第123話 23


 サルに似た〈キピウ〉のれは牙を剥き出しにした戦狼いくさおおかみの姿に恐慌状態になると、燃え盛る呪術の炎のなかを駆けまわり、そしてひどい火傷を負いながら死んでいく。すると遺跡のあちこちから、耳をおおいたくなるほどの騒がしい鳴き声や咆哮が聞こえるようになり、それを呼び水にして、さらに多くのキピウが姿を見せるようになった。


 しかし豹人の姉妹であるノノとリリはおくすることなく、他の呪術師には真似できない強力な呪術を使いながら敵を掃討していった。キピウの群れは〈火炎〉で焼き尽くし、遠距離から攻撃してくる傭兵の射手には〈氷槍〉と〈石礫〉を巧みに使い分けながら確実に致命傷を与えていった。


 傭兵たちが使用する〈矢避けの護符〉は、接近する飛来物に反応して効果を発揮していたが、凄まじい速度で飛んでくる呪術に反応できたのは数回ほどで、徐々に効果を維持できなくなってしまう。そうなると無防備に立っていた傭兵は恰好の的でしかない。


 南部遠征の短い期間ではあったが、苦楽をともにしてきた傭兵たちと敵対して殺し合わなければいけなくなってしまったことを残念に感じていた。しかしそれでも、攻撃の手を緩めるようなことはしない。彼らは殺し奪うために攻めてきているのだ。敵に勝利の機会を与えるような隙を見せることはできなかった。


 攻撃のため、ノノが体内の呪素じゅそを練り上げているときだった。自分の背丈ほどもある長弓を手にしていた傭兵が、彼女に向かって矢を放つのが見えた。しかし飛来してきた矢は、彼女の周囲に展開していた不可視の障壁に衝突して、そのときの強い衝撃で矢がへし折れてしまう。


 ノノが攻撃をふせぐために使用していたのは、飛来物の軌道をらす効果がある術ではなく、いかなる攻撃に対しても〈障壁〉として機能する呪術だった。


 そのことに敵が動揺して動きを止めると、彼女はここぞとばかりに呪術で反撃する。射手が倒れたことを確認すると、ノノは豹人の身体能力しんたいのうりょくを活かして、崩壊しかけた建築物の屋根に颯爽さっそうと飛びのる。全身を包み込むゆったりした外衣を身につけていたが、それが彼女の動きを阻害することはなかった。


 建物の屋根に灰色がかった白花色しらはないろの体毛を持つ豹人の姿が見えると、ふたりの傭兵は呪符を使って彼女を排除しようとする。ノノには大気中の呪素が上等な紙に描かれた呪文に反応して、中空に〈火球〉を発生させる瞬間が見えていたが、彼女はその場から動こうとしなかった。〝忌々しい猫もこれで終わりだ〟傭兵は勝利の予感に思わず笑みを浮かべる。


 しかし豹人に直撃したように見えた〈火球〉は、彼女の実体のない身体からだを通り過ぎて、そのまま倒壊した塔に直撃する。傭兵たちは壁に絡みつく枯れたツル植物が燃え上がる様子を呆然ぼうぜんと眺める。どうやら彼らが攻撃したのは、ノノが〈幻影〉の呪術で投影した彼女そっくりの幻だったようだ。


 その事実に気がついた若い傭兵は、弱々しい小さな笑みを浮かべることしかできなかった。何故なぜなら次の瞬間には、横手から飛び掛かってきたアルヴァの爪で身体からだをズタズタに引き裂かれることになってしまったからだ。傭兵は衝撃で吹き飛び地面を転がる。裂かれた腹部からは血液と内臓が飛び出し、石畳や植物を赤黒い血で染めていく。


 オオカミの背には何故なぜかリリが乗っていて、彼女は見る角度によって絶えず色合いを変化させる瞳で、姉を攻撃したもうひとりの傭兵を睨んだ。


 攻撃の失敗に気がついた髭面の傭兵は、すぐにその場から逃げ出そうとした。が、彼の脚は地面に張り付いていて、どれほど力を入れても動かすことができなかった。足元に視線を落とすと、粘着質の泥濘ぬかるみに足を取られていて、まるで地中に沈み込むようにして身動きできなくなっていることに気がついた。


