敵の包囲網が緩んだ隙を突いて傭兵たちを撃破し、連中が砦にかける圧力を減らす。けど余計な戦闘は敵に我々の存在を知らせることになる。だから敵影を確認しても、目標以外は絶対に攻撃しない」
髭面の守人が地図に顔を近づけて敵拠点の位置を確認する。
「夜中に出撃して敵の目を掻い潜る……か。これまでの攻撃で連中も襲撃に警戒している。……となると、それなりの数の見張りも立っているだろうな。こいつは相当、厳しい戦いになる」
「かもしれない。だからこそ、少人数での潜入と破壊工作の経験を持つ者たちに部隊を指揮してもらう。敵拠点に密かに忍び込み、炎の呪符を仕掛け、油を撒く。物音を立てず、目撃者も残さない。迅速かつ確実に、敵の補給拠点を混乱させる」
暗がりに立っていた守人が声を上げる。
「なぁ、ルズィ。俺たちが出払っているときに襲撃を受けたら、おそらくこの砦は攻め落とされる。もちろん、そのことは頭に入っているんだろうな」
ルズィは真剣な面持ちでうなずく。
「戦狼も全面的に協力してくれるが、守備隊だけではどうにもならないことも分かっている。数の上では圧倒的に劣っているからな。そしてだからこそ、迅速に行動する必要がある。ここにいる全員が理解していると思うが、この砦は絶対に死守しなければならない。連中が黄金都市の金に目が眩んで〈奈落の底〉に侵入したら、俺たちが命懸けでやってきたことすべてが無駄になる」
部隊長として任務に就く守人たちは再び地図に視線を落とす。各々がこれからの困難な戦いについて考え、心を決めている様子だった。破壊工作のために赴く者も、砦に残って戦う者も、皆が己の役割を理解していた。
それからルズィはアリエルに鋭い視線を向ける。その眼差しは鋼のように冷たく、戦況を左右する重責を託そうとする意志が見て取れた。
「エル、お前は豹人の姉妹を連れて遊撃戦力として行動してもらう。今回もラライアは連れていけないが、ラファが彼女の代りをしてくれるだろう」ルズィの声には、容赦のない命令の響きがあった。彼が言葉を発するたびに蝋燭の火が揺れ、部屋全体がさらに薄暗く感じられる。
戦況に応じて敵部隊に対する攻撃や味方の援護に回る必要があるが、それはこれまでも何度も経験してきた任務だったので、とくに不安に感じることもない。
「敵の呪術師を見つけたら優先的に叩いてくれ。呪術師の数は少ないが、混沌の化け物を
アリエルは無言でうなずくと、目の前に広げられた地図を見下ろした。そして敵拠点の位置を確認しながら、頭の中で計画を組み立てていく。豹人の姉妹──ノノとリリがいれば、敵拠点を壊滅させるほどの大規模な呪術も使えるので、敵が総攻撃を仕掛けてくる前に数を減らすこともできるだろう。
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