第14話 川崎くるみとして


 くるみがこの川崎診療所に来てから1カ月が経つ。

 航に連れられてハンバーガーもクレープも食べた。タピオカも飲んだ。

 

 でも記憶はまだ戻らない。

 

 和哉が勤めていた大学病院で精密検査をしてもらった。どこにも異常は見当たらなかった。嬉しいことだが、くるみには何か理由が欲しかった。

 

 どうして私は森の中にいたのだろう。私の家族は私を探していないのか。私はいったい何者なんだろう。


 月に1度カウンセリングに行くことも決まった。児童相談所や警察にも相談し、このまま川崎夫妻のもとで過ごすことも決まった。


 川崎夫妻は、くるみに全て本当のことを打ち明けた。そうしなければくるみ自身も前に進めないと思ったからだ。


 しかし、警察には夜中に路上で倒れていたということになっており、引き続き家出人と行方不明者の届出が有った場合には連絡をもらえるようになっている。


 一番のネックは年齢がはっきりしないことだ。見た目は10代の中・高校生くらい

のように見える。


 1月に判定テストを受け高校に進学できるか挑戦する。もしかすると、もともと高校生くらいだったのかもしれないが、将来を考えると、高校生活を一からやり直した方がくるみのためだと川崎夫妻は思っていた。


 夕食の後、美沙が洗った食器をくるみが拭いている。


「もうすぐクリスマスね。くるみはクリスマスって何か知ってる?」


「思い出はないけど、サンタがプレゼントを持って来てくれて、ケーキを食べて…」


「そうそう、うちは子どもがいないし、テレビで見るようなクリスマスはやったことがないの。今年はくるみもいるし、航や衣咲ちゃんも呼んでクリスマスパーティーをしようと思ってるんだけど、どうかな?」


「はい、やってみたいです」


「よし、きまりだ!」


 和哉が聞き耳を立てていたらしく、話に割り込んできた。


「やっぱりチキンは必要だなぁ、ケーキはブッシュドノエルか?いや、いちごをあしらった生クリークたっぷりの二段構えのケーキか?」


 和哉も美沙も、くるみがいる生活に慣れつつあった。


 くるみは感情をあまり表に出さない性格のようだ。だからと言って不愛想と言うわけではない。


 やはり、記憶が無いこと、自分を探す家族がいないこと、不安ばかりが募っているようだ。

 でも必死に現実を受け入れ、前に進もうとしている姿に周囲はエールを送る。

 

 川崎夫妻はこのまま身元が分からないのであれば養子にしてもいいと思っていた。そう思わせるほどくるみは素直でいい子だった。

 

 しかし、いい子だからこそ育てた親もいい人だったに違いない。

 どうして探してあげないのだろう。やはり、理由があるのだろうか。美沙は「あの夜」光に包まれていた少女の姿が忘れられない。


 くるみは過去か未来か、はたまた異次元から来たのではないのか、そんなことまで考えてしまう美沙だった。

 

もしそうなら、くるみは今の日本で本当に一人ぼっちなのだ。いつか、記憶を取り戻し、元の場所へ戻れる日が来るのなら、それまでは寂しい思いをさせたくない。


 美沙は自分に赤ちゃんが産めなかったのは、こんな日が来ると決まっていたのかもしれないと運命を感じていた。


 初めてのクリスマスパーティー、初詣、そして高校進学が決まった。色々な機関のはからいで、まだ川崎家の養子には入っていないが、川崎くるみと名乗れるようになった。


 入学式までの間、診療所の手伝いをしながら勉強もした。夜は和哉と美沙が交代で家庭教師をした。

 特に和哉は参考書を買って復習までする力の入れようだ。


「私たちのぼけ防止には最高ね」


そういいながら、勉強中の二人に美沙は紅茶を出した。診療所の2階のリビングテーブルは毎晩学習会だ。


「私ならこう解くけど」


「いや、こうした方が速く解ける」


 数学の問題になると、くるみそっちのけで話が進む。くるみはその様子を楽しそうに見つめる。


「じゃあ両方の解き方でやってみます」


「ほら、かずさんが頑固だからくるみが気を使ってるじゃない!」


「そうなの、ごめん」


 こうして私は川崎くるみになり、高校生になり、1年と少しが過ぎた。この香りは何て素敵なんだろう。

 昔もこのレモンの花の香りが好きだったのだろうか。この道を歩いたことがあったのだろうか。


 私が涙を流したのは1度きり、自分の記憶が無いことを理解した瞬間だった。あんなに絶望したしたことはない。


 どうやって生きて行けばいいのかも分からなかった私に、川崎夫妻や航君は手を差し伸べてくれた。

 ゆみちゃんは私に名前をつけてくれた。衣咲さんは本当のお姉さんのように買い物や食事に誘ってくれた。診療所に来るおじいちゃん、おばあちゃんは私を孫のように大切にしてくれた。


 そんなみんなの想いで、今の私は生きている。

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