第309話 06〈ダレンゴズの魚人〉


 地下での作業を終えると、アリエルは蜥蜴人のポォルタを連れて薄暗い倉庫を後にした。つめたく澄んだ空気が肌を刺すように感じられたが、地下の重苦しい空気から解放されたことで、どこかホッとした気持ちになっていた。


 本館に面した広場には、世話人たちが用意した食事にありつこうと見張りの任務を交代した守人たちが集まってきていた。温かな汁物や肉の香りが漂ってきて、食欲を刺激しながら冷えた身体を優しく包んでいくかのようだった。


「エル、助がっだよ」

 ポォルタが不器用に口を開くと、蜥蜴人特有の鋭い牙が見えた。かれの態度に、どこか後ろめたさが感じられるのは、仕事の途中で眠っていたのをアリエルに見られたからなのかもしれない。


「気にしないでくれ」

 アリエルが肩をすくめ、どこか優しげな微笑みを浮かべると、ポォルタは安堵の表情を浮かべる。建設隊の職人たちに怒られずに済むので安心したのだろう。


 アリエルは広場に集まっている兄弟たちの様子を眺め、少し間を置いてからたずねた。

「ところで、建設隊はどうしているんだ?」


 ポォルタは顎を少し上げると、目を細めながら遠くの防壁を見つめる。どうやら建設隊は砦の修繕と改修を進めているようだ。彼らの親方でもあるザリが、ヤシマ総帥との間で何かしらの取り引きをしたようだ。


「大規模な工事になりそうだ」

 アリエルの言葉に大柄の蜥蜴人は大きくうなずいて見せた。


「それなら、しばらくは安心できるかもしれない」

 襲撃によって防壁の一部が破壊されていたことを思い出す。守人たちは断続的に行われる襲撃に対し苦しい戦いを強いられてきたが、壁の修復によってその状況も改善されるかもしれない。


 会話が途切れると、広場の喧騒がハッキリと聞こえるようになる。そこでアリエルはポォルタに別れを告げ、武具師がいる塔に向かうことにした。一緒に朝食を取らないかと誘われたが、〈収納空間〉に放り込んでいた面頬が気になっていたので、先を急ぐことにした。


 地下の倉庫で手に入れていた面頬がどのような過去を持ち、なぜ砦の地下倉庫に保管されていたのか――その答えが必要だった。


 目的の塔が近づくにつれ、かすかな緊張感が青年の胸に広がる。薄汚れた石壁にはすすがこびりついて黒ずんでいた。その所為せいなのだろう、他の塔と比べて暗く陰鬱な気配が漂っている。しかしソレは長い間、鍛冶場として使われてきた証でもあった。


 重厚な両開きの扉は開放されていて、その扉の隙間から鉄と煙の混ざり合ったニオイが漂ってくる。アリエルはその隙間に身体を滑り込ませるようにして、薄暗い塔の中に足を踏み入れた。


 中に入ると、外の寒さとは対照的な温もりが微かに感じられたが、薄暗く陰鬱な雰囲気が支配していた。暗い通路を進むにつれ、天井は高くなるように感じられる。大柄の亜人の出入りも想定していたのだろう。鍛冶場の入り口には太いしめ縄が張られている。


 そのしめ縄には何か呪術的な意味合いがあるのかもしれないが、すでに見慣れたものだったからなのか、アリエルはとくに詮索しようとはしなかった。


 鍛冶場は雑多なモノで溢れていて、いつ来ても狭苦しく感じられる。壁際には無造作に積まれた木箱がいくつもあり、その中には砂鉄や鉄鉱石が詰まっている。どこか草臥くたびれた棚にはほこりかぶった刀剣や鎧が並べられ、蜘蛛の巣がその一部を覆っていた。


 けれど作業台の周囲だけは整然としていて、鍛冶道具がきちんと並べられているのが見えた。炉のそばでは、大きな影が鈍い音を立てながらゆっくりと動いていた。その動きは重々しく、力強い。炉の熱気に包まれながら、無心で作業を続けているようだった。


