第329話 26〈姉妹〉


 炎と煙が渦巻く戦場で、複数の敵呪術師が豹人の姉妹に向かって〈火球〉を撃ち込む。灼熱の炎が轟音とともに飛び出し、大気を引き裂きながら姉妹に迫る。


 リリの大きな眼が光を反射してあやしく明滅したかと思うと、次の瞬間、彼女は風を刃に変えて〈風刃〉を放つ。かまいたちめいた風の刃が〈火球〉に直撃すると、炎の塊は爆音とともに四散し、熱波と共に火花が飛び散る。


 ノノは地面に両手をつけると、体内で練り上げていた呪素じゅそを一気に解き放つ。すると呪術師たちの足元が変化していき、見る見るうちに底なし沼のように変わっていく。


 動揺した呪術師たちは足を引き抜こうと必死にあがくが、粘着性の泥濘でいねいに脚を絡めとられ、動けば動くほど深みに引きずり込まれていく。


 彼女たちの身体が肩まで沈むと、沼の淵から濃い黒土が染み出してさらに覆いかぶさり、徐々に頭も沈み込んでいく。最後に泥の中から腕が伸びるも、それもすぐに汚泥に呑まれて消えた。しばらくすると、あれほど変質していた大地が固まり、元の状態に戻っていく。呪術師たちがいた場所には、ただ黒い地面が広がるだけで、その姿はどこにもなかった。


 仲間が生き埋めにされる光景を目にしていた呪術師たちは恐怖に目を見開き、緊張で強張った表情のまま、怒りを込めて次々と呪文を唱えていく。


 彼女たちの手のひらから〈火球〉や〈石礫〉が次々に放たれ、容赦なく姉妹を襲う。けれどノノとリリは、獣人種族らしい見事な身のこなしで軽やかに地面を蹴り、艶やかな体毛を輝かせながらしなやかに避けていく。その姿は踊るように優雅で、攻撃の嵐の中にいるとはとても思えないほど落ち着いていた。


 戦場の激しさは増すばかりだった。無数の呪術が次々に炸裂し、閃光が一帯を白く染め衝撃音が耳をつんざくように響き渡る。爆発のさいに生じる熱波と衝撃波で空気は歪み、木々は燃え、飛び散った破片が周囲に降り注ぐ。


 立ち昇る炎と煙のなか、姉妹は冷静に戦い、容赦のない攻撃から身を躱し、無駄のない動きで戦場を動き回っていた。しかしその小柄な身体にも疲労の影がちらついていた。膨大な呪素を消費して〈呪霊〉を顕現させ、呪術を放ってきた彼女たちは、明らかに限界に近づいていた。


 その厳しい状況のなか、アリエルとラファがついに駆けつけてきた。ラファは弓弦を引き絞り、敵の呪術師たちに向かって次々と矢を撃ち込んでいく。


 矢は鋭い音を立て飛翔し、呪術師たちに直撃するように思えた。しかし矢が到達する寸前、不可視の障壁に阻まれて軌道が逸らされる。〈矢避けの護符〉を使用していたのだろう。ラファが放った矢は無力化されていく。


「それなら……!」

 ラファは腕輪に弓を収納すると、近接戦に移行するため腰の刀を引き抜いた。鋼が月光を反射し、一瞬だけ閃く。そして少年は敵の呪術師たちに向かって凄まじい速さで駆け出した。炎の爆発と火花が降り注ぐなか、矢のように鋭く進み、一気に距離を詰める。


 アリエルも面頬を装着すると、太鼓を打ち鳴らす独特の旋律と波の音を耳にしながら駆け出す。心臓の鼓動と戦場の音が交差しひとつになり、太鼓の音が己を奮い立たせるかのように身体の内側で響いていく。


 その音は混沌とした戦場の中で、青年の集中力を極限まで研ぎ澄ませていく。アリエルは地面を強く蹴り〝木々の間を駆け抜ける鹿のように素早く〟風に溶け込むかのような動きで呪術師たちに向かって猛然と突進する。


 呪術師たちも背筋が凍るような〝異様〟な気配の接近に気がつき、急いで呪文を唱えようとする。しかしアリエルの剣が目にもとまらない速さで振り下ろされると、血飛沫が舞うことになった。


 呪術師のひとりは苦悶の声を上げ、必死に詠唱を続けようとするも、そこにラファが飛び込んできて鋭い一閃で首をね飛ばすと、その声も途絶えることになった。


 呪術師たちが動揺している隙をついて、アリエルは敵の懐に飛び込み、面頬越しに敵を睨みつけながら剣を振り下ろしていく。妖しく明滅する眸が敵を貫いて、手にした刃が容赦なく敵に襲いかかる。呪術師たちは防御を試みるも、その凄まじい剣戟に防御を崩され、ひとり、またひとりと血に染まっていく。


