第167話 22


 それは広大な都市だった。しかし、多くの建物は廃墟になっているらしく、古代遺跡のような黒い石組みの建築物も見られたという。その場所では崩壊した建物と壁が折り重なり、生物の姿を見ることは滅多にできなかった。だが……たしかにソレは都市だった。けれど厳密に言えば、都市の残骸でしかなかったのかもしれない。


        〈盲目の使徒〉が残したとされる古い〝覚え書き〟からの抜粋。


 略奪された集落で野盗を始末したあと、アリエルたちは街を目指して移動を続けていた。街が近いからなのか、街道で擦れ違う通行人の数が増え、草原で野営する人々の灯火を垣間見るようになった。


 荷馬車や牛車の周囲では女性や子ども以外にも、大きな体格をした職人や農夫の姿も見られたが、亜人の姿を見ることはなかった。森の外には人間しかいないのかもしれない。あるいは、この地方には人間しかいのだろう。ノノとリリを連れてこなかったのは正解だったのかもしれない。


 街道を行く人々は歩くことに疲れ切っていて、その多くが貧相な身形をしていた。ボロ布を身につけ、日に焼けた肌はすすや垢にまみれていて、アリエルたちに見向きもしなかった。そのなかには、武装した傭兵らしき者たちの姿も確認できたが、錆びた長剣に斧、それに鎌やくわといった農具のようなモノを手にした者がほとんどだった。


 最初に遭遇した鉄の鎧を身につけた戦士たちとの違いに青年は困惑する。この豊かな土地では、誰もがあの見事な鎧や馬を所有できるのだと考えていたが、どうやらそうではないらしい。一見すれば、森の部族よりも貧しい格好をしている者も多く見られた。土地に問題があるようには見えない、では、統治者に問題があるのだろうか?


 午後になると、物資を満載した荷馬車と護衛を連れた身ぎれいな行商人がやってきて、どこか遠慮がちに話しかけてきた。おそらくだが、物資が必要ないか確認しているのだろう。我々は野営のための荷物を持っていなかったので、商売になると考えたのだろう。


 しかしベイランが一言二言と何かを口にすると、商人は残念そうに隊商に戻っていった。


 その間、暇そうにしていたラライアは道行く人々にアリエルが描いた〝転移門〟の絵を見せて、門がある場所を知っているかたずねていた。けれど多くの人間はラライアの格好に驚き、いやらしい目付きで胸元を見たりするだけで、転移門の絵に興味を持つ人間は少なかった。


 やはり言葉が通じず、まともに意思疎通できないからなのだろう。だがその絵を見たベイランは眉間に皺を寄せ、なにか知っているような表情を見せた。


 移動の間、青年は外の世界についてあれこれと考え、物思いにふけっていた。アリエルの性格を知るラライアは気にもしなかったが、ベイランとエズラは違った。


 ふたりは野盗の集団をただひとりで、それも一瞬で殲滅してみせる悪魔のような青年が黙り込んでいることに恐怖を覚えていた。もしもあの力が自分たちに向けられたら、そのときは死を覚悟するしかないのだと。


 翌朝、一行を案内するベイランは街道を逸れ、空に暗雲が立ち込める西に馬を向けた。人々の姿は見られなくなり、代わりに廃村や荒廃した墓地らしきものを見るようになった。今にも食屍鬼グールの群れに襲撃されそうな雰囲気が漂っていたが、ここでは食屍鬼グールの姿を見ることはなかった。


 そこには人々の思念の残滓すら残されていなかった。


 空が灰色の厚い雲におおわれると、草原のずっと先に高い壁に囲まれた都市が見えてくる。しかしどうも様子がおかしい。その都市からは人の気配が感じられないのだ。石組の黒い壁が近づいてくるころには、その都市が廃墟――というより、遺跡だということがハッキリと確認できるようになった。


