第118話 18


「ひとつ教えてくれ」

 ルズィの言葉に老いた豹人はうなずいて、それから杖をコツコツ鳴らしながら扉の周囲を歩いた。

『ひとつと言わず、好きなだけ質問してくれ。もちろん、すべての質問に答えられるわけではないが、できるだけ誠実に対応しよう』


「感謝する」ルズィは軽く頭を下げたあと、まず気になっていたことをたずねることにした。「あんたはその巨大な扉を〝転移門〟と呼んでいたけど、それは混沌の領域につながる扉なのか?」


『ふむ』老人は扉の前で立ち止まると、小さな人々と異形の巨人との壮大ないくさが精密な浮き彫で刻まれていた扉に触れる。『この扉は純粋な空間移動を目的とした転移門であり、おぬしらが〝混沌の領域〟と呼称する空間の狭間、あるいは次元、時間、そして現実の狭間に移動できるというわけではない』


「そうか……。ところで、その扉は今も転移門として機能しているのか?」

 老人は片眼をつむり、もう片方の眼でルズィを見据える。

『おぬしらの目の前に浮かんでいる地図上で赤く点滅しているのは、転移門を使って移動できる遺跡がある場所だ。それはすでに説明したと思うが、それらの点を注意深く観察すると、いくつかの遺跡を示す点が明滅していないことに気がつくと思う』


 ラライアは空中に浮かんでいた光の地図をじっと見つめる。すると湖の中心にある遺跡が赤く明滅していないことに気がついた。

「どうして赤く点滅していない場所があるの?」

『さすが戦乙女の娘だな、いいところに気がついた。その遺跡は、なにかしらの理由で転移門が閉ざされてしまっていて、空間移動ができない状態になってしまっている』


「よりにもよって、俺たちが目的地にしている遺跡の門がダメになっているのか……」

 ルズィが溜息をつくと、老人は杖をつきながら地図のそばまでコツコツと歩いてくる。

『ほう……やはりあの島に渡ることが目的だったか。しかし諦めるのはまだ早いぞ。この遺跡には湖を安全に移動できる遺物が保管されていたのだからな』

「されていたってことは、もうここにないのか?」


『まぁ、そう慌てなさんな』

 老人はそう言うと、何かを探すように杖のさきで地面を叩き始めた。その様子を見ていたラライアは、アリエルに向かって困惑の表情を浮かべる。青年は彼女の顔を見て肩をすくめたあと、収納の腕輪から予備の毛皮のマントを取り出して、裸に近い格好をしていた彼女にまとわせた。戦狼いくさおおかみは寒さに耐性のある種族だが、その格好で歩かせるわけにはいかなかった。


 それから青年は光で形作られる奇妙な地図に近づき、その光に触れてみた。すると地図上に表示される地形が変化することに気がついた。理屈は分からなかったが、とにかく地図を操作していくと、〈抵抗の丘〉の近くにも赤く点滅する場所があることに気がついた。


 もしも老いた豹人が言っていたように、それが空間移動できる遺跡の場所をしめしているのなら、南部での移動時間の短縮ができるだけではなく、〈抵抗の丘〉まで安全に移動することができるようになるかもしれない。金属特有の甲高い音が空間内に響き渡ったのは、東部に存在する遺跡まで移動できるか調べているときだった。


 長方形の構造物が床から腰の高さまで迫り上がってくるのが見えた。年老いた豹人は満足そうにうなずいたあと、その構造物にそっと手をのせた。すると濃藍色こいあいいろのツルリとした石材は青い光を帯びはじめる。老人が呪素じゅそを流し込んでいるのか、その青い光は網目状に広がっていき、やがて構造物全体が発光するようになる。と、その輝きがフッと消えたときだった。


 広大な空間のあちこちに照明として機能する光球が出現して、遺跡内を明るく照らし出すようになる。無数の光球が浮かぶ様子に、その場にいた〈青の魚人〉も驚いているようだった。どうやらそれは彼女たちも知らない現象だったようだ。と、アリエルが周囲の様子に気を取られている間に、転移門として機能する巨大な扉のすぐ近くの地面に地下に続く階段があらわれる。


