第73話 旅のお守り
2人はマーサの紅茶店をあとにした。
まずは防寒用の服を買いに出かけた。くるみが日本を出発したのは夏だった。もうずいぶん前のことのように聞こえるが、つい昨日の事である。
パーカーやカーディガンの類は持って来たが、防寒と呼べる物は何一つない。
始まりの国は万年春の大地に包まれた穏やかな気候だ。それなのにこの街に防寒用の服が売っているのだろうか。そんな疑問を抱えながらくるみはミナトの後をついて歩いた。
やはりマーケットの周辺は活気があり、お祭りのように賑やかだった。
くるみのように地球からやって来た人がこの中にもいるのかと思うとちょっぴり不思議で、でもやはりこの土地の空気は懐かしい。
自分が生まれ育った街と言われれば否定できない心地よさがある。
マーケットはサークル状に軒を連ね、街は放射線状に広がりを見せる。ちょうどマーサの喫茶店の反対側、マーケットの北側へやって来た。幅の広い階段が5段ほど続き、上った先には小さな三角屋根のログハウスがあった。屋根は苔むし、赤いゼラニウムが建物を囲うように植えられている。
「ここは?」
くるみは少し前を歩くミナトの背中に話しかけた。
「ここ来てないの? 中央マーケットの案内所だよ」
くるみは頭の中に入っていたはずの『始まりの国 ビギナーズのすすめ』を思い出してみた。
「私の代わりにケイジロウさんが来てくれたから」
「ふーん。ケイジロウはくるみに優しいね」
ミナトは何かを怪しんでいるような顔だったが、直ぐに元の表情に戻り案内所の説明をしてくれた。
大体のことはくるみが春の大地から恐怖の階段を下りた時に知り得た情報だったが、お守りについては初めて聞く話だった。
「このお守りはね、地球からのトラベラーにとっては緊急避難用の大切なお守りなんだ。でもこのままでは意味を成さないんだよ」
くるみは肩に掛けていた麻のショルダーバックから昨日ケイジロウから渡されたお守りを取り出した。
銀色のチェーンが付いた2センチほどの透明な鈴のようなものだった。揺らすと風鈴のような柔らかな音がする。それを見たミナトはくるみの手を引いた。
「中に入ろう」
重いログハウスの扉を開け中へ進む。
木の床が歩くたびに心地よい音を響かせる。
思ったよりも狭い空間だったが、絶え間なく人が出入りしている。この案内所は時代屋時計店からのトラベラーだけではなく、チェスターリーフの街へやって来た始まりの国の人々も利用する。
壁にはSLに乗って行く記憶の森のナイトツアーの広告が大々的に掲げられている。ツアーには予約が必要と書かれていた。
ケイジロウから話は聞いてはいたが、相当人気のツアーのようだ。
案内所にはカウンター内に数人のスタッフがいて並んでいて、順番に対応してくれる仕組みになっている。くるみたちの番が来たが、ミナトはまるでくるみの保護者のようにスタッフと話をしている。
くるみはその場を少し離れ売り物のハガキやキーホルダー、そして壁に貼られている始まりの国の地図を見ていた。
(ここが現在地かぁ、駅が近くにあるみたい)
「くるみ、こっちに来て」
ミナトによばれカウンターの横を通り店の奥へ向かった。
先ほどまでの部屋とは違い薄暗い小部屋が用意されていた。その部屋に入ると、そこには時代屋時計店で見た小さな手洗い場のような噴水が中央に置かれていた。
腰の高さほどで、色とりどりの花びらが浮かんだ素敵なものだった。水の底からライトアップされ光が壁一面に揺らめいている。
「手を浸けるんですよね」
くるみは後から入って来た、がたいのいいスタッフに尋ねた。
「そうですよ。
(
そうスタッフに言われ、透き通る鈴のようなお守りを渡した。
くるみはゆっくりと水に手を浸した。両手の間から光が溢れ出し、薄いピンクの玉が現れた。その中には銀色に渦巻く煙のようなものが筋状にきらめいている。
これを自分の魂のレプリカだと知っていたくるみは、愛おしく見つめた。見るのは3度目だったがやっぱりきれいだった。
「これがくるの魂の色なんだね」
ミナトはサングラスをずらし、まじまじと見つめた。するとスタッフが「えっ!」と小さく驚きの声を漏らした。
ミナトは1歩下がり自分の人差し指を口元に持って行くと、スタッフにウィンクした。
くるみはその様子に全く気づいていない。くるみは自分の手元から離れ、浮かび上がる魂のレプリカをただ見つめている。
するとスタッフは空中に浮かぶ魂のレプリカを両手で覆い、小さく圧縮してしまった。そして圧縮されたピンクの玉をお守りの中へ封じ込めたのである。
目の前で繰り広げられる魔法のような出来事にくるみは興奮した。そして、くるみは見てしまったのだ。彼の指にもケイジロウと同じ魔法の指輪がはめられていたのを。
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