第280話 61〈骨〉


 シェンメイは何も言わずに歩き出した。彼女の心にはアリエルに対する疑念が渦巻いていたが、彼の言葉を聞き入れ、裏切り者に連れ去られた総帥を一緒に助け出すことにした。


 確証のないままアリエルと殺し合いをすることに意味がないと感じたからなのかもしれないし、疲れていた所為せいなのかもしれない。いずれにせよ、彼女は気持ちを切り替えることにした。〈獣の森〉は危険な場所であり、一瞬の油断が命取りになりかねない。


 ひと悶着あったが、暗い森は静けさに包まれていて、敵が接近してきている様子も見られなかった。月明かりが木々の間から微かに射し込むなか、薄暗い森には霧が漂い、風によって冷気が運ばれてきていた。夜の森は生気を失ったかのように静かだったが、その静けさの中にも小さな生命の気配が感じられた。


 シェンメイの歩調は一定で、木々の間を迷うことなく進んでいく。彼女が協力してくれることに不安を感じていたが、もともと彼女は金で雇われただけの傭兵だったので、他の者たちに対して仲間意識は持っていなかった。きっと襲撃者たちも同じように考えていて、誰も他人のことなんて気にしていないのだろう。


 実際のところ、襲撃者たちは寄せ集めの集団でしかなかった。辺境の蛮族が大多数を占め、そこに数人の〝赤頭巾〟や、暗部に所属していると思われる戦闘員が目立たない程度に紛れているだけだった。戦闘で犠牲者が出ても、その度に新しい傭兵が雇われてはまた消えていく。彼女も〈転移門〉を通って派遣されてきた傭兵のひとりに過ぎなかった。


 もちろん、襲撃者たちのことを裏で手引きしている人間はいるのだろうが、その数は限られていて、これまでの戦闘で数を減らしていた。


 古墳地帯に近づくにつれ、緊張感が高まっていった。アリエルは彼女が本当に自分の味方なのか、それとも敵なのかを見極めようとしていたが、しだいにそれもどうでもよくなった。総帥がいる場所まで連れて行ってくれるのなら、別に敵対しても構わないと考えるようになった。疲れていたのかもしれない。


 アリエルが考えることを放棄して黙々と歩いていると、突然、彼女は足を止めた。

「ここから先は警戒が必要になる。もう前哨基地が近いから」


 青年は彼女の言葉にうなずくと、〈気配察知〉を使い周囲の様子を探る。古墳地帯が近い所為だろうか。周囲には濃い瘴気が漂っていて、鳥肌が立つような嫌な気配に満ちていた。木々の間を抜ける冷たい風は不吉な音を耳に運んでくる。それは小妖精たちの可愛らしい声ではなく、もっと邪悪な気配を持つ者たちが立てる音だった。


 霧のなかに目に見えない恐怖が潜んでいる。幽鬼や屍食鬼グールの類が近くにいるのかもしれない。言い知れない不安と恐怖が青年の心を蝕んでいく。ふたりの背後から、低くうめくような音が聞こえてくる。振り返っても何も見えないが、その音は確かに存在していた。


 できるだけ霧の濃い場所を避けて移動する必要があった。アリエルは荷物の中から数枚の護符を取り出すと、瘴気を払うための簡単な結界を張る。護符に込められた呪力が淡い光を放ち、周囲の瘴気を少しずつ払い大気を浄化していく。


 シェンメイにも護符を手渡そうとしたが、どうやら必要なかったようだ。彼女は繊細な呪素じゅその操作が必要な結界をいとも簡単に形成することができていた。ほとんど聞き取れない声で呪文を口にして、空気を撫でるように手が軽やかに動くと、燐光を帯びた結界の薄膜が彼女の身体を包み込んでいくのが見えた。


 アリエルは彼女の技術の高さに感心しながらも、すぐに気を引き締めた。古墳地帯は人が立ち入ることのない危険な場所で、この世界と〈混沌の領域〉との境界が曖昧になっている場所でもある。ここでは何が起こるか分からない。青年は足音を消すため〈消音〉の呪術を使うと、奇襲に備えて〈矢避けの護符〉を使うことにした。


 古墳地帯には部族間の紛争によって亡くなった者たちの亡骸が彷徨っている。かつて戦場でもあったこの場所には、無念を抱えたまま命を落とした戦士たちの魂を呼び寄せる何かが潜んでいると考えられ、今も眠れぬまま彷徨い続ける死者たちで溢れていた。


 その多くは肉のない骸骨兵だった。骨と錆びついた武器と鎧だけになっても、古墳地帯を徘徊し続けている。かれらは混沌から溢れ出る瘴気や、異界の幽鬼によって仮初の命を与えられているとも言われていたが、きっと本当のことを知る者はいないのだろう。


 骸骨兵たちは古墳地帯を無秩序に徘徊しているが、生者に対する憎しみだけは共有しているのか、侵入者に問答無用で襲い掛かってくる傾向があった。そのため、死肉を好む屍食鬼よりも厄介な存在になっている。


 古墳地帯で〈矢避けの護符〉が必要になるのは、弓を手にしたまま徘徊する骸骨兵がいるからだった。眼球がなくとも、彼らは狙い澄ましたように侵入者を射抜いてくるので油断することができなかった。