 黒い壁が近づくにつれて、荒廃した都市の様子が明らかになっていく。石組みの黒い壁には崩壊の痕跡や亀裂が見られたが、不思議なことにツタやツル植物の類は見られなかった。そしてそれは壁だけでなく、石畳で舗装された道も同様だった。この場所には雑草すら生えていないようだった。


 巨大な門の先に見える建物の扉や壁も崩れ落ちていて、長い年月の間、人々の手を離れたまま放置されていたことが推察できた。しかし無理もない。都市に近づくだけでも全身に鳥肌が立つような嫌な感覚に襲われてしまっている。つねに鋭利な刃物を向けられる感覚に耐えてまで、遺跡に近づく必要性を感じないのだろう。


 石組みの黒い壁を見ながら、アリエルたちは巨大な門に近づいていく。その門からは――説明することは難しかったが、どこか超自然的な、あるいは混沌の瘴気にも似た嫌な気配が感じられた。


「そうか……」黒い門を仰ぎ見ていた青年は確信する。

 かつてこの場所は城郭都市じょうかくとしとして栄えていたんだ、と。


 門は高くそびえ、その先に見える都市には陰鬱な霧が立ち込めている。壮大で威容を誇る門からは、何世代にもわたって人々の歴史を見守ってきた威厳さすら感じられたが、今はただただ寂れて、近づくものを――それが誰であれ、威嚇しているように見えた。


 黒い門の表面に浮かび上がる模様からは、部族で見られる古代の呪術的な力と気配が感じられたが、それが意味することは理解できなかった。青年は不安に満ちた心情を抱えながらも、目の前に広がる都市遺跡を見つめる。


 その不気味な雰囲気に、彼の胸はざわめいていた。しかし、何かが青年をこの場所へと導いているような感覚も同時に感じることができた。


 アリエルはラライアと視線を交わす。彼女も都市に立ち込める異様な気配を感じているのだろう、その目からは緊張感とかすかな恐怖心が見て取れた。


 ただし、不安を抱えながらも目的を達成させる意思も感じられた。街に向かうために、この都市遺跡を通過する必要があるのなら、それを避けるようなことはしない。彼女はどこにも逃げないし、アリエルから離れることもないだろう。


「嫌な感じがするけど、ほかに選択肢もない」

 青年の声が風に乗って遺跡の暗がりに消えていく。黒い石畳を踏みしめる馬の足音が、幽鬼の声にも聞こえる不気味な風の囁きと交えり合い、都市に響き渡り、かれらを未知の世界へ案内する。


 門を通り抜けると、群衆に取り囲まれているような騒がしい人の音が聞こえてきた。それはまるで死者たちが、世界の裏側から語りかけているかのような音だった。言葉は理解できないが、その存在感は明確で、生者と死者の境界が交わっているような感覚に襲われる。


 荒廃した都市遺跡に佇む一行は、この異様な体験に戸惑いを覚えながらも、何か不思議な力に引き寄せられるように都市に入っていく。


 ベイランとエズラは都市が呪われているという噂は知っていた。その場所に足を踏み入れると、死者たちの声が聞こえることも。しかし死者の魂が徘徊していることは知らなかった。建物の間に吹く風の音が、荒廃した都市に潜む異様な気配を浮き彫りにする。


 馬は恐怖にいななきをあげて都市から離れようとする。ベイランは馬をなだめ、不安を抱えて進むことを余儀なくされる。そこかしこから死者の気配が感じられるなか、彼らは慎重に通りを進む。


 エズラは呪われた都市に隠されているという財宝の話を思い出す。しかし都市にあるモノは、たとえ小石ひとつだったとしても、壁の外に持ち出すことは禁じられていた。信仰心のあつい人間でも、呪いの力を恐れる人間は少ない。が、この都市に蔓延はびこる呪いを恐れない人間はいない。誰もが黒い都市の呪いを恐れ、財宝はおろか、都市を囲む壁にすら近づかなかった。


 その忌まわしい都市を見まわしたあと、ベイランは憂鬱な顔で空を見上げた。暗くなる前に都市を離れなければいけない。そうしなければ、取り返しのつかないことになるだろう、と。

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