第7話 診療所へ

 

 車が見えてきた。


 和哉は先回りして少女を車に乗せる準備をしていた。航が車道に上がる土手の所まで来ると和哉は少女の脇を抱え航の負担を減らしてくれた。


「大丈夫か、重かっただろう?」


「オレの仕事は警察官だからね、普段から鍛えてますよ!」

 

 少女を和哉のミニバンの後ろに寝かせた。後部座席の二列をたたむとフルフラットになるこの車は使い勝手がいい。

 少女は少し体を曲げるだけで寝かすことができた。途中で起きてパニックになる心配もあったので、美沙は少女の横に体育座りのように膝を抱えて乗ることにした。

 顔にかかる少女の髪を整え、ひざ掛けをそっと被せた。


「じゃあ出発するよ」

 

 和哉はゆっくりと車を走らせた。ラジオをつけるといつもの地域FMが入り、聞きなれたジングルが流れた。長い緊張感から解放されるような気分だった。美沙は少し躊躇しながらも少女の手を握った。(温かい、この子はきっと大丈夫)

 

 航も和哉の車の後ろに続いて走った。何事も無く15分ほどで診療所に着き、ストレッチャーで病室へ運んだ。

 診療所には診察室の横にカーテンで仕切られた部屋と、その奥にインフルエンザなどの感染者を隔離する部屋があった。


「とりあえず今夜は診察室の横で診ることにしょう」


 もう一度血圧や心音をチェックし、美沙は汚れている服を脱がすために少女と二人きりになった。


「何かあったら声をかけてくれ」


 和哉はそう言い残し診療所内にあるキッチンに行き、お湯を沸かし始めた。


 航は薄暗い待合室の廊下側に並んでいる赤い座面の丸椅子に座り、足を投げ出した。

 しばらくうつむき頭を抱えていたが、ついさっきまでいた森の出来事が嘘ではないかともう一度確かめたくなり、スマホを取り出した。


「光ってる…」


 スマホの画面には光の中に横たわる少女が映し出されていた。


「マジ かぁ…」


 診察室から航を呼ぶ声がした。診察室へ行くとカーテンで仕切られた部屋の足元から汚れた水が入ったバケツが押し出されて来た。


「このお湯捨てて、新しいお湯入れてきて」


 体をふいたお湯なのだろう。枯葉が浮かび、油も少し浮いている。(さっきは暗くてあまり感じなかったけど、こんなに汚れてたんだ)


「タオルは洗って来なくていいの?」


「じゃあ お願い、上から行くよ」


「えっ?」


 何のことか理解する前に、カーテンと天井の隙間から汚れたタオルが航の頭に落ちてきた。


「ええーっ!何すんの」


 カーテンから顔だけ出した美沙はケラケラ笑いながら謝った。


「航、元気ないよ。でしょ」


「頭が追いつかなくて…」


「大丈夫。私も、きっとかずさんも」


「…水替えてくる」


「頼んだよ!」


 航はバケツを持ちキッチンへ行った。和哉は三人分の紅茶を入れ、レモンのスライスを入れるところだった。


「航は頑張ったからハチミツ二倍だな」


「おう、ラッキー」


 和哉は航にまで秘密を抱えさせてしまうことに申し訳ない気持ちでいた。


「航すまないが、2・3日時間をくれなか?」


 何の事なのか航には直ぐに分かった。


「それだけでいいの?俺、明日仕事行ったら家出人や行方不明者の届出がないか調べてみる」


「それは助かる」


 航はバケツに新しいお湯を汲み、タオルもきれいに洗った。和哉は三人分のレモンティーをお盆に入れ二人は美沙のいる診察室へ戻った。

 

 航は美沙がしたように仕切りのカーテンの下からバケツを渡した。レモンティーはキャスターが付いた移動式のテーブルに置かれ爽やかな香りが部屋中に広がった。美沙は香りに誘われるかのようにカーテンから顔を出し、大きく香りを吸い込んだ。


「私の鞄に頂いたマドレーヌ入ってるから先に食べてて」


「わるいな」


「お先に!」


 テーブルを囲み和哉はいつも仕事で座っているキャスター付きの肘掛椅子に座り背中を預けた。

航は患者用の丸椅子に座った。


 温かい紅茶は体に染み渡った。

 

 和哉は半分に切っただけのレモンを絞りマドレーヌに直接かけた。


「何それ?そんなことしていいの?」


 航は信じられないものを見るような目で尋ねた。


「これがうまいんだよ。マドレーヌの甘さにはレモンが合うんだ。ほら、やってみろ」


 半ば強引にレモン汁をかけられたマドレーヌを航は口にした。


「あっ、美味い!何これ、チーズケーキみたい」


「そうか、チーズケーキか、いつもどう例えて言えばいいか分からなかった。若いっていいなぁ。回路がすぐに繋がるんだな」


「私も、チーズケーキみたいって思ってた」

楽しそうな会話に美沙が入ってきた。


「じゃあ言ってくれればよかったのに」


「かずさんが困ってたなんて知らなかったから」


「いや、困ってはいないんだけど…」


「お互いまだまだ分からないことがあるのね」


 美沙は一気にレモンティーを飲み干しカーテンの奥へ消えた。航は二人のやり取りを聞きながら、二つ目のマドレーヌにレモンを絞る。


「気に入ったか航?」


 口いっぱいに頬張った航はすぐには返事ができず、嬉しそうに頭を縦に振った。

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