第222話 03


 アリエルたちは都市遺跡の中心にそびえる無数の塔を見ながら、呪術の薄明りを頼りに暗い街道を歩いていた。大気中の呪素じゅそに反応して輝き続ける光球は、ノノの手を離れ無人の都市を照らしていく。そこは薄闇と静寂に支配されていて、時折、遠くから風の音が不気味な響きを持って迫ってくるのが感じられた。


 照月てるつき來凪らなは立ち止まると、変形した頭蓋骨で飾られた塔を仰ぎ見る。塔の壁面に並べられた数え切れないほどの頭蓋骨は、どれも奇妙な形状をしていて、人間のモノよりも細長く後頭部に向かって伸びているのが確認できた。森には未知の種族や知られざる部族が存在するが、それでもこの光景に彼女は驚きを隠せなかった。


 アリエルも、どこか異質な雰囲気を醸し出している塔に圧倒されてしまう。辺境の部族では、今も人為的に頭蓋骨変形を行う風習があることを知っていたが、その異様な光景に顔をしかめてしまう。それは森の部族のモノというより、〈転移門〉の向こう側にある世界からやってきた生物の骨に見えた。


 空からやってきた異種族との接触を示す証拠だと信じる守人もいるが、それよりも未発見の種族、あるいは滅んでしまった種族のものだと考えるほうが妥当なのかもしれない。


 偽りの太陽に照らされた塔が黄金にきらめく様子を見ながら、照月來凪は気になっていたことをたずねる。


「砦の地下に都市遺跡が存在していることを、いつから守人は知っていたの?」

 青年は首をかしげて、あれこれ考えたあとに口を開いた。

「守人の歴史を記した書物の多くが失われてしまったから、詳しいことは分からない。けど〈境界の砦〉が築かれたのは、この都市を監視するためだったんだと思う」


「守人は〈混沌の領域〉につながる結界を見守り、黄金の都市が異形の化け物に占拠されないために監視を続けてきた……」と、彼女は独り言のように言う。「これほどの重責を担っていることを知れば、守人が軽んじられることもなくなるかもしれないのに、どうして守人は活動内容を公表しないの?」


「たしかに部族の人々には知られていない任務だ。でも権力者の多くは守人が存在する理由や任務の内容を知っているし、この都市遺跡のことも知っている。かつての守人はそれで充分だと考えたのかもしれない」


「いたずらに混乱を広げてしまうことを避けたかった?」

「かもしれない。黄金に彩られた都市が存在していることを知ったら、〈神々の遺物〉を求める人々が大挙して押し寄せてくる。そうなったら、まともに任務ができなくなる」


「傭兵や遺跡を荒らす略奪者たちの存在を嫌ったというわけね。でも、彼らに結界の監視任務を押しつけることができたかもしれない」


「それはどうだろう」と、アリエルは首をかしげる。

「とくべつな戦闘訓練をしている守人ですら、〈混沌の化け物〉に蹂躙されてしまうことがあるのに、遺物を求めてやってくる略奪者たちが生き残れるとは思えない」


「勝手に死んでしまうのなら、放って置くこともできたんじゃない?」

『都市遺跡が死者で溢れることを恐れたのです』

 ノノの声が内耳に聞こえると、アリエルはうなずいた。


「そうだ。この都市には幽鬼が徘徊している。ソレがどういう存在なのかは、未だに判明していないけれど、かれらは死体を操ることで知られていて、とても危険な存在なんだ。それに、死体に引き寄せられる化け物にも警戒しなければいけなくなる」


「だから守人は都市の存在を公表せず、今も秘密のままにしていた……」

 彼女はくるりと周囲を見回したあと、ずっと遠くに見えている高い塔に視線を向ける。

「あの塔の下に、〝旧支配者〟たちの王国につづく〈無限階段〉があるの?」


「ああ、かつて守人たちは〈無限階段〉を使って、ここよりもずっと深い場所にある地下王国を探索していたみたいだけど、今では守人すらその王国の存在を疑っている」


「信条や秩序の喪失か……それも組織の衰退が原因ね」

 照月來凪の言葉に青年はうなずいた。

「犯罪者や無法者の最終処分場になってから、この組織はおかしくなってしまった」


「……でも、守人は今も部族のために尽くしてくれている」

「だが、もっと別のやり方があったはずだ。誰にもさげすまれることなく、任務に集中できる環境を手に入れられたかもしれない。けれど〈混沌の化け物〉の存在すら疑う者たちがあらわれる始末だ」


