第98話 動き出した時計
「ミナトだろ。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
フウマは湖を見つめたまま呟いた。
「えっ、ミナトなの?」
くるみは湖畔の周りにうっそうと生い茂る雑木林に目を向けた。
「くるみが僕のことをミナトって呼ぶってことは、記憶が完全に戻ったってことかな」
ミナトは暗がりからゆっくりと姿を現した。無造作に整えられた茶色のフェザーマッシュの髪にシンプルなシャツを羽織った姿はいかにも日本の若者だった。王子の要素は微塵も感じない。
「ここ懐かしいね。6年前に遺跡の調査に来たね。ここでくるみが泣きながら言ってくれたこと覚えてる?」
「今思い出したところ……」
くるみは申し訳なさそうに答えた。そして、フウマとミナトの間で揺れる17歳の頃の記憶を抱えながら恐る恐るミナトを見た。
先ほどまで昔の記憶の中に居たせいか、目の前にいる23歳のミナトが大人に見える。
「ごめんなさい。2人とも本当にごめんなさい」
くるみは自分のせいで2人の人生を狂わせているような気がして、たまらず謝った。
フウマはミナトの横へ歩み寄り、自分より少しだけ背の低いミナトの肩に手を乗せた。ミナトもフウマの肩へ手を伸ばす。
2人は笑顔でくるみを手招きした。何のことか分からずくるみは2人の顔を交互に見るしかできなかった。
(この雰囲気は何だろう。とても温かい。こんな風に私を見守ってくれた人が今までもいたような……、そっか、お父さんとお母さん。そして、
くるみは急に懐かしさに溺れた。
「俺たちは兄弟よりも強い絆で結ばれてんだよ」
ミナトは王子らしからぬ口調で言い放った。フウマはこの後に語られる言葉を想像もできずに、ただ誇らしげにミナトを見た。しかし、ミナトの口から次に語られたのは墓場まで持って行くはずのフウマの隠された想いだった。
「僕は知っていたんだ。フウマ先生がくるみのことを好きなことも、くるみがフウマ先生に惹かれていることも」
「えっ、知ってたの?」
フウマは拍子抜けした顔でミナトを見た。
「俺は隠せていると思ったんだけどな」
「先生、僕は王子ですよ。見くびらないでください」
くるみは2人のやり取りを他人事のように見ながら、苦笑いを続けた。そしてミナトは先ほどまでの表情を一変させ、まじめな顔つきになった。
「2人に謝るのは僕の方です。僕は2人を利用していた。あからさまにくるみに好きだと言えない状況を打破できない僕は、絶対に裏切らないフウマ先生に頼った。フウマ先生がどれだけくるみを好きになっても、僕がくるみを好きなことを知っているフウマ先生は絶対に僕を裏切らない。そして、くるみは身分の違いに悩み、僕のことが好きなのに好きとも言えず、あきらめもできずにいた。そして2人は永遠と慰め合う。誰にもくるみを渡したくない僕はそこを利用した。僕が一番の元凶ですよ」
くるみもフウマも何も言えず只々ミナトの話に耳を傾けた。そして、ミナトは続けた。
「だから2人とも、もう後ろめたい気持ちになるのは止めてください。僕は自分の立場を守ろうとしただけの臆病者です。ガーラが城に攻めて来た時も好きな女に守ってもらうような卑怯者です。だから、2人は何も悪くない。それにもう6年も前の事でしょう。時効ですよ」
「時効?」
フウマは吹き出した。
「犯罪を犯したつもりはなかったんだけどな。教師が生徒を好きになったことを指しているのかな?ミナト王子」
「まぁそんなところでしょうか」
ミナトはにやりと笑った。ミナトは一言も発しないくるみのそばへ行き桟橋にひざまずいた。
正座をしたままのくるみは何が始まるのかとミナトの様子をうかがっている。
