第296話 77 猫人〈アグ・ザリ〉


 アリエルとシェンメイは広場に足を踏み入れると、見張りに立っていた部族民に近づいた。篝火の炎がちらちらと揺れ、ふたりの輪郭を暗闇の中に浮かび上がらせていた。木製の盾と長い棒を握りしめた部族民は、草臥れた革の鎧を身につけ、緊張した面持ちで立っていた。


 アリエルたちの接近に気がつくと、ふたりは互いに顔を見合わせて、それから見張りのひとりが鋭い声で問いかけてくる。


「そこのお前たち、何者だ!」彼は棒の先端をふたりに向ける。「いいか、ここには建設隊の人間しかいない。兵士たちと話があるのなら、他をあたってくれ!」


 見張りの男性は最初のうちこそ気丈だったが、アリエルの深紅しんくの瞳と月白色げっぱくいろの髪を見て、すぐに怯えを含んだ表情に変わっていく。彼は青年から視線を外すと、透かし模様の入った赤い薄布を身につけたシェンメイに視線を向ける。そして眉を寄せると、薄布から透けていた彼女の刺青を見つめた。


 アリエルは見張りたちの視線から彼女を隠すように立つと、落ち着いた声で敵意がないことを伝え、ポォルカから預かっていた部隊章を見せた。その瞬間、見張りのひとりが目を大きく見開いて、驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべる。彼は呆然としたあと、何かに気づいたように背を向け、慌てた様子でどこかに駆け出していく。


 シェンメイは困惑して眉をひそめたあと、アリエルに視線を向ける。けれど青年も事態が飲みこめていないのか、ただ肩をすくめてみせた。その場に立ち尽くしていると、見張りの男性が戻ってくるのが見えた。彼のすぐとなりには小柄な豹人が歩いていた。どうやら職人仲間を呼びに行っていたようだ。


 小柄な豹人だと思っていた人物は、おそらく〝猫人〟と呼称される種族なのだろう。猫科の亜人に分類される二つの種族――〈豹人〉と〈猫人〉のうちのひとつでもあるが、戦闘や呪術を得意とする豹人と異なり、手先が器用で呪術器の製造や錬金術に精通している種族だった。


 繊細で臆病な性格で人付き合いが苦手な種族でもあるが、見張りの男性と歩いていた猫人は臆することなく、アリエルたちのことを真直ぐ見つめていた。


 大人の半分ほどの背丈しかないので、子どものようにも見えるが、その落ち着いた雰囲気から壮年の猫人だと推測できた。彼は鋭い視線でふたりを睨んでいたが、薄い衣服から飛び出していたふさふさの白い長毛の所為せいで威厳が感じられず、どこか可愛らしい雰囲気さえ醸し出していた。


 その猫人はアリエルたちの前に立つと、鋭い目つきでふたりを見据え、それから疑念と期待が入り混じった声でたずねる。


「その部隊章……どこで手に入れたんだ?」

 猫人が普通に共通語を話せていることに驚いたが、アリエルはすぐに返事をした。

「毛皮に包まって呑気に眠っていた蜥蜴人だ」


 猫人は顔をしかめてみせたが、すぐに何かを察して表情が柔らかくなる。

「眠っていた……すると、お前たちがリワポォルタの話していた守人だな。たしか、アリエルとシェンメイだったな」


 青年がうなずきで答えると、猫人は安心したように息をつき、それから手を伸ばして部隊章を確認しようとした。その仕草は慎重でありながらも、どこか急いでいるような印象も受けた。しかし部隊章に触れる直前で彼は手を止め、気を取り直すかのように姿勢を正した。


「すまない、まだ自己紹介をしていなかったな。建設隊の長をやっている『アグ・ザリ』だ。ザリって呼んでくれ」猫人はそう名乗ったあと、自らの手を差し出した。


「よろしく、ザリ」アリエルはそう言って、猫人の小さな手をしっかりと握った。その手のひらには肉球があり、意外にも硬く、職人の手として鍛えられていることが分かった。それは、よき働き者の手だった。


 ザリは部隊章を受け取ったあと、慎重に手のひらにのせ、微量な呪力を放つ。すると呪素に反応したのか、部隊章の縁にポォルタの名前が浮かび上がるのが見えた。それは輝く糸で刺繍されていくように、きらめく文字で描かれていくが、徐々にその輝きが失われて刺繍ごと消失してしまう。