「混沌の脅威が減ったことは、森で生きる人々にとって喜ばしいことだったけれど、守人にとっては――皮肉ね、せっかく平穏な生活を手に入れたのに、人々は平和の立役者として尽力してくれた守人の功績を忘れてしまった」


 そしていつか、守人が存在していたことすら忘れられてしまうのかもしれない。アリエルは背後を振り返ると、黄金で装飾された都市遺跡を一瞥したあと、仲間たちを連れて薄暗い横穴に入っていく。


 足元にはゴツゴツした石が散らばり、地下水で濡れた岩肌のあちこちに古代の模様が刻まれているのが見えた。光に照らされて神秘的な記号や文字が浮かび上がるが、その意味は理解できない。アリエルは古い書物を頼りに、いくつかの文字を解読したことがあったが、それらの模様や文字の多くは未知のものであり続けた。


 それらの記号や文字のいくつかは、〝旧支配者〟たちよりも古い時代のモノだと信じられていた。有史以前、あるいは神々の時代よりもずっと古いモノなのだと。


 都市遺跡を離れると、途端に光の存在しない暗黒の世界に包み込まれる。ここには針の先ほどの明かりも存在しないので、呪術の照明だけが頼りだった。この空間で光を失ってしまえば、地底に果てしなく広がる迷宮から出られることはないだろう。


 まとわりつくような暗闇のなかを歩きながら、アリエルはつねに周囲の状況を把握し、全方位に気を配っていた。守人が残した微かな痕跡や道標を見失わないようにする必要があったからだ。


 照明の光が届かない闇のなかには不気味な静寂が漂い、照明によって足元には薄暗い影が伸びていた。足音を最小限に抑え、闇に潜むモノたちを刺激することがないように慎重に進みつづけた。


 これまで何度も任務で来ていた場所なので、迷うことはなかったが、その暗がりに知られざる危険が潜んでいることを彼は知っていた。実際のところ、注意して闇に耳を澄ますと、ぴちゃぴちゃと地面を叩く小さな音が聞こえていた。豹人の姉妹には、その得体の知れない生物の気配や、生臭いニオイすらも感じられるほどだった。


 暗闇のなかを進むにつれ、地面が濡れていることに気づく。水量は少なかったが、つねに水が流れていて足元が滑りやすくなっている。それでも不安定な地形を慎重に進んでいく必要があった。やがて暗闇の向こうで松明の淡い光が揺れているのが見えた。アリエルたちはその光を頼りに進み、そして守人と醜い化け物の死骸を見つけることになる。


 そこかしこに生々しい血痕が付着していて、異形の化け物の死骸が血溜まりのなかで横たわっている。しかし水の流れがあるおかげなのか、腐肉食の昆虫は見られなかった。


 地面には刀や槍、それに無数の矢が散らばっていて、ここで行われた戦いの激しさがうかがえた。恐怖と絶望の表情を浮かべ、手に剣を握りしめたまま息絶えている者もいた。身体は傷だらけで血にまみれ、破れた黒衣や革鎧の状態からなぶり殺しにされたことが推測できた。


 若い守人は鋭い爪や牙によって首を引き裂かれていて、赤黒い血しぶきが壁に飛び散っているのが見えた。いくつかの死体は欠損していて、持ち去られたことが分かる。あるいは、この場で食われたのかもしれない。アリエルは守人が軽装だったことが気になった。任務というより、着の身着のまま何かから逃げてきたような、そんな奇妙な印象を受けた。


 戦闘の痕跡から漂う血液の臭いが暗い地下世界に広がっていた。いずれ腐肉を求める化け物がやってくるのだろう。アリエルたちは死体をそのままにすると、使えそうな装備だけ回収して立ち去ることにした。

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