第120話 20


 白い壁に囲まれた神殿の周囲をぐるりと歩いたあと、入り口の前でルズィと合流した。

「見つかったか?」

「いや」アリエルは頭を横に振る。「上空からも探してみたけど、傭兵たちは何処どこにもいなかったよ。〈念話〉はどうだ?」

「いろいろと試したがダメだった。呪素じゅその経路が遮断されていて、こちらの声が届かなくなっている」


「厄介なことになったな……」アリエルは腰に手を置くと、眉を寄せるようにして険しい表情を見せた。「面倒事に巻き込まれていなければいいけど……」

「だが覚悟はしておいたほうがいいみたいだ」


 ルズィの言葉に青年は疑問の表情を浮かべる。

「傭兵たちの死体が放置されているのを見つけた」

「仲間の死体を回収する時間もなかったってことか……」


 老いた豹人と神殿の地下を調べに行くときまでは、たしかに傭兵たちの姿を見ることができた。しかし今では遺跡周辺を探してもその姿を見つけることができなくなっていた。この短時間の間に、果たして彼らは何処どこに消えてしまったのだろうか。


 アリエルが頭を抱えていると、ラライアが軽快な足取りでやってくる。

「草陰も調べたけど、やっぱり神殿の周りには誰もいなかったよ」

「そうか……」アリエルはそう言うと、高い壁を見上げる。「そう言えば、壁から出現した〝鎧の戦士〟たちを目覚めさせたのが誰だったのか聞きそびれたな」

「案外、あの爺さんが呼び出したって可能性もあるぜ」と、ルズィは言う。


 確かにその可能性はある。魚人のアデュリは、神さまに祈りが届いたおかげだと言っていたが、存在が不確かな魚人の神よりも、膨大な呪素じゅそを身にまとう〝老いた豹人〟が何かしらの呪術を使用したと考えたほうが納得できた。その鎧の戦士はといえば、魚人とキピウのれを殲滅せんめつさせたあと、人の形を維持できなくなり砂のように崩れて跡形もなく消えてしまっていた。


 ラライアが直感的に遺跡の異変に気づいたのは、湖から冷たい風が吹いたときだった。

「血のニオイがする」

 彼女は襲撃に警戒しながら壁を越えて神殿の敷地を離れると、植物に埋もれた通りを歩いた。彼女の護衛をしているつもりなのか、昆虫種族のザザが武器を手に彼女のあとについていくのが見えた。


「俺たちも行こう」

 ルズィに向かってうなずいてみせたあと、アリエルは神殿を仰ぎ見た。


 美しく堂々とした威容いようを示す神殿は、古代の神秘的で禁断とされてきた秘密の数々を抱えている。それは森で生活する多くの部族にとって脅威になるような、深刻な問題でもあった。しかしその秘密について知る者は存在しない。だが、それを調査する時間はあるかもしれない。〈青の魚人〉と交流を続けていれば、いずれ神殿が抱える秘密の一部を暴くことができるかもしれない。


 アリエルは気持ちを切り替えるように息をついたあと、戦闘に備えて装備を確認する。傭兵たちの失踪理由はいまだ判明していなかったが、現在の状況から考えて〈黒の魚人〉が関わっている可能性がある。そしてそうであるならば、襲撃に対する準備をしておいたほうが賢明だろう。青年は見送りに来ていたアデュリに声をかけたあと、遺跡の通りに向かって歩き出した。


「見つけたよ!」

 ほどなくして、ラライアの声が聞こえた場所に向かうと、血まみれの人間が倒れているのが見えた。彼は〈抵抗の丘〉でウアセル・フォレリが雇った狩人のひとりで、バヤルの傭兵部隊と行動していた青年だった。


 しかし腹部を負傷しているのか、ひどく出血しているようだった。彼の近くには胸を矢で射抜かれて息絶えた傭兵がふたり倒れていて、何者かと争った形跡が確認できた。


 アリエルは収納の腕輪から〈治療の護符〉を取り出す。それは守人の砦で支給されていた一般的な効果を持つ護符で、豹人のノノが作製した護符のように劇的な効果はないが、せめて止血しなければマズいことになると考えた。しかしルズィは首を横に振ってアリエルの動きを制した。


