第31話 森のカフェ
くるみは企業を回り、会社の社長や役員への保険の外交、保険を活用した節税対策を提案する仕事に着いた。
保険会社はあらゆる年代の社員を受け入れてくれる。
社会人になったばかりのくるみは大人の知識をたたき込む毎日だった。
過去の記憶はいまだに戻らないままだったが、その分新しい情報をスポンジのように吸収してくれた。
3カ月の研修期間と、お試し任用の期間も終了し、晴れて本当の社会人になることができた。
そうは言ってもまだ新人のくるみは、5つ年上の
明はサバサバした性格で物事にあまり執着しない。そのせいなのか、彼氏がよく代わる。仕事でミスをしても笑ってごまかせる度胸もある。
くるみには無いものばかりを兼ね備えている。だから一緒にいると学ぶことも多く、刺激がいっぱいだ。
相談すれば自分の悩みが小さくて、どうでもいいもののように感じられる。
今日も明の車で高台にあるカフェで遅めのランチをしていた。
明に言わせると、営業の仕事はまじめにやり過ぎないことが大事なようだ。
適度にストレスを発散し、笑顔で営業!これが営業成績にも繋がるらしい。
「それにしても、このカフェ眺めがいいですね」
「ここから、私たちの戦場が見えるでしょ?」
明は獲物を狙うような目つきで眼下に広がる街並みをなめるように見つめた。
「えっ、どういうことですが?」
2時を過ぎた店内は客もまばらで、食器を片付ける音とオルゴールのBGMが心地よい。
明はゆったりと背もたれに体を預け、腕組みをした。
「私もくるみちゃんと同じように高卒でこの会社に入ったの。まだ中身は子どものままだし、政治や経済については何も分からなかった。知識ゼロよ!」
「はい…。」
くるみは明が何を言いたいのかまだ分からなかった。
「でもね、このカフェの大きな窓から街を見てると分かったのよ」
「はい…何がですか?」
「人の流れや、新しいビルの建設、オープンしたての店、色々見えるでしょ」
確かに言われてみれば街の様子がよくわかる。
「じゃあ、明先輩はさぼってこのカフェに来てたわけじゃないんですね」
「そうなの、戦いに行く作戦を練っていたのよ!」
この木々に囲まれた癒しの空間のようなカフェが明の営業成績上位の源だったとは驚きだった。
「まぁ、ちょっとふざけて言っちゃったけど、本当のことよ。だからくるみちゃんも朝から晩まで企業を回るだけじゃなくて遊び心を持つことね」
明のおおざっぱなアドバイスだったがくるみの意気込んだ気持ちを少し楽にしてくれた。
「川崎さん、あなたにこのカフェを譲るわ」
「じゃあ先輩はどうやって作戦を練るんですか?」
「大丈夫、いい所たくさん知ってるから。でもここのピザ美味しいから食べには来るけどね!」
くるみは体の中からやる気がみなぎって来るのを感じていた。
「先輩あれは?」
くるみはふと目に留まった建物を指さした。
それはビルの間にひっそりと存在し、都会にはあり得ないような木造の古い商店のような店だった。
「あの店怪しいよね。私も何度か気になって前を通ってるんだけど、
確かに入りずらい雰囲気をかもし出している。実際に営業しているのだろうか。
「くるみちゃん、営業行ってみたら? だって金持ちだよ。都会の真ん中に店構えて維持するだけで、お金どれだけかかると思う?」
「はぁ、そうですよね。行ってみようかぁ」
数日後、早速カフェから眺めた店の前にくるみはやって来た。
会社から歩いて15分ほどで来られる距離だった。(こんな店があったんだぁ)
木製の看板が大きく掲げられているが、雨ざらしのせいで全体が黒ずんでいる。到底文字を読み取ることはできない。
「読めないくらい古い看板の店……」
不意にミナトの言葉が浮かんできた。
(どこにいるのかなぁミナト君)
転校してから2年近くになる。あの1ヶ月は幻のようにも感じられる。
本当にミナトが存在していたのか自分の記憶に自信が無くなる時もある。でも、そんな時は決まって左腕にはめた時計に触れる。
ミナトは存在した。絶対に存在した。だから今日まで頑張って来られた。
就職が決まってからの忙しい毎日。ミナトを思い出すのは久しぶりのことだった。
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