第218話 73


 植物におおわれた遺跡の通りを歩いていると、石造りの門が見えてくる。ツル植物が絡みつく門は長い年月を経てもなお、古代の荘厳さを感じさせた。青みがかった苔に覆われた石の隙間からは微かな光が射し込み、その光が〈転移門〉に神秘的な雰囲気を与えているようでもあった。


 遺跡には微かながらも瘴気が漂っていた。混沌の気配は薄く、まるで幽鬼が彷徨っていたかのような感覚を抱かせ、首筋に鳥肌が立つのが分かった。それが遺跡の謎めいた雰囲気をいっそう強調している。大気中には薄い霧が立ち込めていて、視界が悪く、いやでも緊張と不安が入り混じった奇妙な感覚にさせる。


 その雰囲気に呑まれないように気を取り直すと、アリエルは仲間と手分けして〈転移門〉を動かすための石柱を探すことにした。遺跡は迷宮のように複雑に入り組んでいて、周囲には白と紅に染まった広葉樹が林立し、人の背丈よりも高いキノコが立ち並んでいるのが見えた。


 白い幹を持つ木々と黒い石の遺跡が自然と調和し、神々が愛した森の姿を垣間見るような奇妙な錯覚を抱かせる。そこには独自の生態系が広がっていて、人を寄せ付けない自然の厳しさが感じられた。日の光を受けた枝葉が紅に輝き、キノコの傘は深紅に染まっていく。アリエルたちは石柱を探すためにその幻想的な風景の中を進んでいく。


 時折、風で揺れる枝葉のざわめきが耳に届くが、森は奇妙なほどの静寂に包まれている。その静寂の中に、アリエルたちの足音だけが聞こえていた。


 ノノとリリが倒壊した建物に入っていくのを見届けたあと、アリエルは斜めに傾いていた崩れかけの塔を見つける。その荒れ果てた黒い塔は、かつて遺跡の象徴的な建造物だったことがうかがえるが、今や植物が生い茂り、辺りには崩れ落ちた石が散乱している。


 アリエルは塔の壁に手をかけると、突起や隙間を利用して登っていく。草が生い茂る石壁は僅かな振動でも崩れそうになっていて、何度か足を踏み外しそうになるが、それでも慎重に登り続ける。その過程で、古代の遺物や彫像が草に埋もれているのが見えた。ソレはかつての栄華を忘れないために、荒廃した遺跡を見つめ続けているようでもあった。


 両膝を抱えるようにして座る特徴的な彫像には見覚えがあった。それは部族の間で〈見守るモノ〉として知られていた老いた呪術師の姿をかたどったモノだった。苔が生い茂る彫像は静かな威厳を持ち、その老いた目には多くの知識と経験が刻み込まれているように見えた。


 その老婆の手には〝生命と癒し〟を象徴し、満月と結びつけられる〈イアエー〉の枝で作られた杖が握られていたが、淡い燐光を帯びた杖には〝死と再生〟を象徴し、新月と結びつけられる白い大蛇が巻き付いているのが見えた。もちろん、その大蛇も〈イアエー〉の枝で丁寧に作られていた。


 古の彫像は月の二重性と、生と死の循環を象徴している。満ちる月と欠ける月、それぞれが生命と死の過程を表していて、死せることのない老婆がその両方を見守っていることを示していた。アリエルは彫像の周囲に微かな瘴気が漂っていることに気がつくが、そこにどのような〝御呪おまじない〟が使われているのかまでは分からなかった。


 石壁の隙間に手のひらを捻じ込んだあと、拳をつくるように手を握って引っ掛かりをつくる。何度か手を引っ張って抜けないことを確認したあと、片方の手を休ませる。息を整える間、アリエルは周囲を見回して、つぎの手掛かりを探す。重心は安定していて、落下する心配はない。つめたい風が吹くと月白色げっぱくいろに染まる長髪がそよぐ。


 アリエルは深紅の瞳で彫像を一瞥したあと、再び塔を登り始めた。その途中、塔の壁面に刻まれた模様が目にとまる。それは蛇の鱗を浮き彫りにしたもので、彼は〝死と戦〟の神として知られる〈名もなき小さな蛇〉のことを思いだした。


 この蛇は死者の皮をまとって地上で狩りを楽しんだあと、地底深くにある自らが治める〈腐肉にまみれた都〉に人々を連れ去り拷問することで知られていた。その恐ろしい神話の一部が塔の壁に刻まれ存在し続けている。きっと何か意味があるはずだ。


 神話が刻まれた黒い塔は多くの謎を秘めていた。神々が争った地で彷徨い続ける亡者を鎮魂するために築かれたとも、戦の勝利を讃えるために建てられたともささやかれていた。しかし、これらの諸説はあまりにも曖昧で、真実は闇に包まれたままだった。


