第37話 17


 ウアセル・フォレリは親友と土鬼どきの若い女性の間に秘め事があることに気がついていたが、今は親友を揶揄からかうことよりも、話し合わなければいけない大切なことがあった。

「西部一帯を支配している〈月隠つきごもり〉と呼ばれる部族のことは知っているかい?」


「聞いたことがあるよ」と、アリエルは若い女性を見つめながら言う。「西部地域で軍事的支配権を確立しようとする首長の軍団と、月隠つきごもりを名乗る部族が交戦状態になっていると」

「そう。戦闘は長いこと膠着状態におちいっているけど、その解釈で間違いないよ」


「それで」と、ルズィは土鬼どきの大男をにらみながら言った。「その月隠つきごもりは、こいつらと何の関係があるんだ。まさかその美人が月隠つきごもりのお姫さまとか言わないよな」

 ウアセル・フォレリは肩をすくめる。

「勘が冴えてるな。彼女は西部地域を支配する三大家紋のひとつ、〈照月家〉のお姫さまだ」


 アリエルはちらりと大男の陣羽織に視線を向けた。太陽を示す旗印だと思っていた刺繍は、どうやら血の赤に染まる月の模様だったようだ。それは勇猛な一族として知られた土鬼どきの武者が背負うに相応ふさわしい旗印なのかもしれない。


 ルズィは大きな溜息をついた。

「てことは、そいつらは首長と対立する組織の幹部なんだな。……クソ、そいつはマズいな。ここに組織の幹部が来ていると知られたら大変なことになるぞ。いや、違うな。今は考えることが他にもある」


「たとえば?」

 ルズィは探るような目つきでウアセル・フォレリを見た。

「そいつらは俺たちを利用して、首長を攻撃しようとしているんじゃないのか?」


「たしかに僕たちの計画が上手うまくいけば、月隠つきごもりの戦力は強化されるかもしれない。でも、それが僕らとなんの関係があるっていうんだ?」

「なんのって――」


「いいかい」ウアセル・フォレリは彼の言葉をさえぎる。「あの好戦的な首長と僕らは必ずどこかで対立することになるんだ。それならいっそのこと、僕らは戦いに備えておくべきだとは思わないか?」


「どうしてそうなる」と、ルズィは反論する。お前は物事を複雑に考え過ぎているんじゃないのか」

「それがなんであれ、僕らは真剣に考えるべきなんだよ。首長は北部や西部に手を出し、果ては南部の支配も目論んでいる。これは考え過ぎなんかじゃないさ」

「だからって守人を排除する説明にはならない。そもそも混沌の脅威から人々を守る組織を潰して首長になんのとくがあるんだ」


「それは権力者たちが考えるべきことだ。でも……そうだな。僕だったら目障りな組織を潰して、代わりに自分の――信頼できる軍団に、混沌を監視してほしいと思うけどね」

「守人の忠誠心を疑っているのか?」

「いいや、君たちが森の全部族民に対して持っている忠誠心は疑っていないだろう。でも首長は、その忠誠心が自分ひとりに向けられるべきモノだと考えているはずだ」


「どうしてだ。お前は首長のなにを知っているんだ?」

 ウアセル・フォレリは肩をすくめた。「首長は、君たち〈境界の守人〉が衰退すいたいの一途をたどる組織だということを知っている……いや、それは誰の目にも明らかだ。でもとにかく、かつての偉大な組織を潰し、それに取って代わる機会でもある。そして部族を守護するという名誉は、かれの地位を不動のモノにするだろう」


 青年は唇を舐めて、それから続けた。

「首長という肩書は、それを手にした者に複雑で奇妙な作用を及ぼすモノなんだ。首長はこれまで守人に親切だったのかもしれない。でもその一方では、東部の各地域を支配してきた部族の人々を虐殺し、族長をひざまずかせ、服従させた部族から女や子どもを奪い部下に与えてきた。それなのに、どうして守人だけには親切であり続けると思うんだい?」


