第49話 春の草原と2人の写真



「さっきと同じように水に手を浸けて」


 くるみの荷物を抱えたケイジロウは残り1周のとなった螺旋階段から声をかけた。


 キャリーバックを一旦階段に置くと、ケイジロウは額の汗をぬぐい肩を落とした。


(それにしても、今日の階段は長かったなぁ。記憶が無いせいなのかなぁ…)


 くるみが泉を覗き込むと、様々な国のコインが投げ込まれていた。


 ここは最初に手を浸した手洗い場のようなものと違い、本物の泉だった。


 森の奥にひっそりと有るような素朴なもので、大小様々な石で縁取られている。


 時々底の砂が立ち上り、水が湧き出しているのがわかる。


 くるみはかがんで、そうっと両手を泉に浸けた。


 たちまち手の内側から光りが溢れ出し、先ほどと同じくピンクの光る玉が現れた。


「これも私の魂のレプリカですか?」


「そうだよ。さっきと同じ色だろ」


 ようやく追いついたケイジロウが息を切らしながら答えた。


 光の玉は他の玉と一緒に着かず離れず、広い空間を漂い始めた。

 

 時代屋時計店から旅する者たちは、痕跡としてここに魂のレプリカを残していく決まりらしい。


 今、数えただけでも5、60個ほどの玉が浮かんでいる。


 旅を終え階段を登り切るまでは、ここでぷかぷかと浮かんでいると言う。


「さあ、外に出るよ」


 もうくるみも気が付いていたが、この広い洞窟のような空間には出口が有った。


 心地よい風が流れ込み、くるみは引き寄せられるように出口に向かった。


(この匂い!時代屋時計店で嗅いだことのある春の香り。そうか、この始まりの国と繋がっていたからなんだ)


 くるみがどうしても気になっていたこと、それがこの香りについてだった。


 最初に時代屋時計店を訪れた時、外の空気より遥かに新鮮で春を全身に浴びたような感覚がした。


 今もそうだ。春の若葉や花の香りが常に溢れている。くるみは光の中へ一歩踏み出した。


「ここ、サイコー!」


 気が付くとくるみは叫んでいた。


 洞窟を抜けた先はなだらかな丘の中腹で、草原なのか花畑なのか分からなかったが、春のエネルギーで満ちていた。



 

その頃診療所では……


「あら、写真飾ったのねぇ」


 待合室に集まり始めたお年寄りが美沙に声をかけた。


「そうなんです。何だか急に飾りたくなってしまって」


「あら、わたる君も写ってるじゃない。まだ結婚しないのかい?」


「あの子、交番の仕事が大好きで町の皆が恋人なんですよ」


 美沙は当たり障りのないように答えた。


「あら、こっちの写真も素敵ねぇ。あなたたち夫婦の笑顔サイコーよ!」


 一瞬美沙は何かを思い出しそうになり、首を傾げた。

 

 しかし、何も浮かばなかった。


 「あら、本当ですね。何が楽しくてこんな笑顔が撮れたのかしら?」


 そこには2人の間に1人分の空間が空いた自撮りをしたベストショットの写真が飾られていた。


 こうして、4年近くにわたる3人の温かな日々の思い出は、音もなく消えて行ったのだった。

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