 戦狼の鋭い爪が眼前に見えた瞬間、髭面の傭兵は呪術師の――神々の血を色濃く受け継いだ者たちの真の恐ろしさを思い出した。南部を旅している間、傭兵たちは当然のことのように呪術を扱う守人や豹人の姉妹と接して一緒に戦ってきた。だからなのか、呪術師という存在を甘く見るようになっていたのかもしれない。


 たしかに彼らが使用する呪術は脅威だった。でも、呪術師なら誰もが使えるモノなのではないのか、と。そして心のどこかで軽視するようになっていた。しかしその呪術によって最期を迎えることになった。


 アルヴァは苦痛のなか息絶えようとしていた傭兵の頭部を踏み潰すと、威嚇の声を上げながら接近してきていたキピウの群れを睨む。サルにも似た生物はオオカミの唸り声を聞いただけで震えあがり、散り散りになって逃げ出そうとする。しかし足元の泥濘でいねいが底無し沼のように変化すると、たちまち身体からだが沈み込んでいく。


 複数のキピウが地中に消えると、リリはそっと息を吐き出す。彼女の黒く艶のある体毛は、雲間から射す茜色の夕陽を浴びてメラメラと照り輝いていた。


 遺跡の陰から姿を見せたノノに名を呼ばれると、リリはアルヴァの背から飛び降りる。

『ここまで乗せてくれて、ありがとうね』

 リリに感謝された寡黙なオオカミは、こくりとうなずいてみせたあと、転移門のそばで戦っていた味方を支援するため駆け出す。


 その場に残されたノノとリリは、上空を飛行していた鳥の眼を使って襲撃を計画した赤ら顔のバヤルを捜索する。しかし見つかったのは遺跡に接近してくる〈赤の魚人〉の一団だけだった。キピウの鳴き声と戦闘音に引き寄せられたのかもしれない。姉妹は魚人に対処するため、大規模な呪術の準備を始める。彼女たちの呪術はすぐに目に見える現象として確認できるようになった。


 遺跡の上空に厚い雲が垂れこめると、雷の音が不気味に鳴り響くようになった。その直後、空全体に眩い光が放たれたかと思うと、腹の底を震わせる地響きのような音が聞こえる。落雷が起きたのだ。それは遺跡に向かってきていた魚人の集団に直撃し、地形を変化させるほどの衝撃でまたたく間に部隊を壊滅させた。


 姉妹は優れた呪術師だったが、膨大なエネルギーを大気中に撒き散らすようにして発生する雷をつくり出すようなことはできなかった。その現象を発生させるキッカケをつくり出したにすぎない。しかしそれでも体内にたくわえていた大量の呪素を消費してしまうことに変わりない。ふたりは大気中に漂う呪素を体内に取り込むため、その場で休むことにした。


 その落雷の衝撃は、魚人との戦いで何度も足止めされていたアリエルたちにも感じることができた。

「あれをやったのは姉妹だな……」

 勘のいいルズィは溜息をついた。


 混沌に由来する呪素じゅそは強力な攻撃手段にもなり得るが、使えば使うほど混沌の領域とのつながりを強め、混沌の残り香とも呼ばれる混沌の影響を〝こちら側の世界〟に残すことになる。もしも混沌が顕現けんげんして化け物を生み出すようなことになれば、それは守人でも手に負えない事態になりかねない。


 ましてや異界につながる転移門の近くで強力な呪術を使うのは、それがどのような結果を及ぼすのか分からない以上、絶対に避けるべきことだった。


 だが、そのことは姉妹も重々承知しているはずだ。つまりそれだけ切迫した事態になっているということなのだろう。

「なぁ、兄弟。ラライアを連れて先に――」

 そこまで言葉にしたあと、ルズィは口を閉じて背の高い葦原あしはらからあらわれたバヤルに視線を向けた。


「待っていたよ」と、バヤルはニヤリと嫌な笑みを浮かべる。

「なんのつもりだ?」

 ルズィの言葉に彼は肩をすくめた。

「ここで待ち伏せをしていたんだ。見れば分かるだろ?」

「何をたくらんでいるのか知らないが、ひとりでなにができる?」


「ひとり?」バヤルはワザとらしく、そして大袈裟おおげさな声で笑う。

「おまえたちには、俺がそんな間抜まぬけな人間に見えていたのか?」

 すぐ背後の草が揺れる音がして振り返ると、そこに網目の魚人が立っているのが見えた。

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