第6話 04〈豹人〉


 月明りすら届かない深い闇のなかで敢行された強襲は、敵部族の熾烈しれつな抵抗に遭い、想定していたよりも味方部隊に多くの損害を出すことになってしまっていた。


 戦域に遅れて到着したアリエルの部隊は、混迷を極める戦場で素早く状況を把握するため、〈呪術師〉としての姉妹たちの能力を頼ることになった。彼女たちは〈念話〉をつかい戦場に散らばる仲間たちと連絡を取り合うと、部隊を指揮するアリエルに情報を伝えていく。


 味方部隊を側面から攻撃するため、少数で突出してきた部隊の存在を確認すると、青年は兄弟たちと首長の戦士に的確な指示を出し、それに対処させることにした。


 古の聖地〈霞山かすみやま〉を不法占拠する部族の呪術師が暗い空に打ち上げた無数の小さな太陽が、夜の闇に古代の神殿を白く浮かび上がらせ樹木や建築物の影をつくりだしていく。それらは妖艶な踊り子が乱舞らんぶするように、音もなく揺れ動いていた。


 暗闇に浮かび上がる壮麗な遺跡の数々は、見るものを畏怖させる充分な迫力がある。かつて〈神々の森〉の秀才が集まり〈盲目の信徒〉と共に学び、生活していた神殿の遺跡がこんなにも美しいのは、あるいは当然のことのようにも思えた。


 突然、夜明け前の静けさを引き裂くような閃光がまたたくと、腹の底に響く雷鳴にも似た炸裂音が響きわたる。どうやら遺跡の反対側に展開していた襲撃部隊と守備隊の間で激しい戦闘が始まったようだ。


 アリエルは遺跡の大通りかられた路地に入ると、適当な高さの石壁を見つけ、駆け上がりながら眺望がきく建物の屋上に出る。


 至るところで火の手が上がる遺跡群をしばらく睨んでいると、思わずまぶたを閉じるほどのまばゆい閃光が瞬いて消える。戦士たちの悲鳴を打ち消す轟音と残響のなか、またしても閃光が走り、そして空気をつんざく破裂音が響きわたる。


 遺跡の通りを行く戦士たちは何かを大声でわめき立てると、炎に群がる羽虫のように戦域に向かって駆けていく。通りの反対に視線を向けると、かつての面影が残る壮麗そうれいな宗教建築が連なる区画が赤々と燃えているのが見えた。


『エル、どうするつもりなのですか』

 背後から聞こえた豹人の鳴き声に驚いたが、青年は平静を装う。


「敵守備隊との小競り合いには介入しない、俺たち混成部隊の目的は略奪や強姦じゃない。ましてや、戦場を混乱させることでもない」

『では、私たちはなにをするのですか?』と、彼女は小さく唸ってみせる。


 アリエルはすぐとなりに立つノノにちらりと視線を向ける。灰色がかった白花色しろはないろの美しい体毛が、燃え盛る炎の灯りを反射して艶のある輝きを放っているのが見えた。


「聖域に保管されている秘宝を、〈神々の遺物〉を見つけ出すことだ。守備隊との戦闘は、ルズィが指揮する主力部隊に任せる」


『それでよろしいのですか?』

「ああ」それから青年は顔をしかめる。

「こんな馬鹿げた争いや殺し合いに意味はないんだ。さっさと目的のモノを見つけて戦域を離脱する」


『そのことを首長に知られでもしたら――』


「俺たち混成部隊は」と、青年はノノの言葉を遮る。

「ルズィの部隊とは根本的に違う。はじめから何も期待されていないんだ。だから首長は気にもしないだろう」


『そうでしょうか……』

「それに、俺たちの行動を首長が知る必要はない」


 ノノはじっと何かを考えながら燃え盛る遺跡群を見つめたあと、太く長い尾をゆっくりと左右に振る。


『わかりました。では、すぐに部隊と合流しましょう。敵は奇襲に驚き混乱していましたが、すでに徹底抗戦の構えを見せています』


「わかった。戦士たちと合流しよう」

 青年はそう言うと、若い豹人を連れて通りに出る。

「なんとしてでも〈遺物〉を確保する。たとえ首長が気に入らなくとも」


 アリエルの深紅の瞳はあやしく輝き、夜の闇に鮮やかな残像をつくり出してた。



 植物に覆われた巨大な噴水が残る広場に出ると、視線の先に見えていた通りから戦士たちの怒号が響いてきた。守備隊としての任務を放棄して逃げ出した戦士たちが、略奪を行う首長の部隊と遭遇して戦闘になったのだろう。


