第321話 18


 大上段から振り下ろされた刀が夜闇を裂くように迫ってくる。敵は身体強化の呪術を使っているのだろう。その一撃は大気を斬り裂くかのごとく鋭く、目にとまらぬほど速い。振り下ろされる刃からは甲高い音が響き、斬撃の軌跡が一瞬、残像として目に焼きつく。


 ラファはその猛撃を正面から受け止めるしかなかった。刃と刃がぶつかり合った瞬間、身体全体に衝撃が走り、火花が闇の中で弾ける。


 敵の攻撃に少年は内心で驚きを覚える。守人たちとの鍛錬でも、これほどの手練れと相対したことはほとんどなかった。全身に冷や汗がにじみ、息が荒くなるのを感じる。しかし冷静さを失えば即座に命を奪われる。心を落ち着かせ、つぎの攻撃に集中する。


 敵は容赦なく刃を打ち込んでいて、ラファが後退した隙を狙い、刃を横薙ぎに振るうようにして胴体を狙ってくる。その動きは素早く、身体を反転させたことで遠心力が加わり強烈な一撃になっていた。もしラファが並の戦士であれば、胴体を両断されていたかもしれない。


 しかしラファは類まれな身体能力と反射神経を備えていて、その一撃すらも冷静に見極めることができた。敵の動きを視界に捉え、ほんの一瞬の隙も見逃さず、少年は刃を避けると同時に相手の刀を強引に打ち払う。暗い森に刀を打ち合う音が響き渡る。ラファは衝撃の反動を利用して素早く身体を捻り、敵の頭部に回し蹴りを叩き込んだ。


 予想外の反撃に暗部の手練れは一瞬動揺する。ラファの攻撃は速く正確だった。蹴りが側頭部に命中し、敵はわずかに体勢を崩す。困惑の表情がその顔に浮かび、無意識のうちに防御の体勢を取る。少年はその一瞬の隙を逃さなかった。迷いなく踏み込むと、刀を袈裟懸けに一閃する。


 鋭い刃が斜めに肩から脇腹を斬り裂いていく。傷口から血が噴き出し、鮮血が闇の中に舞い上がる。しかし傷は浅かったのかもしれない。敵は屈しない。痛みに顔を歪めつつも、なお反撃の姿勢を崩さない。


 ラファは一瞬息を整えるため後方に飛び退く。敵が反撃の一手を繰り出す前に少年は素早く刀を構える。上段に構えたあと、ゆっくりと敵の喉元に切っ先を向ける。正眼の構え、これこそがラファが最も得意とする構えだった。


 敵は少年の構えを見て、すっと目を細めた。攻撃の機会を見計らいながら、鋭い眼差しでラファを睨む。しかし少年は冷静さを崩すことなく、相手の動きをじっと見据える。この構えなら、どんな攻撃にも対処できる――そう自分に言い聞かせながら、ラファは敵の一撃に備えた。


 敵が再び猛然と刃を叩き込んでくる。振り下ろされるその刃には、今までのどの攻撃よりも殺意が込められているのが感じられた。ラファはその強烈な一撃を刀で受け止めながら機会を探る。しかしそこで少年が予想していなかったことが起きる。激しい斬撃を受けた瞬間、少年が手にしていた刀が音を立てて砕け散ったのだ。


 ラファは驚きに目を見開き、瞬時に状況を理解する。何度も同じ場所に強烈な一撃を受け続けた所為せいで、ついに刃が限界を迎えたのだろう。砕けた刀の破片が空中で炎の揺らぎを反射するなか、敵の目が鋭く光るのが見えた。ここぞとばかりに敵は逆袈裟に少年の腰から胸にかけて斬り上げようとする。


 しかしラファには敵の刃が見えていた。少年の特異な視力――その先天的な才能によって、相手の動きは捉えられていたのだ。敵は、まだラファの異質な力に気づいていなかった。


 そこで少年はダメになった刀の残骸を敵に向かって放り投げる。敵は舌打ちすると、身体を仰け反らせるようにして避ける。敵が刀を避けたその瞬間、ラファは敵に向かって飛び掛かる。そして軽やかに宙を舞いながら、腰に差していた短刀を抜き放つと一直線に敵の胸を狙う。


 致命的な一撃を避けるため、かれは反射的に腕を盾にする。しかしその代償は大きかった。ラファの短刀は左腕に深く刺さり、肉を裂きながら貫通した。敵は苦悶の表情を浮かべながら後退し、つまずくように仰向けに倒れ込んでしまう。


 ラファは追い討ちをかけた。倒れ込んだ敵に馬乗りになると、体重を乗せながら短刀を押し込んでいく。敵は必死にもがきながら逃れようとしたが、少年の体重と力に押し負け、抵抗する余力を失っていく。敵を睨みつけるラファの目は鋭く、そこに躊躇ためらいはなかった。