 激戦が続く戦場に獣の咆哮が響き渡る。荒々しい吠え声は戦場の緊張感をさらに高めていく。やがて木々の間から、鎖につながれた巨大な犬を連れた蛮族が姿をあらわした。


 獣は暗い瞳に殺意を宿し、口元からよだれを垂らしながら、そのときが来るのを待っている。その姿を見ただけで、この生き物がいかに獰猛なのかを窺い知ることができた。これらの生き物は、闘犬として鍛えられたに違いない。すでに敵を威嚇するように唸り声を上げ、その視線は姉妹に鋭く向けられていた。


『……厄介な相手』

 ノノは喉の奥で小さく唸る。


 しかしその言葉とは裏腹に、表情には一切の恐れが見えなかった。冷静な眼差しで蛮族の動きを注視している。その蛮族が鎖を解いていくと、獣たちは筋肉の盛り上がりが見える茶色い体毛を震わせ、姉妹に向かって一斉に飛び出した。それは丸太の塊が突進してくるかのような重さと威圧感を伴っていた。


 姉妹は足元に転がっていた古びた刀を一瞥すると、刃先を蹴りあげるようにして拾い上げた。そして彼女たちは刀を握りしめながら、その刃に風の呪力を込めていく。目に見えない風の刃で包み込まれていくと、頼りなかった錆びた刀身も、まるで一流の研師によって磨き上げられたかのように見えた。


 姉妹は空気を震わせる風の音を耳にしながら、切っ先を獣に向けた。そこに巨大な犬が猛然と飛びかかってきた。その獣の牙は鋭く、噛みつかれてしまえば一瞬で肉を引き裂かれ、死ぬまでその牙から解放されることはないだろう。


 けれど姉妹は冷静に獣の軌道を見極め、地面を軽く踏み込んでその場から一瞬で身体をずらす。悪臭と共に獣が通り過ぎていく瞬間、彼女はすかさず獣の横腹を狙い、鋭い一撃を放つ。


 風の刃で強化された刀は獣の腹部に深々と突き刺さる。皮膚と筋肉が容赦なく引き裂かれ、その衝撃で大量の血液が飛び散る。その攻撃の反動に刃が耐えきれず、途中で折れてしまう。姉妹は息をつく間もなく、折れた刀を放り投げ、後方に飛び退いて獣の最期を見届ける。血に染まった獣は呻き声を上げ、地面に倒れ伏して動かなくなった。


 それを目にした蛮族は己の劣勢を悟ったのか、すぐに逃亡しようとした。しかし姉妹に背を向けた瞬間、背後から巨大な〈火球〉が飛来して直撃する。爆発と共に燃え広がる炎が蛮族を包み込み、火だるまとなって地面に崩れ落ちる。炎は戦士の断末魔の叫びと共に燃え広がり、戦場をますます凄惨な状況にしていく。


 混乱と怒号が飛び交うなか、敗北を悟った呪術師たちは動揺を隠せない様子で仲間が斬り殺されていく光景を見つめていた。


 彼らの表情からは、もはや戦いに対する執念のようなものは感じられず、生き延びるための焦燥に満ちていた。その姿からは統制も忠誠も感じられず、ただ恐怖に突き動かされているように見えた。


 もとより、この戦――というより、守人に対する襲撃に大義はなかった。彼らは文化や考え方の異なる種族の寄せ集めに過ぎず、互いに信頼もしていなければ、最低限の連携も取れていなかった。


 戦いが劣勢と知るや否や、彼らは戦士としての矜持すらも捨て、足元に散らばる物資をかき集めるようにして逃げ出す。薬草や呪符、呪術書の切れ端にまで手を伸ばし、仲間内で口論すらしながら、我先に金になりそうなものを持ち出していく。


 しかし森では暗い影がうごめき、彼らを呑み込もうと静かに待ち構えていた。あまりにも多くの血が流され、森の捕食者たちは興奮していた。しかし蛮族たちには、ソレを気にする余裕すらなかった。無理やり詰め込んだ荷物が大きな音を立てるのも構わず、彼らはひたすら暗い森に逃げ込んでいく。


 そして戦場となった敵拠点は徐々に落ち着きを取り戻していく。暗闇のなかに消えた逃亡者たちの足音が遠ざかると、炎の揺らぎが木々の間に陰影を落とし、血と灰が入り混じった焦げ臭い煙が冷たい風に吹き流されていった。

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