「その階段は?」質問したあと、アリエルは天井を見上げた。

 半球形の高い天井には、陶磁器とうじきの破片や湖や川で採れる貝殻を寄せ集めて埋め込んだモザイク装飾が施されているのが確認できた。複雑な幾何学模様きかがくもようが立体的に表現されていたが、さすがにそれが何を意味しているのかは理解できなかった。抽象的に再現された天体図のようにも見えたが、今はそれよりも気になることがあった。


『貴重な遺物が保管されていた場所に続く道だな。わしについてこい』

 この先なにが起こるか分からない、アリエルは遺跡に戻ってこられないことも考えて、外の様子を再度確認することにした。何かしらの呪術が作用しているのか、遺跡の上空を飛んでいた鳥から届く視界は不鮮明だったが、傭兵たちと魚人が争っている様子は確認できなかった。


『どうした、若き守人よ。怖気おじけづいたのか?』

 ザザの言葉に青年は頭を横に振った。

「まさか。すぐに行くよ」

 鳥とのつながりを断つと、ラライアを連れて階段に向かう。それまで彼女と一緒にいた魚人の〝アデュリ〟は、地下に行くことを恐れているのか、階段に近づこうとしなかった。


 周囲を照らす光球を浮かべて薄暗い階段を照らす。けれどとくに変わった様子はなく、遺跡の廊下と似たような構造の場所だった。

「問題ないみたいだな。ルズィたちに置いていかれないように、さっさと先に進もう」

『すでに進んでいるぞ』と、ザザが言う。

「ああ、分かってる」


 濃藍色の石材に覆われた無機質な通路を進み、ある地点までやってくると、沼地で嗅ぎ慣れた腐臭が何処どこからか漂ってくることに気がついた。

『嫌な予感がする』と、昆虫種族は触角を小刻みに揺らす。

「奇遇だな、ザザ。俺も同じことを考えていたよ」


 その通路のさきに、数人の人間がやっと入れるほどの狭い石室があるのが見えてきた。そしてその石室から悪臭が漂ってきていることも判明した。


「遺物はこの部屋に?」

 アリエルが薄暗い部屋を眺めながらたずねると、老人は杖を掲げて、照明として機能していた光球を輝かせた。すると黒々とした汚泥で荒らされた部屋と、その部屋の壁にできた横穴がハッキリと確認できるようになった。


『どうやら遺物は、〝黒の沼地〟からやってきた魚どもに奪われたようだな』

 ザザの言葉に老人はうなずいたあと、顎髭あごひげのようにも見える顎下の長い体毛を撫でた。

『邪神にそそのかされて、こんなところまでやってきたのだろう』


 部屋の中央には低い石の台座があり、その周囲に無数の骨が散乱しているのが確認できた。頭蓋骨の形状から人間に近い種族のモノに見えたが、他の亜人種の頭骨である可能性もある。いずれにせよ、現生人類に近い生物のモノで間違いないだろう。


 ルズィは〈黒の魚人〉が掘ったと思われる横穴の近くに立つと、漆黒の闇に沈み込んでいる穴を覗き込む。

「連中がその遺物を持ち出した理由は?」


『理由などないのだろう。地面を掘り、偶然にも遺跡が保管されていた部屋に侵入して、興味深い遺物を発見して持ち帰った』

「邪神にそそのかされたっていうのは?」


『地下深く、生命を拒絶する深い闇のなかで失われた都市を……〝ルイン、あるいはルルイエ〟を探し求めているのだろう』


「地底にある失われた都市を探す……か、気の遠くなる話だな」

『あれは悲しき生き物よ。邪神にすがりつくことでしか正気を保てない。……いや、すでに正気ですらないのかもしれない』


「その遺物がどこに持ち去られたのか、見当はついているのか?」ルズィは老いた豹人に鋭い視線を向ける。「まさか連中の集落にあるとか言わないよな」

『残念だが、そのまさかだ。おぬしらは敵の集落に忍び込み、遺物を奪取する必要がある』


「目的の遺物を手に入れるために、さらに別の遺物を手に入れる必要がある……なんだか出来の悪い物語を読んでいる気分だよ」ルズィは溜息をついて、それから言った。「これから何をするにせよ、態勢を立て直す必要がある。野営地に戻ろう」

『同意する』

 ザザは大顎をカチカチ打ち鳴らすと、腐臭にまみれた部屋を出ていった。

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