第一章 戦場

第3話 01 戦場


 黒で揃えた戦闘装束に身を包んだアリエルは、負傷者たちの苦痛の声や呻き声を聞きながら大樹のうろに設営された陣地内を見回した。


 支柱を立て薄汚いボロ布を張っただけの天幕は野戦病院として利用されていて、〈治療師〉たちの能力によって先の戦闘で手足を切断されてしまった人間や、腹部から内臓が飛び出ている亜人の治療が行われていた。


 陣地内には戦闘で死ぬほど疲れ切っていた戦士たちがひしめき、所構わず座り込んでいる所為せいで足の踏み場もなかった。黒オオカミの毛皮を羽織った青年の接近に気がつくと、戦士たちは立ち上がって道をあけてくれたが、ほとんどの戦士はアリエルに目もくれず、彼の存在を完全に無視していた。


 しかし無理もない。あの胸糞悪いいくさは戦士たちの肉体にだけでなく、精神にも大きな影響を及ぼしていた。生きて陣地に戻ってこられたということは、それだけ地獄のような光景を多く見てきたということでもあるのだ。


 と、入り口近くに待機していた戦士たちが騒がしい音を立てるのが聞こえた。すると身体からだのあちこちから血液を流している女戦士が担架で運ばれてくるのが見えた。


 搬送の邪魔にならないように青年が道をあけたときだった。彼女を運んでいた戦士のひとりが倒れてしまい、その拍子に担架に乗せられていた女性も泥濘ぬかるみのなかに倒れ込んでしまう。


 どうやら彼女を搬送していた戦士も負傷していたようだ。大柄の男の肩には矢が突き刺さった状態で、背中にも無数の金属片が食い込んでいた。立派な甲冑の下に着こんでいた衣類は、血液で赤く染まっている。


 青年はその血で汚れることも気にせず、すぐに女性を抱き上げると担架に乗せ、彼女の搬送を手伝うことにした。肩に矢が突き刺さっていた男は朦朧もうろうとした意識で青年に感謝したあと、眠るように絶命した。彼が項垂れると、ちょうど耳の裏側に鉄片が突き刺さっているのが見えた。


 死ぬのが分かっていて、それでも無理をして彼女を運んできたのだろう。


 青年は威儀いぎを正し胸に手をあてると、偉大な戦士に祈りの言葉を捧げた。自分自身の祈りに意味がないことは知っていたが、名も知られることなく死んでいく英雄のために祈らずにはいられなかった。


 無数の負傷者を抱える天幕まで女性を搬送すると、彼女はその場で裸にされて血に濡れた手術台にのせられた。青年にできることはもうないだろう。彼女に付き添っていた屈強な戦士に声を掛けたあと、彼はそそくさと天幕を出て行こうとした。


 けれど従軍看護師に呼び止められて、女戦士の血に濡れた衣類を手渡された。理由をくと、血液とのろいでけがれているから燃やす必要があるとのことだった。


 青年は声を掛けられたことに驚いたが、看護師の言葉にうなずいて衣類を受け取る。気のいい看護師は青年に感謝の言葉を口にしたあと、仕事に追われている治療師たちのもとに戻った。


 天幕の裏手に掘られた穴のなかに麻布の小袖を放り込む。すると鹿の頭蓋骨を加工して作られた奇妙な被り物をした〈呪術師〉がやってきて、その手から生み出した炎で衣類をまたたく間に焼却していく。


 炎の明かりをぼんやりと眺めていると、厚い毛皮に覆われた〈豹人〉がやってくるのが見えた。やや灰色がかった淡い青紫の白花色しらはないろの美しい体毛に、黒い梅花状ばいかじょう斑紋はんもんが綺麗に散りばめられていているのが見える。


 彼女は見る角度によって色合いを変化させる大きな瞳を青年に向けたあと、低い声で鳴いてみせた。すると透き通るような優しい声が青年の内耳に聞こえた。


 どうやら戦士長の集まりで行われる会議が始まってしまっているようだ。そのことをしらせに来てくれた〈ノノ〉に感謝したあと、青年は会議が行われている天幕に向かうことにする。


 その道中、艶のある美しい黒い毛皮に覆われた〈リリ〉と合流する。どうやら彼女も青年のことを探していたようだ。彼はそのまま豹人の姉妹をつれて天幕に入ろうとする。しかし大柄の〈蜥蜴人〉が道を塞ぐように入り口の前に立つ。


 会議に参加できるのは戦士長だけのようだ。気が立って体毛を逆立てるリリを落ち着かせたあと、青年はひとり天幕に入っていく。蜥蜴人は鼻を鳴らすと、豹人の姉妹を無視して自分の仕事を続けることにした。


 直前まで聞こえていた話し声は、アリエルが天幕に入るのと同時にパタリと止まる。屈強な戦士たちに睨まれると、青年は表情を変えることなく目を伏せ、胸に右手をあて、頭だけ下げて軽い会釈を行う。


 戦士長たちのなかには〈境界の守人〉である青年に興味を持つ者もいたが、彼らはすぐに騒がしく、それでいて不毛な話し合いを再開した。


 青年は顔をあげると汗と血液の臭いで充満した天幕のなかを見回した。そして戦友の顔を見つける。彼もアリエルの視線に気がついたのか、すぐとなりにある椅子に向かって顎をしゃくる。青年はうなずくと、見知った戦士長に声を掛けながら椅子に座る。