 ふたりはその戦闘に加わることなく、広場に面して建てられていた商店の廃墟に沿って走ると、戦域から離れた位置で待機していた部隊と合流する。


 兄弟たちは黒く染められた麻布の古衣に使い古された革鎧を重ね着して、粗末な革の具足をつけ、太刀を背負い、腰には小さな手斧を紐で吊るしていた。寒さをしのぐために黒オオカミの毛皮を羽織っていたが、その姿はどこかみすぼらしい。


 対照的に首長の戦士たちは一部に鉄が使われた革鎧を着込み、両刃の重そうな斧を手に持っていた。しかしそれは、痩せ細り体力のない戦士たちには適さない装備に思われた。


 アリエルとノノが到着すると、兄弟のひとりが少ない言葉で状況を報告してくれる。


「少数で突撃してきた間抜けは片付けた」と。

 アリエルはうなずいたあと、単調な声で誰にともなくいた。

「例の建物の偵察はしてきたか?」


 片耳のない兄弟は肩をすくめると、廃墟の向こうに見えていた神殿を見つめる。

「目標の建物は、敵部族の守備隊と略奪を目的とした味方部隊が正面から衝突していて、娼婦のケツよりも酷い状況になってる」


 アリエルは娼婦のケツについて考えようとしたが、すぐに馬鹿げた考えを捨てる。

「出遅れたみたいだな……。展開している部隊の規模は分かるか?」


「神殿入り口付近に敵部族の守備隊が八十ほど、味方はその半分の数で攻撃を仕掛けてる」


 状況はよくない。神殿に侵入するまでの僅かな間、味方部隊が守備隊の攻撃に耐えてくれることを願うしかない。


「先行している別動隊との合流を急ぐ。ノノ、案内を頼めるか」

『すぐに移動しましょう』


 それからアリエルは待機していた兄弟たちと視線を合わせる。夜の闇のなか、戦士たちの眼だけが妖しく浮かび上がっている。それは暗く深い森で何度も見てきた緊張を含んだ眼差しだった。


 激しい戦闘が行われている場所の目と鼻の先に待機していた味方との合流を急ぐ。重たい鎧を身に着けていない兄弟たちの動きは速く、敵に気取られることなく目的の場所にたどり着くことができた。しかし首長の戦士たちは疲れ切っていて、限界が近いように見えた。


 部隊に合流すると、守人の最年少でありながら最も武の才能に恵まれた人間の少年が、その小さな身体からだをさらに縮こませながら駆けてくる。緊張しているのか途中で転びそうになって、兄弟たちから笑われてしまう。


「負傷者はいません。首長が貸してくれた戦士たちも健在です。それで、えっと……いつでも行動を開始できます」


『落ち着いて、ラファ』

 リリがやってくるとラファと呼ばれた少年は彼女の顔を見て、それからアリエルに視線を戻した。そして大きな茶色い瞳を隠すようにまばたきしたあと、リリに頭を下げた。

「失礼しました、お嬢さま……」


『お嬢さま?』と、リリは目を細める。

『どうして、わたしのことをそんな風に呼ぶの?』


 臆病な少年はちらりとアリエルの顔を盗み見たあと、小さな声でリリの質問に答えた。

「人間にとって〈呪術師〉が特別な存在だからです」


『ふぅん……』彼女は適当に相槌を打ったあと、思い出したように鳴いてみせた。『そう言えば、〝体毛のない人々〟はわたしたちと違って、数百人にひとりの割合で呪術師が生まれてくるんだったね。すっかり忘れてたよ。でもね、そんなにかしこまらなくてもいいんだよ。わたしたちにとって呪術師は特別な存在じゃないんだ』


 少年は彼女にいくつか質問がしたかったが、リリは話すことを止めることができないようだった。


『どれくらい特別じゃないのかっていうとね、ひともまばらな通りに向かって拾った石を適当に投げても、必ず呪術師に当たるくらい普通のことなんだ。でも、どうして体毛のない人々の神さまは、彼らにもっとマシな能力を授けなかったんだろう。だってそうでしょ。叔母さまがね、人間に与えられたのは異常な闘争心と繁殖力だけだって言ってたんだ。でも、そんなに殺したり増えたりしてどうするつもりなんだろう』


 もちろんそれは冗談で真実ではなかったが、それを聞いた幼いリリは増え過ぎた人間が森の果実を食べ尽くして、ほかの生物を飢えさせる夢にうなされたことがあった。いずれ体毛のない人々で世界が満たされて、すべての生命が餓死してしまうのではないのかと、真剣に考えたこともあったくらいだ。


 ノノは興奮するリリを落ち着かせると、廃墟の陰に待機していた部隊のもとに彼女を連れていく。その様子を見ていたアリエルは肩をすくめて、それからラファの肩に手をのせる。


「あまり気負うな。ラファは実戦には慣れていないけど、兄弟の誰よりも戦闘技術に長けている。それに、若いからといって過小評価するつもりもない。俺は戦士としてラファを信用している」

