第11話 鈴が落ちて


 二人は急いで診察室とベットを仕切るカーテンを開け、少女の姿を見た。


 確かに、お腹の上に置いておいた鈴が二つとも落ちている。でも、目は閉じたまま。和哉はそっと顔をのぞいた。

 うっすらと目が開く。美沙もその様子を見て少女の手をそっと握った。


「ここは病院よ、安心して」


 美沙の言葉が理解できたのか、少女はうなずいた。


「何か飲み物を持って来るわね。」


 美沙は、溢れてくる涙を押さえ診療所内のキッチンに向かった。コップにミネラルウォーターを注ごうとするも手が震えて上手く注げない。(何やってるんだ私、落ち着け~)


 コップに着いた水滴をキッチンペーパーできれいにふき取り、ストローを差した。少女が目覚めることを願っていたわりには、正直まだ心の準備ができていなかった。


 キッチンを出る前に気持ちを落ち着かせるために自分も水を飲んだ。そして待合室から診察室へ一歩足を踏み入れた。


 すると信じられない光景が美沙の目に飛び込んできた。何と和哉はパスタの残りを少女に食べさせていたのだ。


「えっ、そんなにすぐに食べさせても大丈夫なの?」


「だって腹が空いていたんだよなぁ」


 少女は大皿に残っていたパスタを美味しそうに頬張っていた。美沙は何も言えなくなり、ただ少女が食べ終わるのを水を持ったまま見つめていた。

 タイミングを見計らって水を渡した。水も一気に飲み干した。少女は空のコップを見つめている。


「水、まだ飲む?」


 少女は頭を横に振った。そしてぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。和哉も美沙もどうしていいのか、何を言ったらいいのか、言葉は浮ぶものの、その言葉を話しかけていいのか、途方にくれた。


「名前を教えてもらえるかい?」


 和哉が思い切って尋ねると少女は更にうつむき、考え込んでいる。しばらく待っていたが答える様子もない。


「もしかして、記憶が無いのかい?」


 和哉は優しく問いかけた。少女は何も言わず、泣きながらうなずいた。


「そうか…そうだったのか。大丈夫だよ。私は医者だから、君の記憶が戻る手助けができるよ。だから大丈夫」


 美沙は少女の肩を包み込むように抱き、ポケットに入っていたハンカチを渡した。


「ありがとうございます」


 これが、少女の発した初めての言葉だった。言葉が通じたことに美沙も和哉もほっと一安心した。


「痛い所はないかい?」


 和哉はゆっくりと分かりやすい言葉を選び少女の診察と問診をした。少女はほとんど、はいか、いいえで答えた。

 

 名前や居住地、小さい頃から今までの記憶がすっぽりと消えているようだ。しかし、さっき食べたパスタの具は全て思い出せる。物の名前も大体は言える。


 たぶん、解離性健忘かいりせいけんぼうと言われるストレスやトラウマによる記憶障害なのではないかと推測した。あの服の様子だと、かなり酷いことが少女に起きたのではないだろうか。

 

 自分が誰なのか、何をし、何を考えていたのかも分からない。この記憶障害は人によっては一生戻らないこともある。

 

 少女の診察をした結果から言うと、家族からの捜索願いが無い限り病院や施設で預かるしかない。和哉はカルテの記入を終えると少女の目を見つめ話し始めた。


「健康そうだし、この診療所にしばらく入院ってことでいいかな?」


「私、お金持っていません」


「大丈夫だよ、今は必要ないから。記憶は戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。でも君は生きていたんだ。それは凄いことだよ。今は焦らず体力を回復するのが一番の仕事だ」

 

 少女は美沙にうながされベットに横になった。

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