「もう手遅れだ」

 彼はそう言うと、倒壊した建物に寄り掛かるようにして座っていた青年のそばにしゃがみ込んだ。腹部から流れ出た血液が足元で血溜まりになって広がっていくのが見えた。

「やったのは黒い魚人どもか?」


 血を流し過ぎたのか、青年は青白い顔で――死期が近い病人のようなうつろな表情でルズィに視線を向けた。

「い……や、違う。やったのは……バヤル……だ。あの野郎は……おれ……たちを裏切りやがった」

 たどたどしい言葉だったが、青年は何が起きたのか教えてくれた。


 アリエルたちが神殿に入ったあと、赤ら顔のバヤルは動ける部下を集めて、怪我をして動けなくなっていた者たちをその場で殺すように命令した。それを見かねた狩人の青年が抗議すると、バヤルは青年にも刃を向けた。抵抗されることなく素早く処理できると思ったのだろう。しかし〈抵抗の丘〉で狩人として生計を立てていた青年を殺すのは簡単なことではなかった。


 彼らは思わぬ反撃にあい、ふたりの仲間を失うことになった。不甲斐ない部下に激昂したバヤルの不意打ちによって青年は倒れた。しかしバヤルは仲間を失ったことに対して感情的になったのではなく、あくまでも命令通りに動けない部下に対して怒りの感情をみせたのだ。バヤルが普段は見せることのない態度にアリエルは驚いているようだったが、ルズィは始めから彼の性格を知っていたのか、少しも驚くことはなかった。


やつが卑怯者なのは誰もが知っていることだ。けどこんな危険な場所で裏切るなんて、連中は何を考えているんだ」

「塔だ……」狩人は血を吐き出すようにして咳込む。「やつは……あの塔を手に入れると……言っていた」

「狙いは〈白冠の塔〉か」

 ルズィは呆れたような顔を見せたあと溜息をついた。


『呪術器に生体情報が登録された者でなければ――』と、ザザが大顎を鳴らす。『塔につながる転移門を開くことはおろか、門として機能する四角い小箱を操作することもできない。普通に考えれば、塔を奪うことなどできないと分かるはずだが、あの臆病者は何をたくらんでいるのだ』


 意外といえば失礼なのかもしれないが、聡明そうめいさも持ち合わせている昆虫種族が言ったように、ルズィのように権限を持たない人間には手出しできるモノではなかった。臆病に見えるほど物事を慎重に見極めてきたバヤルなら、それくらいのことは理解しているはずだった。


「つまり」と、ルズィは嫌な顔を見せる。「バヤルは白冠の塔を手に入れられる当てがあって動いているのか。奴は他にも何か話していたか?」

 しかし狩人が質問に答えることはなかった。


『勇ましい戦士として旅立てることができたようだ』

 ザザは胸に手を当て軽く頭をさげると、触角を揺らしながら大顎を鳴らす。そのさい、彼は祈りの言葉を口にしたが、念話を通しても理解できない発音で言葉がつむがれた。


「いつか、神々の御国みくにで」

 アリエルもまぶたを閉じて祈りの言葉を口にしたあと、野営地にいるウアセル・フォレリと連絡を取ろうとしたが、どういうわけか念話ができなくなっていた。


「こっちもダメだ」

 ルズィもベレグと連絡を取ろうとしたがダメだったようだ。

『長距離の念話を妨害する呪術器が使用されたのかもしれない』

 ザザの言葉にアリエルは困惑する。

呪素じゅその流れを妨害することなんてできるのか?」


『ある程度の知識と長距離念話に使用される呪術器を持っていれば、限定的に妨害することは可能なのかもしれない』

 そう言ってザザは毛皮の中から腕を伸ばす。彼の手には小さな板状の呪術器が握られていた。それは呪術の研究機関〈赤頭巾〉の協力で作製された道具で、長距離の念話を可能にするモノでもあった。


「首長から支給された呪術器か……」

 遠征隊に参加した傭兵たちと素早く連絡が取れるように、各部隊を指揮する戦士に手渡していたモノだ。もちろん、バヤルも同様のモノを持っている。


呪素じゅその流れを妨害する方法を知っていれば、呪術器の機能を一斉に停止させることも不可能じゃない……か」ルズィはそう言うと、深い溜息をついた。

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