 少年はアリエルの眸をしっかり見つめた。すると不安に揺れていた瞳に力強さが戻る。


「けど一瞬の不注意が取り返しのつかない結果をもたらすことにもなる。だから俺たちは冷静に、そして〝静かな湖面のように〟心を動かさなければいけないんだ」

「はい」


 部隊と合流するため、暗がりに向かって駆けていく少年の背中を見つめたあと、アリエルは戦闘が行われている遺跡前の広場に視線を戻した。大地に横たわる巨大な生物の亡骸のように、その遺跡は周囲の生命を威嚇しているように見えた。


 広場では数に勝る敵守備隊が優勢に見えたが、略奪を目的とした首長の野蛮な戦士たちの士気に乱れは見られない。


 大丈夫だ。なにも恐れることはない。〝静かな湖面のように〟そして冷静であれ。今度は自分自身に言い聞かせるようにそっとつぶやいた。


 仲間のもとに行こうとして足を踏み出すと、雷鳴のような大音響と激しい閃光の瞬きが見えた。その強烈な閃光は、敵守備隊の陣地から味方部隊の中心に向かって放たれていた。閃光の着弾点が轟音と共に爆ぜて、その周囲にあるすべてを切り裂き破壊していく。


 閃光の瞬きのあと、衝撃音と共に肉片や手足が空中に舞い上がり、何が起きたのかも理解できず立ち尽くしていた味方部隊の上に降り注いだ。アリエルの足元には、誰のモノなのかも分からない腕が、手斧を硬く握りしめたまま落下してきた。


 立ち昇る黒煙のなか、混乱におちいる味方部隊を尻目に青年の視線は遺跡の入り口、木製の巨大な扉に向けられていた。扉の前に立つのは赤い祭服を着た数人の〈呪術師〉だ。その中心にいる女性が戦士たちに両腕を向けると、手の先に光の球が形成されていくのが見えた。


 味方部隊の半数を肉片に変えた呪術師たちが、これから何をしようとしているのかは火を見るより明らかだった。けれど青年は味方を救うことよりも、自分が指揮する部隊を動かすことを優先させた。


 赤い布で顔を隠した呪術師を一瞥したあと、彼は遺跡に背を向ける。閃光が周囲の建物を白く浮かび上がらせ、直後、轟音が響き渡る。けれど青年は振り向くことなく部隊のもとに向かう。


 倒壊した建物の影、戦域から死角になっている場所に待機していた戦士たちは、心を落ち着かせながら青年の指示を待っている。部隊の先頭には呪術師の姉妹とラファが立っていて、その後方には守人の戦士が六名。すぐ背後には不安そうな表情を浮かべる首長の戦士が並んでいる。


「敵は切り札となる呪術師を投入してきた。もうあとがないのだろう。我々はこの混乱に乗じて、守備隊の背後にある神殿に突入する」と、青年は語気を強めながら言う。


「戦闘は極力控えてくれ、邪魔なモノだけを相手にして、大扉まで全速力で駆け抜けろ。遅れた戦士は捨て置く、そのつもりで動いてくれ」


 ノノに視線を合わせると、彼女は一歩前に出て鞘から太刀を引き抜いた。

『抜刀!』

 彼女の力強い言葉と共に守人たちは鞘から太刀を引き抜いた。


 アリエルは夜明けの赤に染まり始めた空を見上げる。

「さぁ、忌々しい死地に飛び込むぞ!」


「森と共に生き、森と共に死を」戦士たちは声の限り声をあげる。

 兄弟の声に答えるように、青年は声を張り上げた。

「皆と共に!」


 戦士たちは素早く、そして無駄のない動きで戦場に向かって駆け出した。目的の遂行だけが頭にある。守人としての規律と士気の高さが困難を可能にする。しかし首長の戦士の多くは目的を達成させることなく、遺跡前の混乱に呑み込まれ、遺跡にたどり着けないまま命を失うことになるだろう。


 戦士たちの重い装備、そして何よりも彼らの頭の中にある不安と〝恐怖〟が、彼らの動きの妨げになるからだ。けれどアリエルには戦士たちの不安を取り除くために、声をかけている時間も余裕もなかった。



 豹人について。

 二足歩行する猫科動物です。体表の一部を除いて全身が厚い体毛に覆われています。身体能力が高く、呪術の操作に優れています。


 男性はオスライオンに似た頭部を持ち、二メートルほどの大柄の体格に立派なたてがみがあります。対照的に女性はユキヒョウのように小さな頭部を持ち、豹人の男性に比べて小柄です。しかしそれでも人間の男性の平均的な身長を上回ります。


 豹人は北部で完全に独立した勢力を保ち人間と距離を置いていますが、種族の掟を破り追放されたものや、北部から逃げてきた犯罪者、はみ出し者たちが人間の部族に加わることが確認されています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る