「たしかにリワポォルタのモノで間違いない」

 ザリは部隊章を確認したあと、ホッと息をついてみせた。アリエルたちに対する警戒心も少しずつ解けているようだ。


 ザリは部隊章を青年に手渡すと、深紅の瞳を見つめながら言う。

「これで安心して話ができるな……しかし、あの子豚が我々のために幸運を拾ってくるとは夢にも思わなかった。さぁ、森の兄弟よ、中に入ってくれ。すぐに出かける準備をしようではないか」


 ザリに案内されながら、アリエルとシェンメイは焚き火の明かりに照らされた野営地に足を踏み入れる。すると職人たちの視線が一斉にふたりに向けられた。彼らの表情には部外者に対する興味がありありと浮かんでいるが、それ以上に、アリエルの特徴的な赤い目と白い髪が注意を引いているようだった。


 焚き火の光が髪に反射して白銀に輝き、その目はまるで燃え盛る炎のように赤く明滅する。職人たちは小声で何かをささやき合いながら、まるで異界からやって来た幽鬼を見ているかのような目でふたりの姿をじっと見つめた。


 ザリは職人たちの視線を無視しながら、大きな天幕に歩を進めた。その天幕の中には物資が詰まった木箱が積み上げられていた。ザリはその中から目的のものを探し出し、手際よく開け、中から必要な道具をかき集めていく。手に取った道具は、どれも見慣れないものだったが手入れが行き届いていて、使い込まれていることが分かるものばかりだった。


 それらの道具を大きな布袋に次々と詰め込んだあと、その小さな身体で布袋を背負い、重さを感じさせない軽やかな足取りで天幕から出てきた。


「さぁ、牢獄まで案内してくれ。すぐにお前たちの仲間を救いだしてやろう」ザリは毅然とした口調で言うと、周囲にいた職人たちに向き直った。「お前たちは撤収の準備をしろ! いいな、俺が戻ってきたときには、すぐにここから出られるようにしておけ!」


「了解しました!」職人たちは一斉に声をあげた。

 ザリの声には威厳があり、その命令に職人たちは即座に応じた。


 各々が手分けして天幕を片付け、物資をまとめ、ヤァカに荷車を引かせながら出発の準備を進めていく。ザリは職人たちの様子を見ながら、冗談めかして言った。

「仕事をさぼった野郎は、亡霊どもの餌にするからな。そのつもりでいろ」


 その言葉に職人たちはさらに気を引き締め、無駄のない動きで作業を続ける。彼らの様子に満足したザリは、コクリとうなずいて、それからアリエルたちに向き直った。

「行くぞ、時間は待ってくれない」


 しかし都市には怨霊が巣食っていて、油断すればその餌食になる可能性がある。アリエルはそのことを気にかけ、猫人に〈屍食鬼グールの遺灰〉を手渡そうとしたが、ザリは首を振って受け取ることを拒否した。


「気遣いに感謝するが、それは必要ない」

 ザリは自信たっぷりに言ったあと、地面を見つめる。

「あれが見えるか?」


 彼の視線を追うと、地面がわずかに震えるのが見えた。やがて土がゆっくりと盛り上がっていく。すると、その中から小さなモグラが顔を覗かせた。しかし普通のモグラとは異なり、その姿は半透明で、青色の微かな燐光を帯びている。まるで幽霊のように存在感が希薄だった。地中から這い出たそのモグラは、周囲に柔らかな光を放っていた。


「もしかして、あのモグラは〈呪霊〉なのか?」

 驚きを隠せないアリエルが訊ねると、ザリは得意げにうなずいた。

「そうだ、俺たち建設隊の頼れる相棒だ」と誇らしげに答える。


 数匹のモグラは周囲に漂う瘴気を払うように、静かに地面を掘り進んでいく。

「彼らが掘り進めた場所は瘴気が払われる。そして怨霊は浄化された道を嫌う」と、ザリは説明する。「もちろん、道をそれてしまえば危険だがな」と付け加えた。


 青年は目に呪素じゅそを集め、地面を注意深く見つめた。するとザリの言った通り、その道には瘴気の痕跡すらなく、微かに青白い光が道に沿って伸びているのが見えた。理由は分からなかったが、モグラの〈呪霊〉が掘った跡には、瘴気が完全に消えた道ができていた。


 ザリは軽やかな足取りで発光する道の上を進んでいく。数匹のモグラが彼の足元にぴったりと寄り添いながら、前方を照らし出してくれていた。その姿はどこか幻想的で、おとぎ話の光景を見ているようだった。

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