 間を置かずに幼い豹人が持ってきてくれた木製の湯飲みを受け取って感謝をする。戦闘で神経がたかぶっていたからなのか、冷たい水に口をつけるまで喉が渇いていたことすら気がついていなかった。


「戦場では助かった。おかげで命拾いした」

 アリエルの言葉に戦友はニヤリと笑みを浮かべる。

「気にするな」


 その冷ややかな笑みに悪意が含まれていないことは知っていたので、青年は気にすることなく相槌を打つと、会議で話し合われていたことについてたずねることにした。


「今夜、〈霞山かすみやま〉に夜襲をかけるようだ」

「古の神々をまつった遺跡で有名な聖地だな……」

 数千年も昔の遺跡だとされているが、黒曜石の広間では今も神々の声が聞こえるという。


「略奪者どもに荒らされて、もう聖地とは呼べないけどな」

 戦友の言葉にうなずいたあと、アリエルは疑問を口にした。

「あの地に眠る神々は穢されて、もう価値のないゴミ溜めと変わらないと聞いていたが」


「そのゴミ溜めからやってきた連中に俺たちは奇襲されて、多くの戦士を失うことになったんだ。さすがに首長も放っておくことはできなくなったんだろう」


 たしかに戦友が言っていることは間違っていない。そのゴミ溜めからやってきた敵部隊に、数名の〈呪術師〉に支援された戦闘部隊が徹底的に叩かれて撃退させられたのだ。その所為で部隊の中核となる〈呪術師〉を含む百二十名もの戦士が汚泥おでいのなかで息絶えることになった。


「それで」アリエルは湯飲みを傾けながら訊ねた。

「夜襲にはどの部族の戦士が参加するんだ」


「今さら説明する必要もないと思うが、蜥蜴人の戦闘部隊は使えない」

「夜の闇のなかでは動けないか……」


 蜥蜴人は直立した爬虫類のような姿をしており、筋骨きんこつたくましい大きな身体と長い尾を持ち、恐ろしい牙に鋭い鉤爪、鎧のように堅い鱗を持つ凶悪な戦士だが、気温が低いと動けなくなる性質を持ち寒暖差の激しい夜の森での活動には適さない。


 奇襲の責任を押し付け合うようにして言い争っている戦士長たちを見ながら、アリエルは声を落として訊ねた。


「なら、どの部隊がやるんだ」

「独立混成部隊だ」


「聞いたことのない部隊だ」

「先の襲撃を生き延びた戦士たちで編成した即席部隊で、そのひとつはお前が指揮することになる」


「寄せ集めの部隊で敵を疲弊させてから、本隊を動かして一気に敵陣を叩くつもりか」

「いや、捨て石にするつもりはないようだ」


「というと?」

「ノノとリリを連れていけ。あの姉妹は役に立つ」


「最前線に貴重な呪術師を派遣するくらいには、状況が切迫しているってことか」

「それもあるが、あの呪術師の姉妹はお前に懐いている」


 戦友の言葉に肩をすくめたあと、戦士長たちの話に耳を傾ける。が、不毛な言い争いが続いていて、得られるモノはなかった。


「遺跡では厄介な連中を相手にすることになりそうだな」

 アリエルの言葉に戦友は肩をすくめる。

「ああ、危険な呪術師もいるだろう」


「……首長はこの争いをいつまで続ける気なんだ」

「略奪が終わるまでだ」


「略奪か」アリエルは思わず鼻を鳴らす。「連中だって俺たちと同じだ。貧しくて毎日の食事にすら困っている。そんな部族から略奪して、なんの意味がある」


「そいつは間違っていない……それに、部族が違うってだけで、森で生きる同胞はらからに変わりない」

「だからこそ俺たちは森を出るべきなんだ」


 戦友は不敵な笑みを見せたあと、目を細めた。

「教えてくれ、エル。森の外には何があるんだ?」


「商人たちが噂していたんだ。そこには大きな都市があって、財宝や未知なる神がいる。そして俺たちが想像もできないような世界が広がっているんだ」


「連中の噂は俺も聞いたよ、でもどうするつもりだ。 首長が許可しなければ、部族の人間が森を出ることはできない。……いや、違うな。そもそも森から出ることなんて不可能だ。広大な森で迷子になって怪物どもの餌になるか、どこかで野垂れ死にするだけだ」


 アリエルはちらりと周囲に視線を向けたあと、さらに声を落として言った。

「不可能じゃないさ。森を出る方法を見つけたんだ」

「言ってみろ」


「〈盲目の信徒〉たちが築いた古代都市の遺跡には、森の外にある神々の都市に導いてくれる秘宝が保管されているらしい」


「神々の都市……〈夢の都〉のことだな。そんな与太話を本当に信じているのか」

「たしかな情報筋から得た情報だ」アリエルは忙しなく視線を動かしながら言った。


「お前が首長の命令で暗殺まがいの仕事をしていることは知っているし、拷問で得た情報に信憑性がないことも知っている」そこまで言うと、戦友は酒が入った器を手に取る。「けど俺たちはツイてる。その遺跡は〈霞山〉にある」

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