 部族の呪術師たちでさえ、この塔の謎には頭を抱えている。神秘的な塔は歴史や神話の奥深くに埋もれ、解き明かされぬ謎を抱えつつ探索者たちを魅了している。


 あと少しで頂上に到着しそうだったが、その先には得体の知れないツル植物が絡みついていた。あちこちに薬指ほどの棘が見られ、それは刃物のように鋭い。自らが障害になることで塔を守っているようでもあった。が、今さら引き返すわけにはいかない。鉄紺に染まる右腕を持ち上げると、ツル植物に手のひらを向ける。


 アリエルは〈災いの獣〉が使っていた不可視の衝撃波を参考にしながら、大気中に漂う呪素じゅそを圧縮し、破裂させるように一気に放つ。風を操る呪術〈風槍ふうそう〉と異なり、瞬間的に衝撃波を発生させるので攻撃の隙も少ないはずだ。


 障害になっていたツル植物が破壊され落下していくのを見届けたあと、青年は塔の頂上に立つ。黒い塔は傾いていたが、それなりの高さがあり、遠くの景色を見渡すことができた。遺跡の周囲には紅い森が広がり、その向こうに起伏があるのが見えた。木々に隠れているが山々が連なっているのだろう。


 高い位置から眺める森の景色に心を奪われていたが、浮遊する目玉のような球体が近くまで飛んでくると本来の目的を思い出す。その瞳はノノの〈呪霊じゅれい〉で、〈転移門〉を探すために顕現けんげんさせたものなのだろう。


 しばらく遺跡を見回すが石柱は見つからない。そこに武者を連れた照月てるつき來凪らなの姿が見えた。彼女の〈千里眼〉を使えば、すぐに目的のモノが見つかるかもしれない。だが、さすがに塔の頂上まで登るのは大変なのかもしれない。そう思って周囲に視線を向けると、折りたたみ式の鎖ハシゴがツル植物に埋もれているのが見えた。


 鎖の強度を確認したあと、下に向かって放り投げる。錆びが目立つが、女性ひとりの体重なら問題ないだろう。すぐに〈念話〉を使って彼女と連絡を取ると、塔の頂上まで登ってきてもらうことにした。彼女は塔を仰ぎ見て不安そうな表情を見せたが、意を決しハシゴに手をかける。


「ありがとう」手を握って引っ張り上げたあと、彼女は足元の塔を見ながら言う。「それにしても、ひどく奇妙な塔ね。さっきまで塔なんてどこにも存在していなかった。それなのに塔のことを教えてもらった瞬間、まるで奇跡のように目の前に姿を見せた」


 何を言っているのか理解できず顔をしかめると、彼女は頬をふくらませる。その可愛らしい仕草にアリエルが苦笑して見せると、彼女は不貞腐れてみせたが、塔の頂上から見える景色に機嫌を良くする。それから彼女は報酬として手に入れていた眼鏡をかけ、〈小妖精の気まぐれ〉を使い石柱の場所を探す。ほどなくして草木に埋もれた建造物を発見する。


 そこではじめて青年は彼女の言葉の意味を理解する。先ほどまでその建造物はどこにも存在していなかったが、今ではハッキリと認識できるようになっていた。隠蔽の呪術が使われていたのかもしれない。豹人の姉妹と合流したあと、すぐに建物に向かう。


 石積みの建物は植物に覆われていたが、建物内部に植物は入り込んでいなかった。そこには鎧を身につけたまま白骨化した大量の死骸が残されていて、その中心に目的の石柱を見つけることができた。


 白骨化した無数の死骸を調べていた照月來凪は、壁に刻み込まれた文字を見つける。それは共通語でもない古い言語だったが、小妖精の眼鏡をかけていたからなのか、彼女にはその文章を読むことができた。きっとそれも小妖精の〝気まぐれ〟のおかげなのだろう。


「かれらは我々が降伏すると思っているようだが――」と、彼女は読み上げる。「我々は〝人間の盾〟を利用し最後まで戦うことを選んだ。邪神を崇める野蛮な民がいくら死のうが、それは我々に関係のないことだ。そしてこの不毛な戦いに勝利し、我々にふさわしい戦利品を手に故郷に凱旋するだろう」


 かつてこの遺跡は戦場になったようだ。アリエルは薄暗い建物に残された無数の骨を眺めた。錆びついた剣や槍が突き刺さったままのモノもあれば、無数の矢が骨の間に挟まっている死体もある。どちらが生き残ったのかは分からないが、この遺跡が放棄されるキッカケになった戦いだったのかもしれない。

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