 やがて古墳地帯に入ったのか、周囲の瘴気はますます濃くなっていった。草木が生い茂っていた地形にも変化が見られ、なだらかな起伏が姿をあらわす。木々の間隔も広くなり、月光によって陰影が深まっていく。これらの起伏の下に古の墓があると言われていたが、その存在すら知られていない墓も数多く埋もれている。


 霧の向こうで何かが動くのを見たような気がして青年が目を凝らしてみると、そこに肉のない骸骨兵が彷徨っているのが見えた。青白い光が彼らの眼窩がんかに灯り、その光が周囲の暗闇をぼんやりと照らしていた。骸骨兵たちは、まるで何かに導かれるように動き回っていて、不気味な生命感が宿っていた。


 その光景に戦慄を覚えながらも、冷静さを保とうと努める。彼らの動きを注意深く見つめ、どの方角に進むべきかを見極める。骸骨兵たちの骨が擦れる音が、静寂の中で響き渡り、その音は彼らの不気味な存在を際立たせていく。


 苔生した骨は時間の経過で風化していたが、呪力によってかろうじて崩壊をまぬがれているようだった。眼窩に灯る青白い光は薄い靄になって滲み出ていて、骸骨兵がゆっくり歩くたびに淡い光跡を残していくのが見えた。


 周囲を見回すと眼窩に灯る青白い光があちこちで見られ、骸骨兵たちが生者に対する敵意をむき出しにしているのが分かった。


「見つかったかも……」

 シェンメイの予想は当たっていた。やがて一体の骸骨兵がふたりの前に立ち塞がった。その身体は錆びた鉄の鎧に覆われ、骨だけになった手には朽ち果てた剣が握られていた。そして眼窩の青白い光が、冷たい憎悪の炎を宿しながらふたりを見据えている。


 アリエルは手にしていた棒をシェンメイに手渡すと、毛皮の〈収納空間〉から両刃の斧を取り出す。彼女は穂先のない槍に呪力をまとわせて強化すると、腰を落とし、隙のない構えで骸骨兵を睨んだ。


 骸骨兵は無言で剣を振り上げると、目の前に立っていたアリエルに襲い掛かってきた。錆びた刃が風を切る音が響き渡るなか、青年は瞬時に身を翻して攻撃を避けていく。骸骨兵の攻撃は容赦なく、憎しみがその一撃一撃に込められているようでもあった。彼はその攻撃を避けつつ、反撃の機会をうかがう。


 ふと骸骨兵の足元に目をやると、植物の葉が不自然に伸びて骨に絡みつくのが見えた。シェンメイが呪術を使って骸骨兵の動きを阻害したのだろう。


 一気に踏み込んで敵に接近すると、その手に握られた重々しい斧が月光を受けて輝く。それは切り裂くための攻撃ではなく、粉砕するための重い一撃だった。青年は体重を乗せるように意識して、腰の回転を利用しながら斧を振るった。


 刃が骸骨兵に直撃すると、鈍い音とともにそのいびつな身体はバラバラになりながら吹き飛んだ。砕けた骨が周囲に散らばっていくのが見えたが、視界の端に青白い光がちらつき、新たな骸骨兵が迫っていることを知らせていた。



〈骸骨兵〉

 骸骨兵は、古の戦士たちの亡骸に悪霊が宿った存在だと信じられている。彼らの多くは部族間の紛争の犠牲者であり、古戦場でもあった〈古墳地帯〉に永遠に囚われている。


 かつて激しい戦闘が繰り広げられた古墳地帯では、数え切れないほどの戦士たちが命を落とした。彼らの無念や怨念は、この地に呪いをもたらした。部族の伝承によれば、戦士たちの魂を呼び寄せる何かがこの地に潜んでいるとされているが、その正体は未だに明らかになっていない。


 骸骨兵は文字通り肉のない骨の姿で徘徊している。朽ちた毛皮や錆びついた鎧を身にまとっているモノもいるが、一般的に骨だけの姿で知られている。彼らは朽ちることのない存在であり、戦場に放棄された武器や防具を使い襲い掛かってくる。眼窩には青白い光が灯り、呪力によって動いていることが分かる。


 その骸骨兵の多くは、混沌から溢れ出る瘴気や幽鬼によって仮初の命を与えられている。そのため、身体をバラバラにされても呪力によって復元され、瘴気がある限り何度でも復活する。それでも無力化することは可能になっていた。たとえば骨を粉砕することで、一時的に復活を遅らせることができる。


 骸骨兵を完全に倒すためには、その呪縛の根を断つ必要がある。部族の伝承によれば、古墳地帯に潜む何かが戦士たちの魂を囚え続けているとされ、その何かを打ち破ることで骸骨兵を永遠の安息に導くことができると信じられている。あるいは、巨大な力を持つ幽鬼たちを滅ぼさなければいけないとも。


 辺境の忘れられた部族の伝承では、彷徨う戦死者の魂を鎮めるために、死を司る神々や月の女神が戦士たちの魂を導き安息を与えようとしたという。しかし古墳地帯に潜む何かが混沌と憎悪の力を使い抵抗したため、今も多くの魂が解放されずに残っていると信じられていた。

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