 短刀が深々と突き刺さる。それは腕を突き抜け、やがて胸部に到達した。敵の身体が痙攣し、口からゴボゴボと血が溢れ出す。驚愕と苦痛が入り混じった表情が浮かびあがり、全身の力が抜けていく。ラファはその姿を見下ろしながら、確実に相手の命を絶つため、さらに刃を深く押し込んだ。


 最後の息を吐き出すかのように敵は血を吐き、そして静かに息絶えた。その顔には驚愕の表情が刻まれたままだった。まさか辺境の蛮族に――それも年若い少年に負けるとは思っていなかったのだろう。ラファは短刀を引き抜き、疲れたように息を整える。そこでようやく周囲の喧騒が戻ってくる。戦いはまだ終わっていない。


 ラファが暗部の手練れを仕留めていたころ、アリエルもまた多くの敵に囲まれ、苛烈な戦いの真只中に立っていた。青年の全身は敵の返り血にまみれていて、濃い鉄の臭いが辺りに立ちこめている。禍々しい鋸歯状の刃からは、ヌメリのある血液が糸を引くように滴り落ちて地面を赤黒く染めていた。


 次から次へと襲い掛かってくる敵に息をつく暇もない。そこに厄介な存在が姿を見せた。怒号とともに〈ラガルゲ〉に騎乗した戦士たちが木々の間からあらわれた。太い胴体にどっしりとした四肢を持つオオトカゲに、鎖帷子と革鎧に身を包んだ戦士たちが乗っていて、その手には槍が握られている。


 まともにやりあっても勝ち目はないだろう。アリエルはすぐに状況を判断する。すでに大量の呪素を消費していたが、出し惜しみしている余裕などない。青年は敵を睨みながら息を整え、体内の呪素を練り上げていく。


 瘴気を含んだ呪力の波動が周囲に広がり、その場の空気が一瞬にして変化していく。アリエルはその場にしゃがみ込むと、そっと地面に両手をつける。泥と石の感触が手のひらに伝わると同時に、呪素が地中に流れ込んでいく。


 オオトカゲに騎乗した戦士たちは変化を感じ取りながらも、青年に向かって突進する。巨大な爬虫類が地を揺るがし、彼らが手にする槍の穂先が篝火を反射して輝く。


 しかし次の瞬間――地面が突如として隆起していくのが見えた。オオトカゲに騎乗した戦士たちの真下、足元の地面がまるで生き物のように波打ち、身の丈ほどもある巨大な円錐状の岩の杭が次々と突き出す。膨大な呪素によって泥濘が硬化し、鋭い穂先のように戦士たちに襲い掛かる。


 オオトカゲは地面の変化に驚き、その場で思わずたたらを踏む。そして逃れることもできず、地面から突き出た鋭い杭に貫かれていく。槍を振り上げた戦士たちも同様に、そのまま杭の尖端に串刺しにされ、激しい痛みの中で叫び声を上げた。彼らの身体は引き裂かれ、無残に地面に倒れ込んでいく。


 哀れなオオトカゲもまた鋭い杭に貫かれ、地面に突っ伏して動かなくなった。アリエルの呪術によって作り出された地獄のような光景に、周囲に立っていた戦士たちは恐怖に凍りついていく。


「つぎの相手は……」

 アリエルは息を切らしながらゆっくりと立ち上がる。血と糞尿の臭いが鼻を突くなか、彼の身体は重く、まるで鉛のようだ。大量の呪素を消費した影響なのか、足元がふらついて視界も微かに歪む。手は痺れ、刀を握る力さえ失いかけている。


 それを攻撃の機会と捉えたのか、数人の蛮族が向かってくる。しかしアリエルは動じない。むしろソレを好機だと捉えた。彼は疲労を感じながらも意識を集中させ、地面に剣を突き立てた。それから腰に手を伸ばし、手慣れた動作で蛇刀の柄を握る。


 最初の犠牲者は巨漢の戦士だった。大きく振りかぶった斧が力強く振り下ろされる。斧の重みと勢いが、大地を裂くかのように迫ってきた。アリエルはわずかに身体を反らし、紙一重のところでかわす。振り下ろされた斧は空を斬り、その勢いに敵の身体がわずかに前のめりになる。


 アリエルは瞬時に蛇刀を抜き、うねりのある刃を首元に突き刺す。すると敵の体内に流れる呪素が――刃を通して流れ込んでくるのを感じた。大男は血を吐きながらその場に崩れ落ちる。その目は恐怖に染まっていた。自分の力が奪われ、魂さえ傷つけられるような感覚に混乱していたのかもしれない。


 ソレは微々たるものだったが、体内に呪素が満ちていくのを感じながら青年は短刀を構える。『まだ足りない』と、誰かが耳元でささやく。

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