ミナトは静かに息を吐くと穏やかな瞳を真っ直ぐくるみに向けた。そしてずっと伝えられなかった想いを記憶の戻ったくるみに話し出した。
「くるみ、僕は君のことが好きなんだ。小さな時からずっとだ。君がガーラの指輪を奪いこの世界から消えてしまったあの日、全てが色のない世界になった。だから僕は時代屋時計店を使い、ケイジロウの力を借りて日本の高校生になった。時計を渡しにね」
「始めは俺が行くって言ったんだけどな。でもミナトは譲らなかったよ」
フウマは昨日の事のように、ミナトの話に付け加えた。
「もう王子だからって人に頼ることはしたくなかった。それに、フウマ先生では10代の学生を演じるのは無理でしょう」
「確かに!」
3人は同時に声を上げ、数年ぶりに一緒に笑った。
最後に笑った日から実に4年の歳月が流れている。それぞれが成長し、若かりし心の葛藤を懐かしむ余裕ができているのが不思議だ。
時間は心の傷もわだかまりも癒してくれたのだろうか。
「王子なのに無茶なことをしたんだね」
くるみはミナトの頬に手をやり呟いた。自分を探しに転校生に扮したミナトを途方もなく愛おしく思った。
(あの転校生のミナト君がミナトだったなんて)
「当たり前だろ。好きな子を失って取り返しに行かない奴がいると思う?」
「でも王子だから……」
「くるみ、王子だからって差別をしないでくれ!」
ミナトは語気を強めた。
「わかった。ミナト、日本まで迎えに来てくれてありがとう」
2人が微笑み合っている
「あのさミナト、一応言っておくけどさ、もしかしたらくるみは今でも俺のことが好きなのかもしれないよ」
「えっ!?」
ミナトは驚きの顔でくるみの顔を見た。くるみは自分が答える番だとバトンを渡され、否応なしにも答えるしかなかった。
「フウマ先生ごめんなさい。私、本当はミナトが好きです。先生のおかげで迷いは消えました。ありがとうございます」
くるみは深々と頭を下げた。
「先生、ふられましたね」
そう言うとミナトはくるみの手を握り立ち上がった。くるみはこの瞬間、この国での自分の存在を実感した。
「フウマ、私……ミナトと付き合っていいのかなぁ」
「それを俺に聞くのかい?全くいつまでも世話を焼かせないでくれ。これでも、昔は君のことで悩んだ時期もあったんだからさ」
フウマは少しおどけてみせた。その様子を見たミナトは申し訳なさで胸がいっぱいになった。でも、フウマをもう巻き込むわけにはいかない。フウマを自由にさせてあげなくてはならない。それが今まで兄弟であり、師として接してくれたフウマに対する礼儀のはずだ。
「フウマ先生も早く彼女を見つけてください。僕はもうくるみを離しませんから」
ミナトはきっぱりと言った。
「実はさ、今度ナナと出かけようと思ってるんだ」
「ナナって研究所のナナさんですか?」
「そうだよ。今お前たちを見て決心がついたよ。俺の役目はもう終わったなって」
「そんな、これからもそばにいてください」
ミナトは慌ててフウマの肩をつかんだ。
「仕事ではいつも一緒だよ、ミナト王子。まだ全ての指輪の回収は終わってないんだ。くるみも仕事に復帰してもらうよ」
ようやく3人の時計は動き出した。
長かった。しかし、未熟な彼らの心を整理するのには丁度よい歳月だったのかもしれない。
3人はドートル湖を見つめ、新しく始まる明日を待った。その日見た朝焼けは、輝く未来を予感させるほどきれいだった。
「そうだ!忘れてた」
フウマは我に返ったように2人に言付けをした。
「隊長からの指令で1つだけ早急に解決しなければいけないことがあるんだ。くるみの面会謝絶が解ける1週間後集合だよ」
そう言い残し、フウマは一足先にドートル湖を後にした。
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