第8話 06〈マツグの落とし子〉
恐怖で
ノノは太くて長い尾を左右に振りながら女性に近づくと、彼女の頬に手をあて、爪を立てないように親指で涙を
「お前たちを傷つけるつもりはない。誤解を
青年がノノに視線を向けると、美しい豹人は
青年は身を寄せ合うようにして壁際に立っていた巫女の集団に視線を向ける。淡い
「危害を加えるつもりはない。必要なモノが手に入ったら出て行く。だからそこを通してくれないか」
それでも反応を
『私たちに敵意はありません』
しかしそれは逆効果だった。遺跡を占拠している部族は〈亜人〉との交流がないのだろう。さらに身を寄せ合い
言い方は悪いが、ここは無理せず彼女たちを
アリエルはじっと巫女たちを見つめたあと、ノノに声を掛けた。
「
「リリを連れてきてくれるか、無害な豹人の言葉になら耳を貸してくれるかもしれない。……女戦士がいたら良かったんだけどな」
『人間の女性を……ですか?』
青年がノノの言葉にうなずくと、彼女は神経質そうに尾を振りながら部屋を出ていった。
青年も彼女のあとに続いて部屋を出ようとしたが、そこで思い立ってふと足を止めた。そして、へたり込んだまま涙を流す女性の近くにしゃがみ込んだ。
「さっきは悪かった。怖がらせるつもりはなかったんだ……それで、よかったら君の名前を教えてくれないか」
彼女は何度かしゃっくりをあげた。
「クラウ……ディア」
「クラウディアか」
青年は何度かその名を舌の上で転がせる。
「力強い響きを含んだ名だ。守りたいモノのために自身を犠牲にすることも
彼女は涙を流しながら何度もうなずいた。
アリエルは部屋の前までやってきていた片耳の守人に彼女たちの護衛を任せると、拝殿の奥に続く廊下を歩いた。すぐに別の部屋を見つける。そこは食堂として使われていたのか、木製の
食堂を出て歩いていると、土が
扉の上部にある小窓で室内を覗き見るが、暗くてなにも見えない。そこでふと思い出して、青年は祭壇の上に置かれていた銀色の鍵束を懐から取り出す。鍵を探すのに手間取ったが、すんなり錠が外れて扉が開いた。
ノノを呼ぼうとして振り向くと、
「ありがとう」
片方の燭台を受け取ると、彼女と一緒に暗い部屋に入っていく。
ノノの呪術によって室内に生物が潜んでいないことを確認すると、本棚に収められている書物を眺めながら歩いた。神々が人々と共存していた時代に、〈盲目の信徒〉によって
そしてそれは〈神々の森〉で生きるすべての部族にとって、極めて重要な資料になる可能性を秘めている。青年は淡い期待を
地上の遺跡で戦士たちが殺し合いを続けていることを思えば、椅子に座ってゆっくり読書している余裕なんてないが、リリが巫女たちと交渉している間、なにもせずに時間が過ぎるに任せるのなら、少しでも情報を得たほうがいいだろうと青年は考えた。
パラパラと羊皮紙を
そして部族の長老たちが神話として語る〈創世記〉についても書かれていた。神々が〈最果て〉に旅立ち、世界から神々の影響がなくなり始めた時代に起きたとされる戦争の数々、そして神々に創造された多くの種族が、己が神のために覇権を争った長く苦しい時代が過ぎ去り、帝国の建国と共に始まった〈第一紀〉までの出来事が簡素に書かれている。
国家間の戦争と内戦を
森で生きることを選んだ種族に関して詳細に
■
〈神々の血を継ぐ子供たち〉について。
書物の巻頭でアリエルは衝撃を受ける。
神々と交わったとされる説や、神々の奇跡によって
〝神々の血を継ぐものたちの能力は多種多様だ〟と書かれている。世界の
それらの異能のなかでも、とくに興味深いのは太陽や星の動き、また天体を観察するためだけに存在する能力があるということだ。これらが
しかし一部例外もあるようだ。アリエルは
世界中で行われている戦争の影には、各国の勢力均衡を崩しかねないほどの戦闘能力を有した〈神々の子供たち〉の存在が確認されていて、能力者の獲得を主とした組織の動きが活発に見られるようになっていた。過剰な戦闘能力を与えられた種族が存在することが、世界秩序にとって大きな脅威になっているとも書かれていた。
それらの強大な能力を有する戦士が誕生しない種族の
すべての種族に分け
しかし自然界において
■
『エル、こちらに来てもらえますか?』
青年は本を閉じて立ち上がると、
『これです』
顔を上げると巨大な壁画が目に飛び込んでくる。
「美しいな」
最初に目につくのは水面に浮かぶ白銀の塔だった。それは湖の中心に……いや、海と呼ばれるモノのなかに立っている。そして塔の周りを飛ぶ天龍の
実際に見たことはないが、かなりの巨体だと聞いたことがある。その龍の大きさを考慮するならば、ここに描かれている塔はとてつもなく巨大なモノだと推測できた。
白銀の塔の頂上は雲に隠れていた。左に視線を向けると陸地が描かれている。
海が途切れ、陸地が姿をあらわす。峰々があり、草原が広がっている。森しか知らないアリエルには奇妙な光景に映る。彼は足を止めて、少しばかり後退する。大陸の尖端に何かある。
青年は手に持っていた本を近くの机に置く。そして椅子を引きずり壁に寄せると、その上に乗る。
「ひどく小さいが……これは光を帯びた人間なのか?」
『エル』
声が聞こえると、彼は驚いて振り向いた。
『リリが来ています』
「そうか」
驚いた姿を見られたのが恥ずかしかったのか、青年は何事もなかったように
すぐに部屋の入口に立っているノノのもとに向かう。
「外の様子はどうだ」
『とても静かです。〈
「そうなると、神殿は略奪を目的とした戦士たちの興味の対象になるな」
大扉が頑丈といっても限度がある。もう時間はあまり残されていない。
「それで、巫女たちと話はついたのか」
彼女の眸は
『はい。リリが彼女たちの混乱していた心を
「鎮めた……もしかして、人の気持ちを操作する呪術を使ったのか?」
『緊急事態ですから』と、彼女は鼻息を荒くした。
アリエルは振り返ると、机に置いてきた書物を見つめる。
「ノノはこの場所で重要そうな書物を探してくれないか。部族のことでも、この世界や宗教について分かるモノなら何でも構わないから」
『わかりました』
それから青年はいつになく真面目に言う。「神々の血を継ぐものたちについて
『承知しました』
□
〈マツグの落とし子〉
人喰いマツグとして知られた〝巨人〟の
警戒すべき種族ではないが、悪意ある個体も多く、森の部族は〈マツグの落とし子〉の生息域を避けて狩りを行う。しかし〈黒い人々〉の商人たちと交流が続いていることは現在も確認されている。
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