第121話 21


 食屍鬼グールのように死肉をむさぼる生物が遺跡にやってこないように、傭兵たちの遺体を焼却する必要があった。遺体は適切に処理されることなく放置されていたが、背嚢はいのうの中身は護符や携行食にいたるまで、すべて持ち去られているようだった。


 彼らは手分けして遺体を一箇所に集めると、呪術の炎を使い焼却してから持参していた護符を使用して周辺一帯の浄化を行う。


 それが終わると、一行は野営地に向かって移動を開始した。アリエルとルズィ、それにラライアとザザだけになってしまったが、〈黒の魚人〉の戦闘部隊に遭遇しなければ問題なく野営地にたどりつけるだけの十分な戦力だった。


 バヤルたちのたくらみや真の狙いは分からなかったが、とにかく仲間と連絡を取り合うため、呪術器を使わずとも〈念話〉ができる場所まで移動する必要があった。


 すでに日が傾き始めていて、湖からは凍えるような冷たい風が吹くようになっていた。一行は戦狼いくさおおかみの姿に戻ったラライアを先頭に、湖を横目に見ながら〈白冠の塔〉がある遺跡まで駆け足で移動する。オオカミの姿になったラライアはみの戦士よりもずっと体力があるので、先行して敵がいないか確認する斥候の役割を任されていた。


 しかし警戒すべき〈黒の魚人〉は、呪術によって姿を隠すことのできる厄介な相手だったので、アリエルたちも敵の存在を示す兆候を見落とさないように、神経を研ぎ澄ませ最大限に警戒しながら移動を続ける必要があった。もちろん、上空を飛んでいた鳥を使って周囲に敵がいないか確認することも忘れない。


「なぁ、ルズィ。バヤルが暗部に所属している可能性はあると思うか?」

 アリエルの質問に彼は生真面目な表情を見せた。

「どうだろうな。たしかにあの野郎は俺たちを裏切ったけど、暗部に所属できるのは精鋭だけだ。やつにそれほどの実力があるとは思えない」


「でも」と、アリエルは戦闘のときの様子を思い出しながら言う。「呪術師でもないのに、それなりの破壊力がある呪術を使っているのを見た」

「ほかの傭兵にできないことをやってみせたのは認めるけど、あいつが本当に暗部の人間なら、もっと上手うまく立ち回れたはずだ。一時の思いつきで俺たちを裏切るようなことはしなかったはずだ」


「それもそうだな……」

 アリエルが納得したようにうなずくのを見ながら、ルズィは言葉を続けた。

「でも俺たちを油断させるために弱者を演じていた可能性もあるから、警戒はしておこう」

「了解」


 黙々と移動を続けていると、肩高だけでも人間の大人ほどの高さがある巨大なシカのれと遭遇する。枝分かれした白いツノを持つ立派な生物だったが、多くのシカがそうであるように、その獣も神経質で臆病で、ラライアの姿を見るだけで逃げてしまった。


 攻撃的な生物ではないことに安堵あんどしたが、先の景色が見通せない背の高い葦原あしはらはシカの餌場になっているだけでなく、湿地に生息する多くの生物の餌場になっている。これからは危険な生物との突発的な遭遇に、より警戒する必要があるだろう。


 道なき道を進みしばらくすると、〈赤の魚人〉の戦闘部隊が移動しているのを発見する。移動経路を変更して遠回りすれば戦闘を避けられたかもしれないが、アリエルたちは敵を殲滅せんめつすることを選択した。すでに傭兵たちの死体を処理するのに時間を取られていたので、これ以上、野営地にいる仲間との合流に時間をかけるわけにはいかなかった。


 それに敵は黒いうろこを持つ魚人のように厄介な存在ではなかったので、すぐに排除できると考えた。実際、敵は葦原に潜むラライアの存在にすら気がついていなかったのだ。


 その場にしゃがみ込むと、息を殺して敵が通り過ぎるのを待った。原始的な槍を持った醜い魚人がベチャベチャと足音を鳴らしながら通り過ぎると、アリエルたちは敵の背後から接近して一斉いっせいに攻撃を仕掛けた。初撃で四体の魚人を殺すと、残りの二体はルズィとザザの見事な連携で処理することができた。そうして敵部隊は襲撃に気づくことなく、ほぼ同時に息絶えることになった。


