第38話 時の秤(はかり)



 ウインドチャイムの音がかすかに残る店内にくるみの声が響き渡った。


 ケイジロウはくるみの声に気が付きすぐに姿を現した。


「あっ、この間の保険の話だね」


「保険?」


 この言葉を聞いてくるみは我に返った。

(そうだった。私、仕事中だったんだ)


「大変申し訳ございません」


 とっさに出た精一杯の言葉だった。


「顔真っ赤だよ。今冷たい物出すからちょっと待ってて。今、地下から戻ったばかりで僕も休憩したかったんだ」


「地下……?」


 ケイジロウがいなくなった店内でくるみはがっくりと肩を落とした。いつもより鞄が重く感じる。

(感情に突き動かされた自分が恥ずかしかった)


「こっちに来て座りなよ」


 ケイジロウは麦茶を持って現れた。


(そうだ、確かめたかったのはスーツの男性の存在だ!)


 くるみは辺りを見回した。


「スーツを着た男性は帰ったんですか?」


「知り会い?」


「いいえ。たまたま店に入るところを見かけたので」


「彼は旅行へ行ったよ。1965年のイギリスだって。なんでも、その時代のビートル何とか?っていうスターを実際に見たいって言ってたなぁ」


「本当なんですね」


 くるみはもう信じることしかできなくなっていた。


「私の時計見てもらえますか?」


「いいですよ。お客様」


 ケイジロウは優しく微笑んだ。


「さぁ座って」


「ありがとうございます」


 くるみは前回のこともあったので恐る恐るソファに座り、時計を外してケイジロウへ渡した。


 ケイジロウは小さくうなずきながら時計を裏返した。

 2年ぶりに見る時計だった。


「ちょっと待っててね」


 ケイジロウは店の奥へつながる通路から別の部屋へ行った。そして大きなの木製のスーツケースを大事そうに抱えて現れた。


「それは何ですか」


 くるみは不安げな顔でスーツケースを見つめた。


 ケイジロウはソファの近くまで持ってくると、床に置いたままポケットから取り出した鍵を差し込んだ。

「カチャ」っと音がするとスーツケースは開き、不思議な道具が次々とテーブルに乗せられた。


 ケイジロウは皮の手袋をはめ、慎重に何かを組み立て始めた。


 しばらくすると、金色の天秤が完成し、クリスタルのような輝きの皿が2つ取り付けられた。


 理科室で見かける天秤とは違い、明らかにアンティークなもので高級なこと間違いなしだ。


 くるみは分銅はどこにあるのだろうと様子を見ていたがなかなか出てこない。

 

 次にスーツケースから取り出されたものは脚つきの銀製の深い皿だった。

 直径が30センチほどあるだろうか。皿の縁には葡萄の装飾があしらわれている。


 何を入れるのだろうかと、くるみは固唾を呑んで見守っていた。


「少し暗くするね」


 ケイジロウはそう言って部屋のカーテンを閉めた。くるみは何が始まるのかとドキドキしながらも、まな板の鯉のように心の準備はできていた。

 

 ケイジロウが最後にスーツケースから取り出したのは羊の皮でできた袋だった。


 巾着のようにすぼまった口からは光が溢れている。


「それは……」


「これはね、君の旅する時間を決めてくれる時の玉だよ」


 ケイジロウは巾着の紐を緩め、1つずつ丁寧に銀の皿に移し始めた。

 淡く輝く色とりどりの球体が袋から取り出される。卵ほどの大きさの球体はちょうど12個あった。


「じゃあ、くるみちゃん。時計を左の天秤の皿に置いて」


 くるみは言われた通り腕時計を左の皿に置いた。

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