第183話 38


 どんなに厳しい訓練を積んだ戦士だったとしても、予想外の攻撃に対処することは難しい。なんの前触れもなく駆け出したアリエルが力任せに大剣を振り抜くと、戦士の胴体は切断され、空中で回転しながら体液やら内臓を撒き散らしていく。


 それを見ていた戦士たちは、突然の出来事に困惑し、思わず動きを止めてしまう。けれどアリエルは容赦しなかった。呆然と立ち尽くしていた別の戦士の首を、返す刀でね飛ばすと、斧を振り上げようとしていた髭面の男を斬り殺す。


 しかし奇襲が成功したのはそこまでだった。四人目の戦士を斬りつけようとしたときには、呪術師が放った〈火球〉が眼前に迫っていて、後方に飛び退いて攻撃を避ける必要があった。そして着地すると同時に、怒り狂った戦士たちの攻撃にさらされることになった。


 ノノとリリは体内で練り上げていた膨大な呪素じゅそを一気に解放すると、雄叫びを上げながら突進してきていた戦士たちの足元に〈土槍〉を形成していく。槍の穂先のように鋭いソレは、無防備に駆けていた戦士たちの身体からだを串刺しにしていく。


 敵を一気に殲滅するための広範囲に及ぶ攻撃だったが、さすがに相手は暗部の手練れだ。呪素の気配を察知して攻撃を避けると、遠くにいるノノとリリに向かって手裏剣を投擲する。金属製の鋭い刃が回転しながら凄まじい速度で迫るが、ノノは慌てることなく足元の土を硬化させ、〈石壁〉を形成して敵の攻撃を防いでみせた。


 そして次の瞬間には、崩壊し土に変わっていく壁の間を通すように〈火球〉を放ち、手裏剣を両手の指の間に挟み攻撃の準備をしていた戦士を攻撃する。かれは拳大の火球を受けると、瞬く間に炎に包まれ火だるまになり、叫び声を上げながら地面を転がる。


 けれど呪素によって生成された炎は簡単に消すことができない。男は喉と肺を焼かれ、血を吐きながら死んでいった。


 炎の呪術を得意とするリリも迫りくる戦士たちを焼き払うため、〈業火〉の呪術を使いたかったが、洞窟内で酸欠状態になることを恐れて別の呪術を使用することにした。つねに風が流れ込む広大な空間とはいえ、危険を冒すつもりはなかったのだろう。


 代りに彼女は足元の土を使い、無数の〈石礫〉を形成し、〈射出〉の呪術を使い数百にも及ぶ鋭い小石を放っていく。戦士たちは革鎧を着こんでいても易々と貫通する恐ろしい飛礫つぶてを浴びせられるが、あちこちに転がる岩に身を隠して攻撃をやり過ごし、隙をついて接近していた。


 攻撃の機会をうかがっていたのは、なにも敵戦士だけではなかった。その肌を獣の血液で濡らした全裸の女性たちも呪素をまとい、〈火球〉や〈氷槍ひょうそう〉といった強力な呪術を使い攻撃を行う。


 アリエルは呪術で身体能力を底上げし、重い両手剣を自在に操りながら暗部の戦士と斬り合っていたが、そこに恐ろしい速度で〈氷槍〉が飛んでくるようになると、苦戦を強いられることになる。


 しかし呪術師たちは血に狂っているのか、味方であるはずの戦士を巻き込むこともいとわず呪術を乱射していた。氷柱つららにも似た氷の塊に手足を切断されたり、腹部を貫かれたりして多くの戦士が倒れていく。が、それは多勢に無勢だったアリエルたちにとっても好都合だった。


 ノノは極彩色の瞳を妖しく明滅させると、アリエルに近づこうとする戦士を攻撃しながら、血濡れの呪術師たちを攻撃するための呪素を練り上げていく。彼女たちは、ある種の興奮を伴う酩酊状態におちいっていて、目を大きく見開き、薄笑いを浮かべながら出鱈目に呪術を放っていた。そしてその多くが、味方である暗部の戦士たちに命中していた。


 呪術師のひとりが異変を察知したのは、洞窟内の呪素が濃くなったときだった。全身に鳥肌が立ち、長い髪が逆立つのを見て、はじめて豹人の異変に気がついた。


 彼女は血の気が引くよう感覚に苛まれると、乳房を揺らしながら踊り狂いながら呪術を放っていた仲間を押し退けて前に出ると、やや灰色がかった白花色の体毛を持つ豹人を見つめる。そして彼女の手が電光を帯びていることに気づいた。