 勝利の余韻に浸ることなく適当に死体を隠すと、一行は何事もなかったように行動を再開する。しかし〈赤の魚人〉の集落が近いからなのか、敵の巡回部隊と頻繁に遭遇することになる。移動経路を変更することも考えられたが、やはり時間を無駄にしないため、敵を殲滅していくことを選択した。


『このまま敵を倒しながら進むの?』

 ラライアの疑問にルズィはうなずく。

「連中は他の魚人の部族と違って、警戒心というものがほとんどないんだ。だから有効な攻撃手段として何度でも襲撃が行える。つまり、楽に敵を殲滅することができるんだ」


『でも何度も戦ってたら、遠回りするのと同じくらい時間がかかっちゃうんじゃないのかな。ほら、大昔の人も〝急がば回れ〟って言ってたでしょ』


「たしかに魚人どもの状況によっては、遠回りするよりも時間が必要になるかもしれない。でも――」ルズィは葦原のずっと先にある遺跡の残骸を指差した。「あの尖塔せんとうが見えるか?」

『見えるけど、あれがどうしたの?』ラライアは可愛らしい犬のように首をかしげる。


「あそこまで行けば、呪術器に頼らなくても野営地にいる仲間と〈念話〉を使って会話することができるようになる」

『そっか。バヤルが私たちのことを裏切っていて、塔を攻撃しようとしていることを教えることができるようになるんだね』


「そう言うことだ。それより接近してくる敵の位置は把握してるのか?」

『うん、前方から敵部隊が近づいてきてるのが分かる』


 敵の正確な位置を確認したあと、ルズィの指示でアリエルたちは襲撃に適した場所まで移動した。

「今度の部隊は数が多いな……連中の反撃に警戒してくれ」

『任せておけ』ザザはカチカチと大顎を鳴らす。『魚ども扱いには慣れたものだ』

 自信満々の昆虫種族とは対照的に、アリエルは集中し体内の呪素じゅそを練り上げていく。


 頭部が異様に大きい〈赤の魚人〉の姿が見えてくると、アリエルは手のひらに移動させていた呪素を地面に向かって一気に放出する。敵を殲滅せんめつさせるために青年が選択した呪術は、網目の魚人にも使用していた〈土槍〉だった。


 魚人たちが呑気に歩いていた泥濘でいねい隆起りゅうきすると、細く鋭い杭状の突起物が地面から突き出すのが見えた。それは無防備だった魚人たちの身体からだに突き刺さり、哀れな怪物を次々と串刺しにしていった。一瞬の間、彼らの肉体は中空でぶらりと揺れていたが、〈土槍〉の崩壊とともに地面にドサリと落下する。


『見事だ、若き守人よ!』

 ザザは誇らしげに声を上げると、まだ息をしていた魚人に止めを刺していく。それを見ていたアリエルは、確かな手応えを感じていた。


 網目の魚人にはまったく通用しなかった〈土槍〉だったが、標準的な個体を相手にするなら、これほど頼りになる呪術はないだろう。問題があるとすれば、それなりの呪素じゅそを必要とするため、連続で使用することができないということだった。


 戦闘が終わると、一行は植物に覆われたに建築物に接近する。崩壊した尖塔に興味がないのか、周囲に魚人の姿は見られない。そこでルズィは仲間と念話ができないか試みるが、野営地まで距離があるからなのか、連絡を取ることはできなかった。


「クソっ、ここもダメか」

 ルズィは悪態をつくと、すぐに次の手を考える。しかしラライアがあっさりと問題を解決してくれた。彼女はオオカミ特有の身体能力を活かして尖塔の頂上まで登ると、遠吠えで危険を知らせてくれた。彼女の妹であるヴィルマは守人のラファと一緒に行動していたので、危機が迫っていることを仲間たちに知らせてくれるだろう。

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