第187話 42


 アリエルは倒壊した監視塔を横目に見ながら広場を歩いていた。かれの周囲に人影はなく、広場で訓練する兄弟たちの姿も見られない。ただ、しんしんと降る雪は足元に散らばる瓦礫がれきおおい隠し、音さえも呑み込んでいく。いつもの見慣れた景色が、その瞬間だけは異なるモノに見える。


 それは廃墟などで見られる、どこか退廃的で物悲しくて、だけどその美しさに思わず魅了されてしまうような光景だった。


 打ち捨てられ、荒廃し、忘れ去られようとしている無数の塔を見ていると、ふと〝退屈な幽鬼〟の話を思い出す。その幽鬼も廃墟を好み、瓦礫に腰を下ろして、日がな一日、ぼうっと景色を眺めて過ごしていたという。


 たしかその幽鬼は三百年だか四百年だかのあいだ、森を彷徨い続けていたらしい。幽鬼はひどく退屈していて、刺激のない人生にウンザリしていた。絶望するあまり、その朧気おぼろげな姿さえ消えかけようとしていたほどだった。


 あるとき、古の妖精族の遺跡を見物していると、ひとりの傭兵が迷い込んできた。なんでも、神々が遺していった遺物を探す旅をしているという。


「わたしが手伝ってやろう」幽鬼は囁いた。「なに、ちょうど退屈していたんだ。それに、わたしは遺跡に詳しいのさ、神々の遺物なんてすぐに見つかる」


 辺境からやってきた傭兵は、族長のもとで働いていた年老いた叔父の言葉を思い出す。

「幽鬼はそうやって言葉巧みに定命の者を騙すと聞いたことがある。貴様も俺のことを騙すつもりなのか?」


 幽鬼はからから笑う。

「みすぼらしい蛮族を騙したところで、わたしには何の得もないのさ。さぁ、いいから手伝わせてくれ。わたしは退屈で仕方がないんだ」


 傭兵は目を細めて朧気な――今にも消えてしまいそうな幽鬼の姿を見つめたあと、決心したように言葉を口にした。

「いいだろう、お前の助けを借りることにする。だけど――」


 そこでアリエルは足を止めると、目の前にそびえる塔を見つめながら考える。「だけど」の続きが思い出せないのだ。傭兵は幽鬼に協力してもらうが、見返りに何か大切なモノを奪われそうになる。けれど最後には機転を利かせて難を逃れることになる。だが、話が思い出せないのだ。


「だけど」のあとに何か重要なことを言ったはずだ。傭兵は何を口にしたのだろうか。


 青年は思いつめた表情で物思いにふけっていたが、やがて白い溜息を吐き出して塔に向かって歩き出す。きっと思い過ごしなのだろう。この話に教訓はなく、辺境からやってきた傭兵は幽鬼に騙されて、今も遺跡に囚われているのだろう。


 巨大な両開きの扉に手をついて押し開いたあと、僅かにできた隙間に身体を捻じ込むようにして塔に入っていく。


 塔内部は薄暗く、重々しい静寂に支配されている。足音を響かせながら暗い通路を進んでいくと、炉の炎によって浮かび上がる太いしめ縄の影がゆらゆらと揺れているのが見えてくる。鍛冶場の天井は高く、奥行きのある空間になっていたが、雑多な物で溢れていて見た目の印象よりもずっと狭く感じられた。


 空気に含まれるすすとホコリの臭いに顔をしかめたあと、蜘蛛の巣が目立つ壁際に視線を向ける。そこには大量の木炭や砂鉄、そして鉄鉱石が詰まった木箱が無雑作に積まれている。アリエルは周囲を見回しながら壁に近づくと、ホコリにまみれていた両手剣に手を伸ばす。


 ソレは、青年がはじめて鍛冶場に来たときから壁に飾られていたモノだったが、なぜだか今日になって無性に気になってしまう。


 暗部に所属していたと思われる戦士との戦いで、所有していた両手剣の刃が欠けて使いモノにならなくなってしまった。だから代わりになるモノを探していたが、この剣は古すぎる。最初の一振りで刃が折れてしまうかもしれない。


