第181話 36
雨降りの暗闇のなか、アリエルたちは敵の前哨基地の周囲を静かに偵察していた。雨粒は天幕の上で跳ね、微かな音を立てながら地面を濡らしている。樹木の間に張られた天幕の下では、毛皮にボロ布を身につけた賊らしき蛮族たちの姿が見られた。
時折、かれらの会話の声や道具がぶつかり合う音が聞こえ、森に潜む獣たちを苛立たせていた。敵拠点は賑やかで、戦士の数はアリエルの予想を上回るほどだった。
その前哨基地の中央に大きな天幕が張られているのが見えた。どうやらそこに戦士たちが集まり、何かしらの話し合いが行われているようだった。
高台から敵拠点の偵察を続けると、無数の天幕が並び、戦士たちが装備の手入れや食事の準備をしている普通の光景が見られた。〈獣の森〉の恐ろしさを知らないのか、火のそばで談笑する者たちの笑い声も聞こえてくる。
だが問題は他にもある。それは拠点の奥に見え隠れしていた暗い洞窟の入り口だった。その暗闇の先にも戦士が潜んでいるかもしれない。膨大な
〈境界の砦〉を監視していた偵察隊の痕跡を追って、この場所にたどり着いたのだから、ここが彼らの拠点になっていたことは間違いないだろう。見込みは薄いが、洞窟の奥にラファが捕らえられている可能性もあるので、さらに慎重に行動する必要がある。
それにしても、どうやって守人に知られずに、これだけの規模の拠点を築いたのだろうか。砦に裏切りものがいるかもしれないと、不信感を抱かずにはいられない。
普段なら考えられないことだったが、首長が組織した部隊の活動が確認できた以上、すべてを疑ったほうがいいのかもしれない。あるいは、暗部の人間が守人として砦に潜入している可能性もある。いずれにせよ、今は目の前の問題に対処する必要がある。
アリエルと豹人の姉妹は、雨雲と木々の枝と葉がつくりだす暗闇と雨音に紛れるようにして森を進み、敵拠点に静かに近づく。雨は絶えず降り注ぎ、森に嫌な緊張感をもたらしていたが、敵部隊の戦士たちは――警戒心の強い昆虫種族でさえ、まるで周囲のことを気にしていないように振舞っていた。
雨音は呪術のように足音を消し去ってくれていた。おかげで、周辺一帯を警備していた戦士に気づかれることなく、敵拠点に侵入することができた。そこでアリエルたちは二手に分かれると、寄せ集めだと思われる戦士たちに対処していく。
焚き火の灯りが天幕の布を透過し、光と影が錯綜するなか、豹人の姉妹は獲物を狩る肉食獣のように敵に忍び寄る。見慣れない刺青が彫りこまれた蛮族たちは、錆ひとつない剣を手に戦闘の準備を整えているようだったが、襲撃されることを想定していないのか、その背中は隙だらけだった。
焚き火のそばから笑い声が聞こえると、ノノは天幕のなかに飛び込み、蜂蜜酒を飲んでいた男の口元を押さえて喉を切り裂いた。温かな血液で手が汚れるのも気にせず、男の口元を押さえながら周囲に聞き耳を立てる。しかし敵に察知された様子はない。
彼女は神経質そうに太い尾を振ったあと、地面に敷かれた粗末な毛皮のなかに死体を隠して天幕をあとにする。
それからもノノとリリは雨音に紛れ、慎重かつ軽やかな足運びで移動した。彼女たちは天幕から別の天幕へと忍び寄り、敵を静かに排除していった。ひとりで行動している人間や、未熟な昆虫種族を見つければ容赦なく攻撃して敵を沈黙させた。幸い、敵部隊には鼻が利く獣人がいなかったので、気づかれることなく接近し攻撃することができた。
雨が地面を濡らし、足元は
激しい雨音が足音を掻き消してくれるので、
しばらくすると前哨基地は死のなかに沈み込む。やはり異なる部族の寄せ集めだったのか、戦士として未熟な者が多く、苦労することなく状況を進めることができた。
しかし呪術による強力な攻撃は、敵の呪術師に感知される可能性があるため、呪術を使用せずに立ち回る必要があった。精鋭として知られた暗部や呪術師は洞窟内にいて、地上の拠点では姿が見られなかったが、
静かに忍び寄り相手の首筋に刃を立て、血しぶきを避けるようにして敵を排除していくなかで、しだいにアリエルは困惑し疑問を持つようになる。〈獣の森〉に部隊を派遣していたのが誰にせよ、本当に寄せ集めの戦力だけで守人の砦を襲撃するつもりだったのだろうか。それとも、どこかに精強な部隊を潜ませているのだろうか?
焚き火のまわりに集まっていた敵の排除には苦労したが、姉妹と協力して雨のなか前哨基地にいる敵を制圧すると、洞窟の周囲に待機している敵を排除することにした。
雨で濡れた長弓を拾いあげると、篝火がたかれた洞窟の入り口に接近する。雨にけぶる森は視界が悪く、敵はアリエルたちの接近に気がついていなかった。上半身裸の大男がこちらに歩いてくるのが見えると、アリエルは
最初の敵を射殺すと、すぐに別の敵に狙いを定めて弓弦を引いた。弓が音を立ててしなると、遠くにいる敵が倒れる。ノノとリリも天幕で拾った弓を使い、次々と敵を射殺していく。賊だと思われる蛮族たちは雨のなか無防備に立ち尽くしていたので、狙うときには雨と強風に気をつけるだけで良かった。
矢が突き刺さると戦士たちは痛みと驚きに声を上げるが、その声は雨に掻き消され、洞窟内に届くことはなかった。彼らはよろよろ歩くと、泥の中に倒れ込んで二度と起き上がらなかった。
洞窟に入るさいには、呪術による巧妙な仕掛けが施されていたので、敵が所有していた護符を奪い身につける必要があった。ノノが言うには、呪術師によって敵か味方かを識別する特殊な結界が張られていたようだ。
暗い洞窟に入っていくと、それまでとはまったく異なる異世界に足を踏み入れたような、嫌な感覚に襲われる。雨と風に代わり、湿度の高い静寂が立ち込めていた。洞窟内は暗闇が支配し、ほとんど何も見えないような状態だったが、濃厚な土の香りに満たされていた。
アリエルたちは暗闇に目を慣らしながら慎重に移動していたが、やがて壁に掛けられた
洞窟の中は入り組んでいて、低い天井から突き出す岩の柱に注意して進まなければいけなかった。時折、道が分岐していたが、壁に掛けられた松明の灯りを頼りに前に進んだ。その洞窟内では奇妙な音が聞こえ、それが壁に反響し、幽霊のように囁いていた。遠くで誰かが話をしているのかもしれない。
深く進むにつれて洞窟の中の空気はますます重くなっていったが、どうやら目的地に近づいているようだ。人々の話し声がハッキリと聞こえるようになっていた。
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