 ルズィは顔をしかめた。

「お前の言いたいことは分かるよ。でも――少なくとも今は、首長の標的は守人じゃないはずだ。それなのに、俺たちが月隠つきごもりと手を組んでいると知ったらどうなると思う? 問題はより複雑になるんじゃないのか。首長は軍をようしているんだ。それも今まで東部では見られなかった大規模な軍だ」


「だからこそ話し合いの場をもうけたんだ。僕が彼女たちに秘密を打ち明けるのかは、君たちが判断することだからね。でもこれだけは忘れないでくれ、首長は残酷な人だ。そうでなければ、東部の全部族を支配するなんてことはできなかったんだから」


「こいつは俺たちの手に負える問題じゃない。砦にいる大将とも話し合うべきだ」

 ルズィの言葉にウアセル・フォレリは頭を横に振る。

「残念だけど、君たちの総帥はすでに首長の傀儡かいらいに成り下がった」


 それまで押し黙って話を聞いていたアリエルも、さすがに親友の物言いに反応して頭に血がのぼるのを感じた。けれど同時に、頭の冷静な部分では親友の言葉がある意味では正しいと理解していた。


 父親代わりでもあり、かつての偉大な戦士は、日々の任務と重責で疲れ切っていた。そして自分が尽くしてきた組織と、砦で過ごしてきた日々を――それがたとえ嘘だと知っていても、これまでの戦いに何らかの意味があるのだと信じる必要があった。その日々を無意味なモノにしないためにも、彼は守人を支援してきた首長との関係を優先するだろう。


 そしてその関係は、首長にとって〝守人が必要であるかぎり〟続いていくのだろう。でも、そのあとは? 首長が我々を必要としなくなったとき、かれはどう動くのだろうか。


 アリエルの感情の揺らぎによって無意識に放出された力の影響で、空間がかすかに震え、天井を支えるはりきしむ音が聞こえた。土鬼どきの大男は混沌の気配と共に全身の鳥肌が立つのを感じると、戦闘に備え腰を落とした。その大男からの攻撃に対処するため、ルズィとベレグは椅子を蹴って立ち上がる。


 その間、ウアセル・フォレリはピタリと口を閉じ、どこか悲しげな表情で親友を見つめていた。結局のところ、彼にとって大切なのは親友のアリエルで、守人という組織の行く末にはこれっぽっちも興味がなかった。人々が混沌の脅威にさらされ、おびえながら生活していたのは過去の話だ。首長が守人に取って代わろうとするのなら、勝手にすればいい。


 不意に混沌の気配が消えると、土鬼どきの戦士は困惑の表情を浮かべる。

「彼女は――」と、アリエルは照月家の美しい女性を見ながら静かな声で言う。「月隠つきごもりは俺たちにどんな助力ができるんだ?」


 ウアセル・フォレリは土鬼どきの顔色をうかがいながら言った。

「古来〈龍神〉を信仰し、武家としても名高い照月家のお姫さまは〝始祖〟と呼ばれる能力者のひとりだ。神々の奇跡に近い能力を使い、この状況を打開する。でもそれには、君の支持が必要だ」


 青年の深紅しんくに輝く眸を見た土鬼どきの大男は警戒する。かれはアリエルの身に宿る恐怖の根源とも呼べる得体の知れない存在に気がつき、言い知れない不安を感じていた。すぐそばで不可視の存在に――己を容易く殺せる存在に見つめられているような、そんな奇妙な感覚が残っていて、それが不快でたまらなかった。


 そうとは知らず、アリエルは照月家の武者たちを見つめ、それから美しい女性に視線を戻した。彼女と目を合わせない選択肢も存在していたが、どこを見ていたにせよ、すでに彼女のとりこになっていた。それなら我慢する必要はないだろう。


 それから青年はじっと思考する。自分が森の外にいだいていた希望や目的を思い出していた。それが容易なものではないことも分かっていた。でもだからといってあゆみを止めるわけにはいかない。青年は義兄弟きょうだいたちと顔を合わせ、それから決心したようにウアセル・フォレリの顔を見つめた。

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