 暗闇からしゃがれ声が聞こえてきたのは、炉の炎で手を温めようとしたときだった。

『待っていたぞ、塵の子よ』


 大きな影が――まるで岩をこするような音を立てて近づいてくるのが見えた。それは遠目に見れば緑青色の薄汚れた岩にしか見えなかったが、注意深く見ると、炎のようにめらめらと燃える瞳を持ち、言葉を発することのできる大きな口を持っていることが分かる。


 石に近きもの、〈ペドゥラァシ〉と呼ばれる種族でもある〝クルフィン・ペドゥラァシ・ベェリ〟が、ゆっくりと姿を見せ炉のそばに腰掛ける。


「クルフィンさま」

 青年が頭を軽く下げると、石に近きものは手を伸ばす。


『さぁ、約束のモノだ。受け取りなさい』

 かれの開いた口からは、言葉ではなく煙が吐き出されるのが見えた。そして声は直接頭のなかに流れ込んでくる。


 アリエルはうなずくと、手を伸ばして黒い毛皮のマントを受け取った。それは以前、昆虫種族のザザが使用していた〈収納空間〉を備えた呪術器で、かれの遺体から回収していたモノだった。しかし昆虫種族がどのように呪素じゅそを操作し、能力を使用するのか分からなかったので、今まで保管していたモノだった。


 それまで気にしてこなかったことだったが、どうやら昆虫種族や獣人種の多くは体内に独特の器官を持ち、それによって呪素を巧みに操作しているのだという。得意、不得意はあるが、そのおかげで優秀な呪術師を輩出していた。でもだからといって人間が劣っているといわけでもない。


 血液の流れに沿って――ある意味、感覚的に呪素を操作している人間のほうが呪術に優れていることもあるので、結局、祖先や血筋によって優劣に差が出ていた。けれど呪術の操作方法などは種族によって異なる場合があるので、呪術器だからといって、すべての種族が平等に扱えるわけではなかった。


 そこでクルフィンは特別な金糸を用いて神々の言葉を刺繍することで、アリエルにも〈収納空間〉の能力を引き出せるようにマントを加工してくれたのだ。もちろん、それだけでなく呪素による〈修復〉の機能も備わっていたので、戦いのたびに傷つき黒狼の毛皮をダメにしてきたアリエルにとって使い勝手のいい装備になるはずだ。


「ありがとうございます」

 感謝の言葉を口にしてから、その見事な毛皮を羽織る。以前は泥に汚れ、り切れていたが、綺麗に洗濯さていた。守人の装備らしく、黒狼の毛皮で補修されていて、黒くて厚く、やわらかな手触りをしていた。防寒としての優れた機能も備えているのか、大気の呪素に反応して暖かさが保たれるようになっていた。


『それからこれを』

 クルフィンはそう言うと、すぐそばにある作業台の上に両刃の剣をゴトリと置いた。


『ルズィが置いていった〈結晶石〉を粉末状になるまで砕いてから刃に塗り込んだものだ。当然のことだが、神々の遺物や〈呪術鍛造〉されたモノほどの機能は備わっていないが、刃を自動的に〈修復〉してくれるはずだ。すぐに武器をダメにするお前さんにはちょうどいいだろう』


 結晶石が生物の体内で形成される呪素の塊のことだと思い出す。たしかザザが魚人を解剖したときに入手したモノだった。アリエルは剣を手に取り、慎重に鞘を払うと、刃を目の高さに持ち上げる。すると木目状の模様が浮かび上がっているのが見えた。それは呪素に反応して淡い光を帯びていた。


 柄には上等で汚れひとつない革が使われていて、握った感触も心地よかった。使い慣れている刀よりも刀身が長いため、慣れる必要があったが、それは問題にならないだろう。なにより、自分のためだけに用意された贈り物が無性に嬉しかったのだ。だから青年は気持ちを隠すことなく感謝の気持ちを言葉にする。


『よい、気にするな。わかっていると思うが、そいつは命を奪うためのモノだからな、あまり大切にされても困る。今まで通り、それを使って思う存分に戦いなさい。剣など幾らでも用意できるのだから』


 アリエルは真剣な面持ちでうなずいたあと、かすかに淡い光を発する刃を見つめた。

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