 青年の気配に気がついたのか、石に近きもの〈ペドゥラァシ〉と呼ばれる種族のひとり〝クルフィン・ペドゥラァシ・ベェリ〟は、ゆっくりと身体の向きを変える。


 石に近きものは人型の亜人種だったか、遠目に見れば緑青色ろくしょういろの苔に覆われた岩にしか見えなかった。しかし注意深く見ると、それが炎のように明滅する四つの瞳を持ち、言葉を発することのできる大きな口を持っていることが分かる。頭部と肩が一体化したような奇妙な胴体は岩のようにゴツゴツとしていて、乾燥した泥のようにひび割れていた。


『塵の子か……待っていたぞ』と、頭のなかで声が聞こえる。

 クルフィンの口から吐き出される黒煙を眺めていると、彼は作業台を指し示した。〈ペドゥラァシ〉との対話には多くの言葉を必要としない、彼らには他種族の思考や感情を読み取る能力があると信じられていたし、ソレは事実だった。しかし武具のことになると、石に近きものは饒舌になる。


 作業台には、〈幻翅百足げんしむかで〉の外殻が使われた革の鎧が置かれていた。黒光りする硬い殻が重なり合い、急所がしっかりと保護されているため鋭い刃や矢をもはじき返すことが可能だった。なめし革はキチン質の黒い外骨格に馴染むように黒く染められていて、黒衣と合わせることで隠密の効果を高めることも期待できた。


 前回の任務のさいにも身につけていたが、そのときの急ごしらえの鎧と異なり、しっかりとした作りになっていた。アリエルは胸に手をあて、頭を下げるようにして感謝し、さっそく鎧を身につけていく。それから青年は〈収納空間〉から面頬を取り出し、あの奇妙な囁き声を内耳に聞きながら作業台に置いた。


『これは……』

 クルフィンは長い腕を伸ばし、六つの指を器用に使い、そっと面頬に触れる。そして目に見えない邪悪な存在からの視線を感じながら、慎重に面頬を手に取る。


『間違いない……〈ダレンゴズの魚人〉の面頬だ。〈奈落の底〉から回収されていたモノだが、長らく行方が分からなくなっていた。……どこでこれを?』


 炎のように揺らめく四つの眼に見つめられながら、アリエルは偽ることなく正直に話した。地下の倉庫で見つけたことや、奇妙な囁き声に誘われるように面頬を手にしたことも。


『魅入られたということか……いや、この場合、遺物に選ばれたと言うべきか……』

 それからクルフィンは面頬について知っていることを話してくれた。それは断片的な情報だったが、面頬の来歴ついて知ることができた。彼の語り口には不吉な響きがあった。面頬を炉の炎にかざし、細部を確認するように指で面頬の鋭い牙をなぞり、濃紅こいくれないに染められた鼻や頬を撫でる。


『数多の生贄の血を混ぜ込んだ忌まわしい樹液で染め上げられている。かつてこの面頬を身につけた守人は殺戮に酔いしれ、邪神の狂気が宿ったかのように死ぬまで混沌の化け物と戦ったという』


 その面頬の裏面には、いくつもの古代文字と複雑な模様が刻まれている。

『〈ダレンゴズの魚人〉は、森の果てにあるという〈終わりなき湖〉からやってきた種族だ。今では名も忘れられた邪神を崇める邪悪で残忍な亜人だと伝えられている。二百にも満たない小さな集団だったが、その身に宿す悪意と狂気は計り知れなかった。瞬く間に森を血に染め、村々を焼き払っては虐殺と略奪を繰り返しながら支配領域を拡大していった』


 鍛冶場の暗がりのなか、クルフィンの言葉は揺れる炎のなかで重く響いた。アリエルは武具師の口調にのまれ、忌まわしい魚人の唸り声を耳にする。それは幻聴とは思えないほどの現実味を帯びていた。


『やつらの欲望には限りがなかった。最終的に〈奈落の底〉にある黄金の都市に導かれ、〈無限階段〉に足を踏み入れることになった。そして……その日を境に消息を絶つことになった。あとに残されたのは、魚人どもが身につけていた忌まわしい武具だけだった』


 クルフィンの顔に陰影が落ち、炎のように明滅する眸は面頬に向けられる。心なしか面頬の口元が歪み、どこか邪悪な笑みを浮かべているようにさえ見えた。


『守人たちが都市遺跡を監視する中で、こうした遺物が回収されるようになったが、その多くは呪われていて使い手を狂わせるモノばかりだった。そして、この面頬も例外ではない……』

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