 そしてその異様な光景に目を奪われる。〝あれは〈雷槍らいそう〉の呪術だ〟彼女は儀式による高揚感が醒めていくのを感じた。ソレは高度な呪術で、熟達の呪術師が集まる都市〈影の淵〉でさえ、その使い手は数えるほどしかいないと言われていた。〝このままでは殺されてしまう〟彼女は血に濡れた髪を振乱しながら、形振り構わず走り出した。


 けれど何もかも遅かった。雷で形成されたとしか形容できない槍を手にしたノノは、血濡れの呪術師たちに向かって〈雷槍〉を放った。目にもとまらぬ速さで飛ぶ雷の槍は、集団の先頭に立っていた女性を貫くと、後方にいた女性の身体からだを破壊しながら地面に突き刺さり、そしてまばゆい光で周囲を包み込むようにして炸裂する。


 血に濡れた女性たちの多くが感電し、為すすべもなくその場に倒れていく。数人の呪術師は障壁を生成して何とか感電死を免れたが、ノノが〈雷槍〉の使い手であることに衝撃を受けているようだった。


 が、その強力な呪術をもってしても、敵の勢いを止めることはできなかった。ノノを狙った矢が次々と飛んでくるようになると、リリは風を操りながら矢を逸らし、岩陰に隠れていた射手に〈石礫〉を叩きつけていく。


 守人よりも豹人が脅威になると判断したのだろう。敵対者たちの攻撃は豹人の姉妹に集中するようになる。もちろん、アリエルはその状況を放っておくようなことはしなかった。敵の注意がそれている僅かな時間を利用して、厄介な戦士たちを斬り殺していく。


 暗部に所属しているだけあって、かれらは精強な戦士であり、敵に囲まれながらの戦いを強いられていたアリエルは傷だらけになっていた。〈治療の護符〉を使用しながら、なんとか立っているような状況だったが、そろそろ体力の限界に近づいていた。


 洞窟の暗闇から怖気立つような咆哮が聞こえてきたのは、呪術師たちの反撃にあっていた豹人の姉妹を助けに行こうとしたときだった。


 不気味な咆哮に誰もが動きを止め、洞窟の出入り口に続く暗闇を見つめる。かれらに聞こえていたのは、その不気味な咆哮だけではなかった。べちゃべちゃと、水分を含んだ何かが洞窟の壁に衝突する音も聞こえていた。


 やがて彼らの前に、血に濡れた半透明の体表を持つおぞましい生物が姿を見せる。それは灰白色かいはくしょくのブヨブヨした胴体を持ち、人間の腕にも似た無数の器官を使って地面をうようにして近づいてきた。


地走じばしり……」

 無数の腕を持つミミズじみた化け物の正体に気がついたアリエルは、すぐに豹人の姉妹のもとに駆けていく。〈獣の森〉の恐ろしさを知らない呪術師たちが奇妙な儀式を行い、洞窟内を混沌の瘴気で満たした所為せいなのだろう。瘴気に引き寄せられるようにして、混沌の化け物が洞窟にやってきた。


 その地走りは動きを止めると、気色悪い胴体の先端についた人の頭蓋骨をカタカタ鳴らしながら血に濡れた全裸の呪術師たちを見つめる。


 奇妙な静寂が場を支配したかと思うと、次の瞬間には空気をつんざく破裂音が聞こえ、女性の身体が破裂して血液やら内臓が飛び散るのが見えた。


 地走りの能力で空間が引き裂かれたのだろう。アリエルは狼狽える戦士たちから距離を取ると、姉妹を連れて洞窟から脱出する機会をうかがう。


 おそらく敵対者たちは全滅するだろう。かれらは人間相手に戦い慣れているかもしれないが、混沌の化け物と戦った経験はない。そしてそれが命取りになる。


 勇敢にも数人の戦士が地走りに向かって駆けていくが、化け物はヌラヌラと濡れた胴体をムチのようにしならせ、そして戦士たちに叩きつけた。その衝撃は凄まじく、彼らは手足の骨を折られ、瀕死の状態で地面を転がることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る