第41話 家族だんらん



 美沙みさは診療所の2階のキッチンに上がると急いでお湯を沸かし始めた。


 少しすると和哉かずやとくるみの楽しそうな話声と共に階段を上がる音が聞こえる。


 この瞬間、美沙は幸せを感じずにはいられなかった。もし2人に子どもがいたらこんな感じだったのかもしれない。


 くるみは本当に素直でいい子。出会った日から今日まで考えても、わがままを言ったことがない。しいて言うなら進学をせずに就職を選んだことぐらいだろうか。


(どうかこの幸せが続きますように)


「変わらないね」


 くるみはお土産を食卓テーブルに置くと、テレビの前のソファに座り、辺りを見回した。


 手狭な居間には書斎に置ききれない医学書やら、趣味の本が所狭しと置かれている。


 居間と繋がる大きな窓に面したキッチンには趣味の料理が高じてか、スパイスの瓶が溢れかえり、美沙が育てたドライフラワーが天井からいくつも吊り下がっている。


「かずさんは部屋の模様替えが昔から好きじゃないの」


 美沙がほうじ茶を入れながら言った。


「理由は色々あるんだけどね……、まぁいいじゃない」


 和哉はそう言いながら熱いお茶をすすった。


「そうだ、くるみが買って来た和生を食べよう」


 和哉は話題を変えるかのように、テープルに置かれた包み紙を開け始めた。


「くるみもこっちにいらっしゃい」


 くるみは座りごこちのいいソファを名残惜しむかのように食卓の椅子にやってきた。


 4人掛けのテーブルでキッチン側が美沙、その向いにくるみと和哉が座る。いつもの席、いつもの湯呑、いつもの笑顔。


 不幸でありながら、こんなに素敵な居場所を与えてくれた川崎夫妻には感謝しかない。


 親元を離れた娘のように毎回迎えてくれる。


 くるみはこんな2人に時代屋時計店のことをどう切り出せばいいのか、正直まだ悩んでいた。


「わぁぁ、可愛い。さすが一福いちふくね!」


 美沙は箱を開け、目を見張った。


「本当だ、よく仕事の帰りに買ったなぁ」


 和哉も美沙も懐かしむように鯛を見つめている。


「この店の女将の由里子ゆりこさんはね、かずさんの同級生なのよ。私たちと同じこの町の出身よ」


 美沙は桜の木でできた和菓子用の皿に鯛をのせた。


「2人ともこのお店知ってたんだ。私、このお店の睡蓮鉢が気に入っちゃった。メダカが泳いでいるの」


「そうか、まだ置いていたんだ。暑い夏でも涼を感じられるんだよなぁ」


 鯛の和生を食べながら3人でひとしきり頭から食べるだの、しっぽから食べる、半分に割ってから食べるだの、何の生産性も無い話をしながら笑った。


 こんな時間が本当に幸せなことなんだと3人はそれぞれの心で感じていた。


 くるみはこの揺るがない幸せな現状に決心がついたのか一呼吸おくとついに口を開いた。


「あのね、話があるの」


 そして、時代屋時計店について話し始めたのである。

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